表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/95

014●背中を見る者

スタジアムは熱気と歓声に包まれていた。

芝の匂い、観客のざわめき、空気の振動

・・・すべてが、戦いの始まりを告げていた。


ワールドカップ予選の第3戦。

彼は代表チームの一員として、ピッチに立っていた。

入場の時、選手たちは子どもたちと手をつないで歩く。

彼の隣には、地元のサッカーチーム所属の少年がいた。

少年は、彼の顔をちらりと見上げた。

目には憧れと、ほんの少しの緊張が混じっていた。


試合が始まる。相手は強豪国。技術もスピードも一級品だ。

彼は、ボールをさばきながら仲間と連携を取り、守備と攻撃を繰り返す。

競り合い、共に転倒する。

その時、前半終了の笛がなる。すると、相手が軽く肩を叩いてきた。

「ナイスディフェンス。」

彼はすぐに言葉を返す。

「ありがとう。いい試合にしよう。」


後半、彼はゴール前で絶好のチャンスを迎えた。

力づくで無理やり突破せず、冷静に味方にパスを出す。

そのパスが決まり、ゴール!だが、惜しい、オフサイド。

彼は観客席を見上げた。

そこには、あの少年がいた。両手を振って、満面の笑みを浮かべていた。


彼は思う。

子どもたちに、誇れる自分でありたい。

その瞳が、未来を見ている。

その唇が、僕たちに問いかけている。


スポーツは、

人間の闘争本能を社会的に許容された形で昇華する手段である、と言う。

フロイトの昇華理論では、攻撃性や競争心などの本能的衝動が、

文化的活動に置き換えられることで社会的に受容される、とされている。

暴力や戦争の代替として機能し、精神的安定や秩序の維持にも寄与するのだ。

一方で、過剰な競争心が暴力を招くこともある。

サッカーでは、選手が子どもと手をつないで入場するのは、

子どもの存在が倫理的抑制力となり、

スポーツの教育的・文化的価値を強調することを期待している、とも言われる。

どんな時代、どんな場所でも、子どもは大人の背を見て育つのだ。


「いい試合だったな。」

「そうですね。楽しかった!」

「だがよ、2人で来てよかったのか?」

「たまには息抜きも必要ですからね。」


えっ、ジンといると息抜きが要るのか、ココア?


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ