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一魂一体  作者: Kioh
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第13話 地獄の王子

一魂一体――いっこんいったい。

ひとつの魂に、ひとつの身体。

 放課後になっても、如月の頭からあの声は消えなかった。


『今夜、午前零時』


『公園で会おう』


『……久しぶりだね、如月』


 低く、不気味で、どこか楽しそうな声。


 それは耳で聞こえたというより、頭の奥に直接刻み込まれたようだった。


 桐谷翔が渡してきたネックレス。


 黒い紐に吊るされた、菱形の黒い結晶。


 昼間、その中心は一度だけ紅く染まった。


 今はもう光っていない。


 だが、如月のポケットの中で、それはずっと冷たさを放っていた。


 まるで小さな心臓のように。


 まるで、今もこちらの様子を窺っているように。


 如月は放課後、もう一度桐谷を探した。


 だが、校内のどこにも姿はなかった。


 一年の教室にもいない。


 昇降口にもいない。


 教師に聞くわけにもいかない。


 悪魔の気配も、昼に感じたような圧倒的な匂いも、すでに学校から消えていた。


 残っていたのは、ポケットの中のネックレスだけだった。


 夜。


 祖母に怪しまれないよう、如月はいつも通りの顔で夕食を済ませた。


 いつも通りに風呂に入り、いつも通りに自室へ戻る。


 机の上に教科書を広げる。


 だが、一文字も頭に入ってこなかった。


 視線は何度も、机の端に置いたネックレスへ向かう。


 黒い結晶は、月明かりを受けても光らない。


 ただ、そこにあるだけ。


 けれど如月には分かっていた。


 これはただのネックレスじゃない。


 桐谷が持ってきた偶然の品でもない。


 自分を呼ぶためのものだ。


 そしておそらく、桐谷を巻き込んだものでもある。


「……面倒なことになったな」


 如月は小さく呟いた。


 時計の針が、午前零時に近づいていく。


 二十三時五十分。


 如月はネックレスを手に取った。


 冷たい。


 昼間と同じ、生き物のような嫌な感触。


 その黒い結晶を見下ろしながら、如月は低く言った。


「桐谷くんに何かしてたら、許さないからな」


 当然、返事はない。


 如月はネックレスをズボンのポケットへ入れ、静かに家を出た。


 街は眠っていた。


 車の音も少ない。


 人の気配もほとんどない。


 昼間は当たり前のように存在していた騒がしさが、夜になると嘘のように消えている。


 街灯の下を歩きながら、如月はポケットの中に意識を向けた。


 ネックレスは、微かに脈打っていた。


 一歩進むたびに。


 公園へ近づくたびに。


 黒い結晶の奥で、何かがゆっくりと目を覚ましていく。


 そして、午前零時の数分前。


 如月は公園に辿り着いた。


 入口をくぐった瞬間、鼻の奥を嫌な匂いが刺した。


 学校で感じたものと同じ匂い。


 だが、やはり普通の悪魔とは違う。


 欲望ではない。


 興奮でもない。


 人を殺したくてたまらないという衝動でもない。


 もっと純粋なもの。


 もっと根本的なもの。


 圧倒的な――力。


 如月はゆっくりと息を吐いた。


「……いるな」


 公園の奥へ進む。


 遊具も、ベンチも、木々も、夜の色に沈んでいる。


 風が吹くたびに、枝葉が小さく揺れた。


 その中に、一つだけ人影があった。


 桐谷翔だった。


 制服姿のまま、背中を向けて立っている。


 動かない。


 まばたきもせず、呼吸をしている様子もなく、ただそこに立っていた。


 安定しすぎている。


 生きている人間の立ち方ではなかった。


 如月は数メートル手前で足を止めた。


「桐谷くん」


 返事はない。


 如月は目を細める。


 桐谷の足元。


 街灯に伸ばされた影が、わずかに揺れていた。


 人間の影なら、光に合わせて伸びるだけだ。


 だが、その影は違う。


 まるで水面のように波打っている。


 まるで、影の中に別の何かが潜んでいるようだった。


「来たぞ」


 如月は低く言った。


「お前は誰だ。どうやって桐谷くんの影に隠れている」


 その瞬間。


 ポケットの中のネックレスが、熱を持った。


「――ッ」


 如月は反射的にネックレスを取り出す。


 黒い結晶の中心が、紅く光っていた。


 昼間よりも強く。


 脈打つように。


 そして、桐谷の影が笑った。


 声はない。


 だが、確かに笑った。


 次の瞬間、桐谷の身体から黒紅の煙が噴き出した。


 血のように赤く、灰のように黒い。


 その瘴気は粘り気を持った雲のように広がり、桐谷の身体を包み込んでいく。


「桐谷くん!」


 如月が踏み出そうとした、その時。


 煙の中から声が聞こえた。


『心配しなくてもいい』


 昼に聞いた声と同じだった。


 低く、不気味で、楽しそうな声。


『その子の魂には触れていないよ』


「信用できると思うか」


『思わないね』


 声は笑った。


『でも、君なら分かるはずだ。彼から、腐った匂いはしないだろう?』


 如月は奥歯を噛んだ。


 確かに、桐谷からは悪魔に憑かれた人間特有の匂いがしない。


 欲望に沈んだ匂いも、魂を奪われた匂いもない。


 ただ、影だけが異常だった。


 煙が濃くなっていく。


 桐谷の姿が完全に隠れる。


 如月は拳を握った。


 いつでも動けるように。


 いつでも殺せるように。


 だが、煙の中で何かが変わった。


 桐谷の身体が、ゆっくりと崩れる。


 倒れる、と思った瞬間。


 黒い影が彼を受け止め、近くのベンチへ静かに横たえた。


 桐谷は目を閉じている。


 眠っているだけのようだった。


 そのすぐ隣で、黒紅の煙が人の形を作り始める。


 大きい。


 人間の背丈ではない。


 煙の向こうから、二つの紅い瞳が如月を見た。


 視線が合った瞬間、背筋に冷たいものが走る。


 人間ではない。


 それだけは、すぐに分かった。


 煙がゆっくりと薄れていく。


 そこに立っていたのは、桐谷ではなかった。


 身長は二メートル近くあった。


 赤黒い肌に、しなやかでありながら獣のような筋肉。


 背中から伸びる尾は地面を撫でるように揺れ、その先端には、刃のように鋭い棘が光っていた。


 彼が纏っているのは、ただの黒いローブではない。


 肩から落ちる漆黒の外套。


 王族の礼装を思わせる高い襟。


 胸元と腰には、血のように暗い赤と金の刺繍が走っている。


 だが、その衣は背を覆っていなかった。


 尾を隠すためではなく、見せるため。


 悪魔としての証を、王族の誇りのように晒すため。


 腰から垂れる長い布は、前と左右に分かれて揺れていた。


 歩くたびに黒い裾が波打ち、その隙間から、鋭い尾がゆっくりと覗く。


 まるで、地獄の王子が戦場へ向かうための礼装だった。


 悪魔は、如月から目を離さなかった。


 殺気はない。


 だが、圧があった。


 息をするだけで空気の重さが変わるような、存在そのものの圧。


 如月は動かなかった。


 目の前の悪魔が一歩でも妙な動きをすれば、その瞬間に潰す。


 そう決めていた。


 しかし悪魔は、ゆっくりと歩いてきただけだった。


 一歩。


 また一歩。


 黒い外套の裾が夜風に揺れる。


 尾の先端が、石畳を軽く擦った。


 そして悪魔は、如月の目の前で足を止めた。


 近い。


 近すぎる。


 如月が一歩下がろうとした、その時だった。


 悪魔の手が、ゆっくりと伸びてきた。


 大きな手。


 赤黒い肌。


 鋭い爪。


 その手が、如月の頭の上へ置かれる。


「――触るな」


 如月は即座に払いのけようとした。


 だが、その前に声が降ってきた。


「久しぶりだなぁ、ヨウ」


 その声は、さっきまでの低く不気味な声とはまるで違っていた。


 柔らかい。


 穏やかで、どこか懐かしささえ含んでいる。


 けれど、その奥にあるものは隠しきれていない。


 まっすぐで、重くて、逃げ場のない声。


 如月の身体が、一瞬だけ固まる。


 ヨウ。


 その名を呼ばれるたび、胸の奥がざわつく。


 自分の名前ではないはずなのに。


 自分よりも深い場所にある何かを、直接呼ばれているようだった。


 悪魔は、如月の髪を軽く撫でた。


「いや……今は、玖条如月と呼ぶべきかな」


 如月はその手を払いのけた。


「触るな」


 悪魔は怒らなかった。


 むしろ、楽しそうに笑った。


「相変わらずだな」


「相変わらず?」


「そう。昔から、そういう目をしていた」


「俺はお前を知らない」


「だろうな。お前は何も知らされていない」


 悪魔は肩をすくめた。


 その仕草だけは、妙に人間くさかった。


「なら、改めて自己紹介をしよう」


 彼は片手を胸に当て、芝居がかったように軽く頭を下げた。


「俺の名は、ヴェル・ノクス」


 そして顔を上げる。


 紅い瞳が、真っ直ぐに如月を見た。


「信じるかどうかは、お前次第だけどな。俺は、お前の兄だ」

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


ついに、如月の前に“兄”を名乗る悪魔が現れました。


敵なのか、味方なのか、それとももっと面倒な存在なのか……。


次話もよろしくお願いします。

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