救いと再来
サファイアの月12日【インセクトフォレスト】 午前10時58分
この世界は甘くない。
魑魅魍魎が跋扈し、百鬼夜行が横行するこの世界。
ひ弱な人間は瞬く間にその悪意に呑まれ命を落とす。
弱肉強食。それがこの世界の絶対の法則である。
……ただしその法則はなにも人間に限った話ではない。
絶対的強者である魔獣。
そんな彼らでさえ、より強力な『モノ』の前では……。
「ッたく、ほんと惚れ惚れするようなタイミングだよな、おい……濡れるぞ」
視界が真っ赤に染まると同時に、生温かく鉄臭いにおいのする液体が全身に降りかかってきた。
「……え?」
全身から力が抜け、口からは全く意味の無い言葉が漏れる。
「JCが……四人…………ふう。全力で走って来たかいがあるってもんだな」
カシャーン、と言う音が響き、一刀の元に切断された【ブラッティマンティス】の真っ赤な鎌とその頭部が地面に落ち、砕け、青いポリゴン片となって消える。
「……なにが……?」
目の前の『死』が、【ブラッティマンティス】がゆっくりと崩れ落ちてゆく。
「ん、そろそろコイツも消えちまうか。そんじゃ少しごめんよ、っと」
そして、その言葉と共に高校生ぐらいの男の人が【ブラッティマンティス】から飛び降りるや否や呆然としている私の体を抱き上げて……!?
「っな!? な、何をするのですか!? 降ろして、いや、ちょっと、変なところ触らないでください!!」
「ちょ、ばか、やめろ、暴れんな!? 落ちるから、落ちちゃうから! ひっかくな、肘鉄はやめろ、頭突きはやめてぇ!?」
気が付けば無理矢理男の人に抱きかかえられ(しかもお姫様抱っこ!!)、必死に抵抗していたのだが、
パリィィィィィィィィィィィィィィン!!!
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
後ろから【ブラッティマンティス】本体が爆散する音が響き渡り、思わず全力でその男の人の首に腕を回し抱き着いてしまう。
「ぐふっ? 締まってる、締まってるから!! だが慎ましやかながらも柔わっこいアレも当っているからプラマイゼロか!?」
「きゃあ! きゃあ! きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
私を抱きかかえている男の人が何かを叫んでいるようだったが、今の私には全く耳に入ってこなかった。
理不尽な悪意、スローターによる絶望的な罠、目の前まで迫った『死』、真っ赤に染まった視界、【ブラッディマンティス】を一撃で葬り去った謎のプレイヤー、そして背後から聞こえた爆音により、私は今までの反動もあって完全にパニックに陥ってしまっていた。
「ふう。これぐらい離れれば大じょ……痛い! ほんとに痛いからこれ以上引っ掻かないで!! ちょっとそこの子たち、な、何とかしてくれ」
「え? あ、はい! レン、レンしっかりして! もう大丈夫だから」
「? ラン? あ……あれ。私、私は助かったの?」
「うん。大丈夫、この人が助けてくれたんだよ」
その言葉に私はゆっくりと、だが確実に落ち着きを取り戻してゆく。
「ふぇ……私レンちゃんが、し、死んじゃうかと……あの、本当に大丈夫、だよね」
「レンちゃんしっかり、私達の事ちゃんと覚えてる?」
「ピ、ピ?」
「……リン……ルン……ぴよちゃん」
一人ひとり確認するように、顔を見てその名前を口にするごとに、全身に生きている、助かったんだと言う実感が湧いてくる。
そうだ。私はあの『死』を逃れ助かったんだ。またみんなと一緒になれたんだ。そうだ、だから、絶対にもう大丈夫……
「ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!」
そんな儚い願いは、仲間を殺された憎しみに満ちた奇声に引き裂かれた。
虫どもはまたしても半円状に私達を取り囲み、今度こそ肉を喰らおうと複眼をギラつかせこちらの様子をうかがっているようだった。
先ほどとほとんど何も変わらない絶体絶命の状況。
ただ前回ほんの僅かに違う点が二点。
一つは正体不明のプレイヤーが一人追加されていること。
そしてそのプレイヤーがこんな状況の中で不敵に笑っていること。
……この二つが先ほどまでの絶望的な空気を跡形もなく吹き飛ばしていた。
「さーてと、とっとと終わらせますか」
そう言うとその男の人は軽快に手足をプラプラとさせ、首を左右に振り何度かゴキゴキと鳴らした。
その様子はふらっとどこかへ遊びに行くような、そのため事前に軽い準備運動を済ませておこうとしているようにしか見えなかった。
だがもしその予感が本当なら、彼が今から向かおうとしているのは間違い。
「正気なのですかあなたは!? あんな大量な虫の中に飛び込んで行って無事ですむわけがないでしょう! ここは相手の出方を待って迎え撃つべきです!」
「おいおい、よく見ろよ。『大量の虫』じゃなくて『31匹の虫』、それに迎え撃とうにも間違いなく数に押しつぶされると思うぜ。それとこっちは要望になるが、次からは『あなた』じゃなく『ヤマトせんぱーい♡』って呼んでくれ」
だがその人(ヤマトと言うらしい)は私の言葉に軽く首を振って、理解の悪い子に諭すような声で答えになっていないことを答える。
そして固まってしまっている私達を後目に、ヤマトさんは両手を大きく広げ目の前に数千、数万の観客がいるかのように、大仰で芝居がかった仕草で高らかに名乗りを上げる。
「……レディィィィィィィィィィース、エーンド、ジェントルメーーーーーーーーン。イーッッッッッッッッツア、ショーウタァァァァァァァァァァァァァーイム!!! これから始まりますはミィィィィィィィィスターヤマトによる……………………」
そこで言葉をいったん区切ると、
「キルゼムオールだ……虫ケラども」
完全に極まった顔で虫たちの群れの中に躍り込んでいった。
◇ ◇
「キルゼムオールだ……虫ケラども!!」
……決まった。完璧、パーフェクト、完全、最っ高に格好良い!! 超気持ちい!! 正直ちょっとトリップしてイキかけた。傍から見るとかなり芝居臭いだろうが、頼れる年上のお兄さんに憧れるあのぐらいのJCには丁度いいだろう。
最高の気分のまま一気に躍り込むと、手始めに最も近くにいた【刃飛蝗】を一息で真っ二つに両断する。さらに勢いを殺すことなく方向転換、俺の最高速度についてこれず無防備な姿をさらす【酸化蝶】と【甲冑蟻】に《スラッシュ》を叩きこむ。
そこでようやく周りの虫が反応し、こちらへ一斉に得物を向けるが、それらが襲ってくる前にさらに奥へ奥へともぐりこむ。それと同時に《アクロバット》を叩きこみ、動きが一瞬鈍ったところで《スラッシュ》を使い確実に一匹一匹葬ってゆく。
『一撃一殺』それがこの森における俺の戦闘スタイルである。
「ギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイ!?」
そこでようやく俺がそれまで戦っていた四人とはスタイルや強さが全く別物だとゆうことを理解したのか、それまでの一方的な捕食者の余裕に満ちたそれと違って困惑しているかのような奇声を上げる。
その警戒心は正しい、しかし今となっては遅すぎる。
この奇襲により今までで俺は無傷で九匹の虫を屠った。しかもまだ俺は圧倒的に優位な立場にあり、また一匹、もう一匹と虫どもは数を減らしていっている。
さらに二匹の虫を葬ったところで、少し虫との距離が開いたためバックステップを使い後方で唖然としている四人組のところに戻り話しかけることにする。
「なあ、お前らまだ戦えるか?」
「え? あの私はHPポーションがあと二本ぐらいで……他の子たちも同じぐらいしか残ってません……」
「そうか。ならこいつできちんと回復して、余った分は持っとけ」
そう言ってオブジェクト化したポーションをその四人のリーダーらしき《剣士》の少女に袋に入れて投げ渡す。
「……………………………………は?」
「あー、わりぃ。俺ってソロの剣士だもんでMPポーションはほとんど持ってねえんだわ。悪いな」
「そうじゃなくて! なんでこんなにもくれるんですか!? ポーションはフィールドにおける命綱なんですよ!? それにあなたほどの強さなら残りの虫も余裕そうじゃないですか」
「んー念のための保険……かな。まあ十中八九当たってそうで怖いんだけどな」
「…………?」
「そんじゃ、残りの虫どもも殲滅してくるから。ちゃんと回復だけ済ませとけよッ!!」
そう言い捨て、まだ何か言い足りなさそうな四人を後に、俺はもう一度目の前の虫たちの群れの中へと飛び込んでいった。
◇ ◇
……私は今夢を見ているのだろうか。
……それとも死を目前にして都合のいい幻想でも見ているのではないか。
目の前の光景を見た私の頭に浮かんできたのはそんな考えばかりであった。
だってそうとしか考えられない。
私達の絶体絶命のピンチに他のプレイヤーがやって来るなんて。
その人が自分の危険を顧みず私達を救おうとしてくれるなんて。
……たった一人で三十匹以上もの虫の大群を全滅させるなんて。
そんなご都合主義のような主人公何ている訳が……
「フゥーハッハッハッハッハッハッハッァァァー!! ぬるい! ぬるすぎるぞキサマ等ァァァァァァァァ!!! どうしたもっと骨のある奴は、俺を楽しませる奴はいないのかァァァァァァァァァ!!!」
…………うん。いる訳がない。あんな奴が主人公だなんて私は絶対に認めない。絶対にだ。
「……すごい。いったい何物なのあの人?」
「さあ。少なくとも人の体を勝手に触る変態なのは間違いないでしょ」
「いや……そうゆうことじゃなくて、あの人の、戦い方のこと」
? ランに言われてもう一度目の前の戦いに目を向ける。
「ほえー、すごいよねーあの人。たった一人であんないっぱい虫がいる中にいるのに全然攻撃が当たってないよー」
「そ、それにほとんど虫たちを剣の一撃で倒しています。その前に一、二回体術のスキルのようなものを使っているみたいですけど、それでもすごいです!」
なるほど。確かに十数匹の虫に囲まれながらも一回も攻撃を喰らっていないようだし、HPが低い虫とはいえほとんど一撃で倒しているのは異様な光景である。
それどころかあんな台詞を吐いたり、卑猥な指の形を作り挑発し、表情にもまだまだ余裕がうかがわれる。
いったいどれほどのレベル差があればあれほど一方的な状況を作り出せるのか。
「うん。だけど一番すごいのはあの状況の作り出し方だよ」
「状況の……作り出し方?」
「そう。あの人、ヤマトさんの戦い方はものすごく基本に忠実なの。つまり相手の攻撃を最小限のギリギリのところでよけて反撃、素早く的確な軽い攻撃で相手のバランスを崩して弱いところに本命の一撃。そんな《剣士》の理想的な戦い方をしている」
「けどそれってー、当たり前の事じゃないの?」
「確かに当たり前の事。だけど実際にそれができる人なんてほんの一握りもいないわ。実際目の前で武器を振り回されたら動きは強張るし、正面にしか敵がいないなんて状況の方が珍しいし……だけどあの人はその理想をかなり高いレベルで達成しているのよ」
そうこう話している間にも、虫たちは着実にその数を減らしていき、今では僅か五匹しか残っていなかった。もしこれなら彼が何らかの理由でやられてしまったとしても(まあそんなことになりそうになったら助けに入るとは思うが)、今の私達で十分対処できる数である。
そうすると……
「これからどうするべきか、ね」
「んー? どうするべきってどうゆうことー?」
「決まってるでしょ。あのヤマトって言う男をどうするかって話よ」
「え、えっと、助けてもらったのですからお礼をして、それでできたら一緒に行動してもらうのはどうでしょう。あれだけ強い方なのでもしご一緒してもらえるのなら、安心して町に帰るでしょうし」
確かに、あの頭一つ分どころか、三つ四つ抜けた強さを持つ人物が一緒になればより安全に町まで帰還できるだろう。
だが……
「ちょーっと都合が良すぎる。そう言いたいわけね」
「ええ。スローターにMTPKを仕掛けられて、ギリギリのところで救いが来るなんて、幾らなんでもできすぎだと思いませんか?」
そう、都合が良すぎるのだ。
たまたまスローターにMTPKを仕掛けられて。
たまたま絶体絶命の時に命を助けられて。
たまたまそのプレイヤーがソロで三十匹以上もの虫を全滅させるほどの強さを持っていた。
何て偶然があり得るのだろうか。
「そう考えるとあのヤマトと言う男は、さっきのスローター本人。若しくはその仲間の可能性が高い……そう思わない?」
そこまで話が進むとようやくリンとルンにも私とランが危惧していることが理解できたのだろう、神妙な顔になって黙り込んでしまった。
もし本当にあの男がスローターの仲間だとすれば私達に勝ち目はない。
今度こそ全滅するだろう。
「フゥーハッハッハッハッハッハッハッァァァー!! これでラストォォォ!! 俺と出会ったことを地獄の底で後悔するがいい!!」
そんなバカみたいな高笑いが聞こえると同時に最後の一匹がポリゴン片をまき散らして消滅し、三十数体いた虫たちは一匹残らず全滅していた。
そしてそれは時間切れの合図でもあり、私達が何の答えも覚悟も決めていないままこの男と対峙しなければならないと言うことを指し示していた。
「さーてと、最後の一仕事といきますか……そろそろ隠れてないで出てきたらどうだ? バレてるぜ」
「? いったい何を言っているのですか?」
本当にあの男は何を言っているのだ。辺りを見渡しても誰もいないし、第一《気配探知》には何も引っかかっていない。
ここに居るのは私達四人と目の前にいるヤマトとかいう男だけのはずだ。
「今は完全に気配を消しているがもう遅いっての。さっきの戦闘中ビンビン殺気を感じてたからな。だから……とっとと出てこい!!」
その最後の言葉が終わるや否や、その男は誰もいないはずの空間に向かってナイフを投擲した。
本来なら何の手ごたえもなくナイフが通り過ぎるはずの茂み。だが今回はナイフが通り過ぎるその一瞬、ほんのわずかに何かが動いたような気がした。
それはあたかも、ナイフの軌道上にいた何かがそれを避けるために体を動かしたかのように。
一秒か二秒、今起きた出来事は目の錯覚ではないかと思うほどの沈黙。
「……やはりもっと警戒すべきだったか」
だがそんな沈黙を破るかのように一つの声と人物が現れた。
灰色のコートに感情の籠らない中性的な声。
……私達の命を狙ったスローターがその姿を現した。




