六 常識
「勇者様なんてことをしたんですか!オークション会場をめちゃくちゃにするなんて!」
耳元でリトが叫び、鼓膜が嫌と言うほど震えた。今日ばかりは自分でも後悔があるため強く出られなかった。反省の態度を示すために、体育座りをして小さく縮こまる。
「悪かったって。まあ、とりあえず捕まらなかったことだし、明日のことは明日考えよう」
俺は現実逃避をするためにクロとレオに視線を向けた。獣人同士通ずるものがあるのか、二人は仲睦まじい様子で夕食をとっていた。今日の夕食は焼き魚だ。新鮮な魚を買ったため財布の中身は空っぽになってしまったが、クロとの約束を守るためには仕方なかった。
「この魚おいしい!もっと食べたい!」
「あんまり早く食べると喉に詰まらせるよ?ゆっくりね」
「うん!」
まるで兄弟のように、クロが甲斐甲斐しく世話をして、レオがそれに甘えている。小動物の戯れを見ているような気分になり、温かな気持ちになった。
しかし、そんな悠長なことを言っている場合ではない。オークション会場から連れてきてしまったレオをどうするか決めなければいけなかった。俺は今後について考えるためにレオへ質問を投げかけた。
「なあ、レオは今までどこに住んでたんだ?家に帰してやりたいけど場所がわからないとどうにもできないぞ」
「んー、お家には帰らなくていいかな。帰ってくるなって言われたから」
「え?」
「ご主人様にお前はもういらないから帰ってくるなって言われて、それで森を歩いていたら捕まっちゃったんだよね」
レオはにっこりと笑ったが、その笑顔の奥に悲しみが滲んでいた。どうやら彼は飼い主に捨てられてしまったらしい。こんな可愛らしい獣人を捨てるなんて、どんな神経をしているのだろうか。まったく理解できず、飼い主の元に帰してあげるという選択肢は一瞬でなくなった。
「じゃあどこに行きたい?」
「命令してくれればそこにいくよ」
「命令じゃなくてお前はどうしたいんだ?」
「自分で決めたことないから、わかんない」
レオはきょとんとした顔で答えた。ふと思い出したのはオークション会場で聞いたレオの言葉だった。彼は「命令して?じゃないと俺どこにも行けないから!」と言っていた。その時の違和感と似たものが胸の中に渦巻いていた。
レオには自分の意思というものがない。犬の獣人の宿命なのか、それとも自由な意思を奪われるほど酷い飼い主に飼われていたのか、理由はわからないが、健全な状態でないのは確かだ。
「ヒイラギ、ちょっと」
クロは立ち上がってレオから離れた場所に行き、手招きして俺を呼んだ。どうやら彼には聞かれたくない話があるらしい。俺は大人しくクロの元へと歩み寄った。
「ねえ、あの子も連れていってあげたら?どうせかわいそうとか思ってるんでしょ?」
「……連れて行くのは簡単だけど、それじゃあだめだと思うんだ。俺が言ったら素直についてきてくれるはずだけど、あいつの意思じゃなくて、命令されたからついて来るだけだろ?それって良くないんじゃないかと思って」
「ヒイラギってそういうこと考えられるんだね」
「俺のことなんだと思ってるんだ?」
失礼な言い草をするクロの頭をくしゃくしゃと撫でてやる。やぶさかではないのか、一切抵抗せずに「やめてよ」と睨みつけてくる。素直じゃないクロに微笑みかけながら、素直すぎるレオに視線を移した。
「よし、決めた。まずは三日間俺たちと過ごしてもらう」
「それが命令?わかった!」
「それで三日後、もっと一緒にいたいと思ったかどうか確認する。もし一緒にいたくないって思ったら、その時は新しく住む場所を探してやる」
「俺の気持ち次第ってこと?そういうの苦手なんだけど……」
「命令だぞ」
「命令なら仕方ないね!わかった!」
命令と言えば何でも言うことを聞いてしまう従順さが少し恐ろしかった。もしも悪いやつに捕まってしまったら、レオはなんでも言うことを聞くだろう。自分の意思がないということは、自分で身を守れないということだ。彼が自分の意思を取り戻せるようになるまで守ってやる必要がある。
「よろしくな、ご主人様」
レオは俺を見て満面の笑みを浮かべた。ご主人様という響きについ鼓動が速くなる。なんだかいけない関係を結んでしまったような気がした。悪くないなと思い鼻の下が伸びたが、すぐに我に返った。
とにかく、三人と一匹で生き残るためにはお金を稼ぐ必要がある。俺はリトに頼んで本を出してもらい、すぐに働ける仕事を探した。
「明日からは全員で仕事をするぞ。まずは果物の収穫の手伝いだ」
俺の話を聞いて、レオは「わかった!」と跳ねるような声色で言った。対照的にクロは気だるげに「はいはい」とだけ返してきた。太陽と月のように二人の性格は異なっているが、その違いが面白くて、愛おしかった。
「ご主人様、りんごいっぱい取ったー!」
遠くからカゴを抱えたレオが走り寄ってきた。カゴには溢れんばかりのリンゴが積まれている。そんなに走ったらリンゴが落ちるのではないかと心配していると、案の定カゴからリンゴがこぼれ落ちた。それを拾おうとして身体のバランスを崩し、最終的にはレオがド派手に転んでしまった。
俺はすぐに彼へ駆け寄り手を差し出した。こちらを見上げてくる彼の目は、なにかに怯えているようだった。
「大丈夫か?怪我は?」
「へへ、失敗しちゃった。お仕置きしていいよ」
「お仕置き?」
「悪いことしたときはお仕置きされないといけないんだよ」
「……前の飼い主にはされてたのか?」
「うん、ごはん減らされたり、叩かれたりしてた」
レオは当然だというのに平坦な声で言った。きっと彼の世界ではそれが普通だったのだろう。俺はなんと声をかけてやればいいか迷い、しばらく黙り込んだ。「ご主人様?」と地面に寝転がったレオが呼びかけてくる。こちらを見上げる目は純粋無垢で何も知らない子どものようだった。
「レオ、俺はお仕置きなんてしない。失敗はいくらでもしていいからな」
「どうして?悪いことしたらお仕置きされないとダメなのに」
「俺は前の飼い主とは違うんだ」
「……わかんない」
変化を受け入れられないのか、レオは戸惑ったような表情で立ち上がった。リンゴを一つ一つ拾いながら尻尾を垂れ下げていた。
「ヒイラギといると、自分が自分じゃなくなっちゃいそうで、なんか嫌だ」
レオが口にしたのは嫌悪感だった。彼は自分が生きてきた常識が崩れるのを恐れているようだ。もしも彼の嫌悪感をぬぐえないまま二日後になってしまったら、一緒にいることはできないかもしれない。それとも、命令だと言えばどこまでもついてきてくれるだろうか。
それだけは嫌だ。それでは命令という鎖でレオを繋いでいた前の飼い主と同じである。
「お前の嫌だって気持ちも受け入れるよ。だからこれからも素直な気持ちを聞かせてくれ」
俺は拾い上げたリンゴを差し出しながら言った。レオはそれを受け取って「うん」とだけ答えた。彼の中で何かが変わり始めたことを願いながら頭を撫でる。彼は少し驚いたように目を見開いたが、すぐにその目を細めて嬉しそうに笑った。尻尾が激しく揺れているのを見て、俺は心から安堵したのだった。




