五 従順
「すみませんでした」
クロは店主に向かって深々と頭を下げた。緊張しているのか、イカ耳になっており尻尾は体に巻き付いている。俺はその隣で一緒に頭を下げた。なぜかリトまで頭を下げている。
「今回だけは許してやる。でも次からはないからな」
「ありがとうございます。あの、お代はお支払いしますんで、こちらの剣譲っていただけませんか」
俺はクロの盗んだ剣を持って店主に交渉した。予想外だったのか、クロは目をまん丸にして驚いていた。
俺が欲しかったのは別の剣だ。いかにも勇者らしい装飾の施された剣に、未練がないと言ったら嘘になる。でもこの剣はクロにとって大切なものだろう。それなら限られた資金で、この剣を買ったほうがいい。
「金を払ってくれればいいぞ。そいつも反省してるみたいだしな。持ってけよ」
俺は金と引き換えに剣を受け取り、それをクロに手渡した。彼はその剣をじっと見つめ、大事そうに柄を握った。
「ありがとうございます」
クロは柔らかい微笑みを浮かべた。珍しい表情に驚きつつ、くしゃくしゃと頭を撫でる。抵抗しない彼を見て、この剣を買ってよかったと心から思った。
店を出て市場を歩く。今日も多くの行き交う人で賑わっている。当初の予定では武器などを調達してすぐに冒険へ出るつもりだったが、深刻な資金不足のためそうも言っていられなくなった。
「許してもらえてよかったな」
俺は隣を歩くクロに話しかけた。クロは剣を握ったまま、何かを考えるように真剣な顔つきをしていた。どうしたのかと問いかけようとしたが、先にクロが口を開いたのだった。
「この剣、ヒイラギが持ってて」
「え?」
「重たいし、鉄くさいし、それに……守ってくれるんでしょ、僕のこと」
クロはこちらを見上げて言った。うっすらと頬が赤いのは熱のせいではない。もうすっかり元気になった彼の恥じらいを表しているのだろう。
俺は差し出された剣を受け取った。それを背負えばずっしりとした重みが体に乗った。守る責任の重さと、信頼された喜びを噛み締めながら、俺は再び歩き始めた。
「よし、とりあえず仕事探すか。剣を買ったせいで財布が空っぽだからな」
「勇者様、お仕事探しはわたくしにお任せください!」
ここぞとばかりにリトが声を上げた。一冊の本が空中に浮いて、あるページが開かれる。どうやらここから仕事が選べるようだった。
宝石屋の警備、果物の収穫、刀鍛冶の手伝いなど、様々な仕事が書き記されていた。どれも報酬は似たり寄ったりである。決め手がなく、どれも目を滑っていった。
「見て、この求人すごい報酬が高いよ」
クロが指で指し示したのはオークションを手伝う仕事だった。他の仕事と比べて飛び抜けて高い報酬が提示されている。しかも働く時間は短く、仕事内容も簡潔にまとめられていた。
「オークションの手伝いってなにするんだ?」
「お答えしましょう!オークションの管理人とは大切な商品が盗まれないよう監視したり、オークション会場の設営をしたり、オークションのお手伝いをするお仕事です!」
「簡単そうだな。これにするか」
「ちょっと待って。こんなに報酬高いなんて怪しくない?」
クロは眉をひそめた。警戒心の強い猫らしい表情である。たしかに怪しい雰囲気が漂っているが、なぜかこの仕事から目を離せなかった。簡単そうだし、なにより報酬が高い。今はとにかくお金を稼ぐのが最優先だ。
「大丈夫だろ。オークション会場なんて金持ちしかいないし、客層も悪くないはず」
「……僕は嫌だからね」
「俺一人で行くから気にするな」
クロには危ないことをさせないと約束しているため、俺は一人でこの仕事をするつもりだった。一週間も働けば十分な資金を手に入れられるだろう。
さっそく応募しようかと考えていると、突然クロが俺の服の裾を掴んだ。まるで制止するような仕草だった。よほどこの仕事を選んでほしくないのかもしれない。裾を掴む指先を見てつい決意が揺らいでしまった。
「危ないことがあったらすぐ帰ってくるから。な?」
「……募集人数、二人になってるよね」
「まあ、そうだな」
「……僕も行く。なにかあっても、二人なら対応できるだろうし」
「もしかして心配してくれたのか?」
問いかけにクロは答えなかった。ただ一気に顔が赤くなり「馬鹿じゃないの」とだけ吐き捨てた。裾を掴む手は離れていってしまったが、それでも彼の優しさを感じることができた。愛おしさのあまり頭をくしゃくしゃと撫でてしまった。
「じゃあ二人で応募するか」
「わたくしめをお忘れですか!」
空気を読むという概念すらしないリトが叫んだ。さすがにリスが応募できる仕事はないだろうが、肩に乗せておくくらいは許されるだろう。某ねずみもコック帽の中に隠れて料理をしていたことだし。
俺たちは早速オークション会場へと向かった。てっきり市場のほうで行われるかと思いきや、どんどん郊外へと向かっていた。地図に従って歩いていると、徐々に日が暮れて遠くでカラスが鳴き始めていた。
「絶対なにかあるよ」
「クロは心配性だな。なにもないよ。賭けたっていいくらいだ」
「何をかけてくれるの?」
「そうだな、俺が間違ってたらほしいものなんでも一つ買ってやるよ」
得意げに笑いかけた俺は、根拠のない圧倒的な自信を持っていた。こう見えて運は良いほうなのだ。トラックに轢かれたという不運さえ目をつぶればの話だが。
いや、トラックに轢かれたのは結果的に幸運だったのかもしれない。窮屈な世界からはじき出されて、素晴らしい異世界にやってこられたのだから。
「闇市の大目玉、闇オークションへようこそお越しくださいました!本日もエルフやサキュバスなど、上質な奴隷が勢ぞろいでございます!滅多に出会えない種類の獣人も出品されますから、ぜひ最後までお楽しみください!」
絶望的な挨拶の後、観客席から雄叫びが上がった。酷く高揚しているもの、歩けないほど泥酔しているもの、異常な目つきをしているもの、客層は様々である。一つだけ共通しているのは、闇市という場にふさわしい恰好をしていることだけだ。
会場の裏で俺はうなだれていた。明らかにやばい客しかいない。そもそも人身売買なんて犯罪に決まっている。
「僕、おいしい魚がほしい」
「……後で買ってやる」
まんまと賭けに負けた俺は、クロのほしいものを買ってやることになった。さらに財布の中身は寂しくなるだろう。こうなったらこの危険な仕事を遂行して、お金を稼ぐしかない。俺は無理やり気持ちを切り替えた。
「それにしても、こんな堂々と人身売買されてるとは、さすが異世界だな」
俺は周囲に目をやった。会場の裏には沢山の檻が置かれており、中にはこれからオークションにかけられる者たちが閉じ込められていた。そこら中からすすり泣く声が聞こえてくる。良心が痛んだが、下っ端の俺にはどうすこともできなかった。
「ねえ、そこの人間さん」
突然呼びかけられた俺は、近くの檻を覗き込んだ。そこにいたのは目隠しと手錠をさせられた獣人だった。耳はクロのものと違い、ぴんと立っている。しっぽもふさふさとしており、犬の獣人のように見えた。
「この檻の鍵もってない?」
「持ってないけど」
「そ、そんなぁ!逃げられると思ったのに!」
獣人はわかりやすく落胆し、尻尾と耳を垂れさせた。落ち込んでいる彼を見て何と声をかけたらいいか迷ってしまい、とりあえず当たり障りのない話題を選んだ。
「お前は犬の住人か?」
「そう!綺麗な毛色でしょ?この毛色気に入ってるんだ!まあ、この毛色のせいで捕まえられちゃったんだけどね。高く売れるからって」
どうやら話題選びを間違えたらしい。獣人をまた落胆させてしまった。身体を小さくして落ち込んでいる彼に「名前は?」と問いかけた。するとすぐに眩しいほどの笑顔で答えてくれた。
「俺、レオ。よろしく!」
レオと名乗った獣人は黄金色の毛色をしていた。現世にいる犬で言い表すならゴールデンレトリバーが近いだろう。人懐っこい性格もよく似ている。明るいこの獣人を、一体誰がこんな薄暗いところに連れてきたのだろうか。考えると憤りのような熱い感情が腹の底から湧き出てくる。
「なあなあ、奴隷ってどんな仕事?」
「……えっと」
「俺今まで仕事したことないんだ!ずっと広い家で駆け回ってたからさ!こんな狭いところに閉じ込められたの生まれて初めてだよ!」
無邪気な声でレオが言う。ふと現世でいう奴隷の扱いを思い浮かべてしまった。過酷な労働を強いられたり、中には無残に殺されてしまった奴隷もいたはずだ。もしもこの世界でいう奴隷も同じような扱いならば、この眩しい笑顔は簡単に消されてしまうだろう。
俺はレオの質問に答えられず黙り込んだ。ここで嘘をついても、本当のことを言っても、彼を傷つけてしまう。言葉を選ぶことすらできなかった。
急に黙り込んだ俺を心配しているのか、隣にいたクロが俺の手を握ってくれた。温かいその指先に触れていると、嫌でも命の重みを感じた。
「……やっぱり奴隷って怖いお仕事なんだね。だってみんなの泣き声が聞こえるもん」
レオは声を震わせながら言った。引きつった笑顔がとても痛々しかった。否定することもできずに言葉を失った俺は、その場で拳を握りしめた。無力感に襲われたが、自分にはどうすることもできなかった。
俺はその場から逃げ出すように仕事へ戻った。仕事と言っても、オークション中は大人しく商品である彼らを監視するだけだ。壁にもたれたまま、すすり泣く声を聞いていた。
「あの獣人のことかわいそうって思った?助けてあげたいって顔に書いてあるよ」
クロの目が俺の心を見抜く。隣の彼を見下ろせば、まっすぐこちらを見つめていた。全てわかっているとでも言いたげな瞳だ。見透かされた恥ずかしさと、なにもできない情けなさに襲われた。
「助けてやりたいけど、どうやって」
「檻の鍵を見つけるしかないんじゃない?」
「そんなもの簡単に見つかるわけないだろ」
監視役をつけるほど厳重な管理をしているのだ。檻の鍵なんてそう簡単に見つかるはずがない。わずかな可能性にかけて、俺は周りを見渡した。薄暗い視界の中に鍵らしきものは見当たらなかった。
深いため息をついた瞬間、クロが俺のほうを指さした。何を言いたいのかわからず首をかしげると「後ろ」とだけ言われた。恐る恐る背後の壁を見ると、そこには鍵の束がひっかけられていた。まさに、灯台下暗しである。
「こんなところに鍵を置いとくなんて、物騒だな」
杜撰な管理に呆れながら、俺は鍵の束を手に取った。ためらうこともなく、近くの檻から順番に捕まった人たちを解放していく。解放されて戸惑っている人たちを、クロが裏口まで案内してくれた。リトはいまだに肩の上で気持ちよさそうにいびきをかいている。
俺はレオの檻にやってきて鍵を開けた。檻を開いてやり、目隠しと手錠を外してやる。
黒い目隠しの布の下に隠されていたのは青い瞳だった。まるでそこに美しい海があるかのようだ。息をのむほど綺麗なその瞳に俺はつい見とれてしまった。
「ほら、開けてやったぞ。今のうちに逃げろ」
俺ははっと我に返り、声をかけて次の檻に向かった。手際よくすべての檻を開け終えると、なぜか檻に入ったままのレオが目に入った。怯えた様子でもなく、ただぼんやりとそこにいるようだった。黄金色の尻尾が力なくその場に垂れ下がっている。
「おい何してんだ。早く逃げないと見つかるぞ」
「どこに行けばいいの?」
「え?」
「命令して?じゃないと俺どこにも行けないから!」
レオはにっこりと笑って尻尾を振った。彼の言葉とその笑顔を見て、また新たな問題が生まれたと悟った。どうしてこうも次から次へと厄介ごとが起きるのだろうか。そしてなぜ、次から次へと魅力的な人物が現れるのか。ゲームの世界の理不尽さと都合のよさに辟易としながら、俺はレオに手を差し出したのだった。




