MTPK
サファイアの月12日【インセクトフォレスト】 午前10時31分
私達のいるセーフティエリアに飛び込んできたのは一人のプレイヤーだった。
そのプレイヤーはだぶっとした灰色のコートを身に纏い、フードを目深にかぶっているため男性か女性かの区別が付け難い人物であった。
背丈も160cm前後程であるため、小柄な男性と言われても背の高い女性だと説明されても納得がいくような、そんな中性的な姿をしていた。
さらに不可解なことに今の今までフィールドにいたにもかかわらず、武器はおろか防具すらオブジェクト化しておらず、見た感じまったくの無防備な姿であった。いくらセーフティエリアが近くにあるとはいえ武器や防具のオブジェクト化を解除するのは自殺行為であり、その真意が全く掴めなかった。
ただ、それらの違和感がハッキリと形に現れる前にそのプレイヤーが口火を切った。
その声もまた中性的で感情のまったく籠らない淡々とした声であったが、私達は一斉にその声の主を注視することになる。
「……ギルド《プエッラ》。【西都サンセット】を本拠地とし《剣士》ランをギルドマスターとし《魔獣使い(テイマー)》のルン、〈修道女〉のリン、《白魔術師》のレン、その四人でギルドが構成されている」
「ッ! どうしてそんなことを知っているんですか!?」
動揺からいち早く我に返った私が詰問するが、答えはもう出ているようなものだった。
【西都サンセット】に数多あるギルドの中のこんな小さな、さして名の知られていないギルドのメンバー全員の名前や職業まで知っている、その答えは一つしかない。
虐殺者にPKの標的にされた、それ以外にない。
だけど……
「……いや、それよりもこれは流石に驕っているのではないですか? 私達が疲労していると言っても四対一。それで勝ち目があると思っているのですか」
そう、私の《索敵》には私達と彼(?)以外には何の反応もない。つまり彼は丸腰のまま私達四人と闘う気なのだろう。
その言葉に突然のスローターの登場に固まっていたルンとリンも、すぐにでも戦いを始められるように武器を構えた。
「……ラン! 何があったか知らないけどまずは目の前の敵に集中して!」
さらに、いまだに放心状態で武器を構えようとしないランを覚醒させようと小声で叱咤するものも、ランはスローターを見つめるばかりで私の声が全く耳に入っていないようだった。
流石に不審に思ったが、絶妙なタイミングでスローターがもう一度口を開いたため強制的にそちらに注意をひきつけられることとなった。
「……まさか。そんなつもりはない」
「? だったら、」
「……残念だけど答えている時間はない」
と、その言葉が終わるや否やスローターが一気に正面から突っ込んできた。
隙を突かれたのもあったが、彼は〈AGI〉特化なのか、私達全員が全く反応出来ぬまま数メートルあった距離を一瞬で近距離まで詰めてくる。
そしてコートのポッケに手を突っ込んだかと思うと、少し黄色がかった白くて丸い野球ボール大の球をこちらへ投げつけてきた。
その球体は、グシャッ、と言う音と共に体にぶつかると割れ、中から強烈な臭いのする白濁液を辺り一面にまき散らした。
彼はそれを確認することなく、さらには全くこちらにダメージを一切負わせることなく、ルンとリンの間を駆け抜けてパーティの反対側に飛び出し逃走を始めた。その時ダメ押しとばかりにさらに二つほど白いボールをこちらに向かって投げつけてきて、ランに命中し、ルンとリンの間に落ちて中身の白濁液が二人にぶっかかることとなった。
「ッ!? 一体これは何の真似ですか!?」
怒りと困惑、その二つの感情からこちらから背を向けて逃げ出そうとしているスローターに向かって罵声を浴びせかけた。
この世界のトッププレイヤーであるスローターに狙われ、何故かその相手が一切の危害を加えることなく立ち去ろうとしているのにもかかわらず、それでもあえて危険を冒して声をかける。
全く不合理なことでも、それでも、私は声をかけずにはいられなかった。
彼はその言葉が聞こえたのか、走り去ろうとする足を止め、ほんの少し振り返って小さく口を動かした。
彼が何を言ったか、その声は耳に届くことはなかったが見間違いでなければ彼はこう言ったのだろう。
『……すぐにわかる』
そしてその一言分だけ口を動かした後は、今度こそ振り返ることなく走り去ってセーフティエリアを飛び出していった。
そして後に残されたのは全身に謎の白濁液がぶっかけられた私達だけとなった。
「うぇぇー。なんなのこれー? 白くて、ベトベトして、にがーい」
「あ、あのルンちゃん。その言い方は色々誤解を生むってゆうか、変な想像をしちゃうってゆうか、その、あぅあぅ」
「もう、二人とも馬鹿なこと言ってないの。顔や髪にかかったのはしょうがないけどとりあえず着替えるわよ……そうだ、ラン、あのプレイヤー今どこにいるかわかる? 確かまだ《気配探知》発動したままだったわよね……? どうしたのラン、一体どこを見て……」
私のその台詞は、最後まで言い切る前に中断されることとなった。
ランはフィールドでも見たことのないほどの緊張感を漂わせた表情である一点、すなわち私達に白くて丸い球体を投げつけ中身の白濁液をぶっかけたスローターがやってきた方向を凝視していた。
その視線につられて、私たち全員がそちらを向いた瞬間見えた物は……
「キシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
信じられないほどの昆虫の大群が奇声を上げ、絶対安全であるはずのセーフティエリアへと侵入してくる光景だった。
◇ ◇
王立図書館蔵書『カーリオン国内における風土・気候・魔獣の生態』より抜粋。
【インセクトフォレスト】はその名の通り、多種多様なる昆虫が森を支配するヒト及び亜人種にとって非常に危険な森である。この森では温暖な気候や豊富な食料、さらに森に満ちる強力な魔素の影響により多くの昆虫が巨大化し魔獣となっている。
それら昆虫は魔獣となったために多量のエネルギー消費を必要とすることとなり、本来は草食の昆虫さえも魔獣化した折には飢えて凶暴化し、効率よくエネルギーを摂取するため肉食を行うようになってしまっている。
しかしこの森には豊富な栄養を持つ多量の肉を持つ亜人型モンスターの数が少なく、人もめったに立ち入らない深い森である。そのため彼らの主な主食となっているのは同種の昆虫、特にその幼虫がターゲットとなっている。成虫と幼虫では体の大きさ、力の強さ、凶暴さなど比べ物にならず格好の獲物となっているのである。
そのためこの森の昆虫は子孫を残すため、数多くの卵を産むのではなく少数の卵を子育てすると言った他の場所の昆虫では見ることがない特殊な特徴を持っている。
そして彼らはその特徴故に、自分の卵や幼虫に手を出す生き物に対し圧倒的な攻撃性を併せ持っている。
特に彼らは自らが生んだ卵に危害を加えた外敵を決して許すことはない。
◇ ◇
「キシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
そんな奇声と共に、十数体もの昆虫がセーフティエリアに侵入してくる、そんなありえない光景を目の当たりにしつつも、私の心は全く違うことを考えていた。
どうして《気配探知》をしていたランがいきなり固まってしまったのか。
どうしてあのスローターは丸腰でフィールドにいたのか。
どうしてあのスローターは私達になんの被害も加えずに立ち去って行ったのか。
どうして絶対安全であるはずのセーフティエリアに敵モブが入って来れたのか。
その答えは、MPK。この世界で最も忌むべき行為の一つ。
「みんな! 今すぐ逃げるわよ! 全力で逃げればもしかしたら……」
「ッッッッッッッアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ!!!」
この状況にいち早く反応したのはこうなるであろうと分かっていたランだったが、昆虫たちの怒りの籠った鳴き声に続く言葉をかき消されてしまった。
この昆虫たちはさっきのスローターを狙ってここへやってきたのだから、私達はまだターゲットにされていない、そんな淡い期待も全く通用しないそんな鳴き声だった。
その証拠に彼らの複眼は燃えるかのように赤く輝き、ジジジジジッ、とこちらに向かって威嚇するように羽を震わせる。
「あ、ああ、ああああああああああああああああああああ!!?」
「! リン落ち着いて! ランとルンは足止めに徹して、私が最大魔法を連発するからその時間稼ぎをお願い!」
リンが完全に心が折れてしまったかのように悲鳴を上げる。人一倍臆病なリンなのできちんととフォローしてあげるべきだと思うのだが、この状況はそれすらも許さない。
ただ幸いなことにランとルンは片手剣と盾、短剣とぴよちゃんを戦闘状態にすることで自らの仕事をこなそうと行動に移してくれた。
「キシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
「ハアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
「イヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ」
奇声をあげ先陣を切って襲ってきたカマキリ型のモブ【クリムゾンマンティス】を、同じく雄叫びを上げランとルンが迎え撃ち戦いの幕は切って落とされた。
◇ ◇
「呪文が終わった! 射線を外して!」
私のその声に前衛で戦っていたランとルンの二人が、目の前で闘っている【ジャイアントアント】に強烈な一撃を与えて一気に飛びのいた。
「聖なる光を持って敵を滅せよ! 《ホーリーブラスト》!」
その言葉と同時に構えた杖から眩いばかりの純白な光の束が飛び出して【ジャイアントアント】を貫き、その少し奥の地面に当たって小規模な閃光と衝撃波を伴い爆発した。
「ギュィィィィィィィィ」
「ギュギュギャァァァァ」
「キィィィィィィィィィ」
その爆発に巻き込まれさらに数体の昆虫が爆散し、ポリゴンをまき散らしたがそれでもまだ二十匹以上の昆虫が残っていた。
その残りの昆虫等もまだ戦意を失っていないのか、遠巻きに様子をうかがいながらも隙あらば一斉に襲い掛かろうと虎視眈々と私達を狙っているようだった。
「ハァ……ハァ……ねぇ、ポーション後どのくらい残ってる?」
「私は、MP回復用があと二本だけ。ルンとリンは?」
「私は普通のが一本しかないし、ぴよちゃんももう飛べないみたい」
「わ、私もHPとMP共に一本ずつしか残ってません」
「……それで私はHPが二本。このままならギリギリ大丈……夫、かな?」
ランは引き攣った笑顔でそう嘯くが、それがやせ我慢だと言うことは誰の目にも明らかだった。もしこれから、相手からの攻撃を一切喰らわなかったとしてもMPとSPが尽きる方が先だろう。ポーション以外の使えそうなアイテムもまだいくつか残ってはいるものの、それらも残り数少なく現状を打破できるほどではない。
「大丈夫、いつもみたいに皆がきちんと役割をこなせば切り抜けられるって……それじゃあ、来るよ!」
その言葉を皮切りに昆虫どもが一斉に雪崩を打って襲い掛かってきた。
その中の先頭で突っ込んできた【クリムゾンマンティス】の一撃を、正面から受け止めるのではなく、真横から叩くように受け流す。ランもルンも〈STR(筋力)〉よりも〈AGI(敏捷)〉に特化した前衛なので力任せの戦いはあまり得意ではない。そのため相手の攻撃を躱し、受け流してバランスを崩したところで強力な一撃を叩きこみ、私が魔法による追撃でとどめを指すのが基本戦術となっている。
私の仕事は素早く正確に呪文を唱える事。その速さと正確さが私たちパーティの要となっている。だからランとルンが稼いでくれる貴重な時間を無駄にしないように……
「きゃあああああああ!?」
ルンの悲鳴により集中が途切れ、一心不乱に唱えていた呪文が中断し魔法の発動が失敗した。
慌てて前方に目を向けると、【クリムゾンマンティス】より一回り大きく、より暗い体色をしたカマキリがルンを宙に吹き飛ばしていた。
「くっ、うううううううっ!?」
そして一人で何とか前衛を保とうとしていたランも、何とか数合は剣と鎌を打ち合っていたがカマキリの圧倒的な力の前に後方へと吹き飛ばされてしまう。
「ギギギギギギギギギギギギギギギィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!」
暗褐色のカマキリは勝利の雄叫びを上げると次なる獲物、すなわち魔法の詠唱に失敗し前衛が崩壊するのを為すすべなく眺めていることしかできなかった、私へと狙いを定めたようだった。
私は動くことも出来ぬまま、ただただカマキリの形をした『死』が近づいてくるのを見ているほかなかった。そしてそのカマキリの細部まで、どこかで見たことがあるような体色が確認できるほど近づいてきた時、その『死』の名前が目の前に表示される。
【ブラッディマンティス】どこかで見たことがあるその体色は、これまで喰らってきた獲物の血の色であった。
「レンちゃん、退がって!! もう一度体勢を立て直そう!!」
後ろからリンがらしくない、怒鳴るような鬼気迫った声で声をかけてくるが、
「ギギギギギギギギギギギギギギギィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!」
そんな抵抗すらも嘲笑うかのように、両手の鎌を振り上げ獲物を喰らう喜悦に満ちた奇声を上げる【ブラッティマンティス】を見て。
……私の精神は完全に折れてしまっていた。
「…………て………………ちゃ……! お…………い…………!!」
「は………………に…………! ……だ……………………!!!」
「……ん………………よ!! ……………………きら………………!!」
ラン達の声もどこか遠くの方から、途切れ途切れにしか聞こえない。
間違いなくここで私の人生は終わる。
……怖い。私は死ぬのが怖い。
身体から力が抜け、杖を取り落とし地面にへたり込んでしまう。
そしてそこから私の命を狩る『死』を見つめる。
ああ、あの鎌が私の首を斬り落とし、四肢を切り刻むのだろう。
ああ、あの咢が私の臓物を喰らい、骨を噛み砕くのだろう。
ああ、そして私の血液があの『死』の色を一層濃く、鮮やかに染めるのだろう。
ああ、私は、いや『私達』は、ここであの『悪意』に呑まれてここに沈むのだろう。
「私は……」
一筋の涙が頬を伝った。
「…………まだ生きていたかった」
そして私の目の前で『死』の振り上げた鎌が振り落とされ、
「容易い願いだな」
……世界が真っ赤に染まった。




