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四 名前


 ぱちぱちと弾ける焚火を眺めていると、膝枕をして寝かせていた獣人が身じろいだ。目を覚ましたのかと、彼の顔を覗き込む。まだ瞳は濡れていて頬も赤い。熱が下がったようには見えなかった。


「起きたか」

「……ここは?」

「俺たちの寝床だよ。野宿してるんだ。宿に泊まるにしても金がなくてな」

「……そんなにお金に困ってるなら、僕を武器屋に突き出せばよかったのに」


 顔を覗き込まれたのが嫌だったのか、獣人はふいとそっぽを向いてしまった。身体の向きを変えてこちらに背を向ける。嫌がっているはずなのに、膝の上から退こうとはしなかった。


「薬草の入ったおかゆ、食うか」


 俺は焚火の上にひっかけた鍋からおかゆをすくい、木の器に入れた。薬屋で発熱に効くと言われて買った薬草が中に入っていた。お金が限られている状況では痛い出費だったが、この獣人を放っておくことだけはどうしてもできなかった。

 木の器とスプーンを差し出した。てっきり断れると思ったが、獣人は素直に身体を起こし、それを受け取った。「お熱いですからふーふーしてください!」とリトが声をかけた。食いしん坊のげっ歯類はつい先ほど味見と称してつまみ食いし、舌を火傷している。自分のような被害者をもう増やしたくないみたいだ。


「……いただきます」


 獣人は忠告通りに息で冷ましてから、おかゆを一口食べた。柔らかいそれを何度か咀嚼し飲み込んだ。称賛がかえってくるような料理ではないとわかっているため、反応は期待していなかった。

 しかしこちらの予想とは裏腹に、獣人はかきこむようにおかゆを食べ始めた。まるで一番の好物を食べているかのように、夢中で食している。彼の食べっぷりに驚いていると、彼が不意に器を置いた。器の中は空で米粒一つ残っていなかった。


「誰かに作ってもらった料理なんて、初めて食べた」


 獣人はそう言って微笑んだ。どこか儚げな笑顔だった。この微笑みの裏に何かを隠しているのだろうか。彼の悲しみや寂しさの根源を知りたくて、俺は踏み込んだ質問をした。


「家族はいないのか?」

「いないよ。物心ついたときには一人だったから」

「じゃあどうやって暮らしてきたんだ?」

「盗んだり、拾ったりしてなんとか」


 獣人は拒むことなく静かに答えてくれた。おかゆの礼なのか、それとも熱のせいで警戒心が弱くなっているのか、理由はわからないが距離が縮まっているのは確かだった。


「どうしてあんな場所に住んでるんだ?せめて地上にいれば、もっとまともな働き口があるかもしれないだろ」

「……猫の獣人ってなめられるんだ。戦っても弱いし、発情期になれば嫌でも隙が生まれる。襲われて身ぐるみ剝がされて、金も食料も持っていかれる。だから地上にはいられないし、かといって違う街に移り住むお金もない」

「自分の身を守るために、剣を買ったのか?」

「……毎晩怖くて眠れないんだ。次はいつ襲われるんだろうって。剣があれば少しはましになると思った。でも違ったよ。何も変わらなかった」


 獣人は地面に置いてある剣の柄を優しく撫でた。まるで愛でるかのようなその仕草に胸が締め付けられる。こんな小さな身体で彼は戦っていたのだろう。怪我はその証であり、その苦悩を物語っている。

 長い静寂の中で、俺は自分にできることを考えた。どれもおこがましい気がして、思い浮かんだ選択肢を排除していく。最後に残ったのは素直な気持ちであり、自分自身の願望だった。


「俺たちと一緒に来ないか」


 獣人は驚いたようにこちらを見た。目の端に焚火の炎がうつっている。ゆらゆらと揺れる炎が美しくて目を奪われた。


「一人でいるよりも安全だし、そのうちこの街を離れられる。魔王を倒すための冒険に出るつもりなんだ」

「……僕みたいなお荷物連れて行って何になるの。僕はまともに戦えないよ」

「役に立つかどうかなんてどうでもいい」

「じゃあどうして僕を連れて行こうとするの?やっぱり同情?かわいそうだと思った?」

「そばにいてほしいからだ、お前に」


 本音をそのまま言葉に変換した。不思議と恥じらいはなかった。嘘偽りない気持ちを伝えたおかげか、身体が軽くなったような気がした。

 最初はちょっとした出来心で、自分のハーレムにこの可愛らしい獣人がいたらいいのにと思っただけだった。でも今は違う。この強がりで甘えることのできないたった一人の獣人を守りたかった。


「そんな簡単に信じられないよ。もう誰かを信じたり、頼ったりするのは嫌なんだ」

「信じられないままでいい。俺のことを利用してくれてもかまわない。ただ一緒に来てくれればいいんだ」

「そんなのおかしいよ。こんなに優しくしてもらったのに――」


 獣人は言葉の途中で黙り込み、ぷいっと顔を背けてしまった。耳の縁がほんのりと赤い気がする。どうやら口を滑らせて恥ずかしがっているらしい。ようやく彼の柔らかな感情を見せてもらったのが嬉しくて、俺は微笑んだ。


「約束して。勝手に捨てたりしないで、最後まで面倒みてくれるって」

「わかった」

「あと痛いことと危ないことは嫌いだからしたくない」

「それもわかった」

「……発情期のときはなにもできないから、そばにいて。一人にしないで」

「約束する」


 俺の返答を聞いて安心したのか、獣人はようやく目を合わせてきた。彼は何かを決意したように手を握り込み、しばらく経ってから口を開いた。


「クロ」

「え?」

「僕の名前」

「黒猫だからクロ?」


 クロはこくりと頷いた。まっすぐこちらを見つめて、彼がゆっくりと瞬きをしている。たしかあの仕草は、猫の愛情表現の一つだったはずだ。俺は嬉しさのあまりクロの頭を撫でてしまった。


「勝手に触らないでよ」


 クロは怒ったような声色で言った。まだ警戒心が完全に消えたわけではないらしい。でも嫌がる素振りは見せず、むしろ気持ちよさそうに目を細めていた。彼の柔らかな表情を見ていると一瞬だけよこしまな気持ちが湧いてしまった。

 危ない危ない。ここで油断してキスでもしたら、せっかく縮まった距離がゼロになる。鋭い爪で引っかかれて、メロンパンを模した妹みたいな傷が顔につくところだった。

 俺は一旦理性を取り戻してクロの頭を撫で続けた。手のひらから伝わる温もりを感じながら、この小さくて儚い命を守ると心に誓ったのだった。


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