第11話 借り物競走
一魂一体――いっこんいったい。
ひとつの魂に、ひとつの身体。
白線が引かれたグラウンドに、色とりどりのハチマキを巻いた生徒たちの声が響いていた。
今日は体育祭。
如月にとっては、ただの面倒な学校行事でしかない。
人が多い。
うるさい。
感情が多すぎる。
勝ちたいという気持ち。
負けたくないという焦り。
誰かに認められたいという願い。
そして、少しだけ混じる嫉妬。
それらが全部混ざり合って、まるで繁盛した食堂の厨房みたいな空気になっていた。
だから如月は、校舎の影に立っていた。
できるだけ人から離れて。
できるだけ何も感じないように。
「玖条さん」
その声だけは、すぐに分かった。
振り返ると、美月が立っていた。
白い体操服。
赤いハチマキ。
額に張り付いた髪を指で払っている。
「こんなところにいたんですね」
「……見れば分かるだろ」
「分かります。でも、探してたんです」
美月は微笑んだ。
ただそれだけだった。
なのに、胸の奥が少しだけ苦しくなる。
如月は気づかないふりをした。
「何の用?」
「借り物競走がもうすぐなんです。応援に来てくれますよね?」
「うん、もちろん行かないよ」
「蓮也さん見ませんでした?」
「見てない。人混みのどこかじゃないか」
「じゃあ、蓮也さんと一緒に応援ですね」
「意味が分からない」
そう言った瞬間だった。
美月が如月の手首を掴んだ。
細い指だった。
少し力を入れれば壊れてしまいそうなくらいに。
なのに――
振り払えなかった。
「来てください」
「嫌だ」
「クラスのために」
「俺はクラスのために生きてない」
美月は少しだけ考えてから言った。
「じゃあ、私のために」
如月の足が止まった。
たぶん、美月に深い意味はない。
軽い冗談。
ただそれだけだ。
けれど。
如月にとって、その言葉は重すぎた。
――私のために。
守れ。
殺せ。
そんな運命、今でも受け入れられない。
「玖条さん?」
美月が不思議そうに見上げてくる。
その瞳は何も知らない。
自分が何者なのかも。
如月が何者なのかも。
十八歳になった時に何が起きるのかも。
何一つ知らない。
ただ、まっすぐに如月を見ていた。
「……なんでもない」
如月は小さく息を吐いた。
「行けば満足か?」
「はい」
美月は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間、ふと思う。
堕ちた天使かもしれない。
呪われた存在かもしれない。
けれど、今の如月の目には違って見えた。
ただの明るくて。
少しお人好しで。
誰かのために笑える女の子。
――俺には殺せない。
たとえ、それが俺の役目だったとしても。
◇ ◇ ◇
やがて借り物競走の時間になった。
スタート地点には、美月の姿がある。
その少し後ろには、蓮也と如月も立っていた。
「キサ、青春してるなぁ」
「うるさい」
「否定しないんだ?」
「殴るぞ」
「怖っ」
蓮也が笑う。
その直後。
開始の笛が鳴った。
生徒たちが一斉に走り出す。
美月もその中に飛び込んでいった。
地面に置かれたカードを拾う。
そして。
内容を読んだ瞬間。
なぜか真っ直ぐ如月の方を見た。
嫌な予感がした。
ものすごく。
「玖条さん!」
「……何」
美月は全力で駆け寄ってくる。
周囲の視線まで一緒に連れて。
「来てください!」
「だから何が書いてあるんだよ」
美月はカードを差し出した。
そこには丸い字でこう書かれていた。
『一番頼りになりそうな生徒』
周囲から笑い声が上がる。
「玖条?」
「頼りになるっていうか怖いだろ」
「でも分からなくもないかも」
好き勝手な声が飛び交う。
如月は深くため息を吐いた。
「他にもいるだろ」
「いません」
即答だった。
迷いがない。
少しも。
「私にとっては、玖条さんが一番です」
その言葉は。
なぜか悪魔の爪よりも深く刺さった。
ずっと思っていた。
自分は人間じゃない。
怪物だ。
武器だ。
呪いだ。
普通の高校生なんかじゃない。
だけど。
美月はそんな自分を見て。
頼りになると言った。
「……後悔するぞ」
「しません」
「俺、足遅いかもしれないぞ」
「それは絶対に嘘です」
「……」
反論できなかった。
美月は笑う。
そして当然のように如月の手を取った。
「行きましょう!」
そのまま走り出す。
歓声が遠ざかる。
白線の上を、二つの影が並んで伸びていく。
ほんの数十メートル。
それだけの距離だった。
なのに、不思議と長く感じた。
手が温かい。
生きている人間の温度だった。
いつか。
自分が奪わなければならないかもしれない命。
だから。
握り返すことはできない。
けれど。
離すこともできなかった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
悪魔との戦いよりも、人との距離を縮める方が難しい。
そんな如月ですが、少しずつ美月との時間が増えてきました。
今回の借り物競走は、美月にとってはただの体育祭の思い出かもしれません。
けれど如月にとっては、思っていた以上に大きな出来事だったのかもしれません。
次話もよろしくお願いします。




