傭兵ケインの虚空
ケインという少女は、自身に誇れるものは何もないと思っている。彼女の中にある体験は「全く上手く行かなかった思い出」と「上手く行かなかったけど笑って誤魔化した思い出」の二つが大半を占める。
食べ物が無く水と雑草で腹を満たした日、孤児院の仲間が目の前で人攫いに攫われた日、仲の良かった友人が川に身を投げた日、傭兵としての初仕事で仲間が皆殺しにされた日。何とかできないか、改善できないか、阻止できないか。そんなケインの努力はことごとく無駄に終わり、苦しい記憶だけが残る。
客観的に見ればケインという少女自体の能力は悪いものではない。傭兵としてまだ生き残っている時点で才能があると言って良いだろう。
だが正しい努力をしても、正しい決意があっても。吸血鬼との戦争下という過酷な環境では正しい結果と評価を得られることはなく。かつて彼女の心の中にあった真っ直ぐな芯はとうの昔に積み重なった失敗によりへし折れていて。
「というわけで師匠、魔術について教えて欲しいっす!」
「師匠ではないですよ……」
だから、この明るさは張りぼてにすぎない。
吸血鬼の根城はこの街から北に半日ほど進んだところに見つかっていた。巡回中の傭兵が怪しい足跡を発見し追跡した結果見つかったらしい。ケインの所属する傭兵団『大鷹』、そしてミナトは夜中に馬車に乗って目的地に向かっていた。
周囲は暗く、馬と御者は『暗視』の魔術により視界を確保している。夜に移動し朝から戦闘を行うことで、吸血鬼に日光というリスクを負わせることができる、逃げるのを阻止できるし、敗北しても撤退時の追撃を考慮しなくてもよい。
だが他の吸血鬼や野生の凶暴な動物との交戦を避けるべく、馬車の中は真っ暗で暇つぶしのしようがない。本を読むことも外を眺めることもできない。『暗視』を使えばよいのだが、継続使用は魔力を消費する。同じ馬車に乗っている他の傭兵四人は戦いに備えて固い木の荷台の上で寝ていたが、ケインはミナトがこういった場所で寝るのを苦手にしているのを知っていた。
「魔術についてですね、まあ暇ですからいいですよ」
「助かるっす、『身体強化』だけを何となく使っているだけで、正直魔術の仕組みとか全然分かってないんっすよ!」
ケインの言葉は嘘である。魔術の仕組みは知っているし、『身体強化』しか使えないのではなくそれ以外は実戦に耐えないというだけの話だ。だが、ケインはこうやって無知を装い教えを乞うのが好きだった。
何もない自分が、一時的にとはいえかの『劫火』ミナトの弟子という属性を得ることができるから。他人に自分はこれだと誇れるものを得られるから。
その危うい空気を悟られているから「師匠ではありませんよ」と否定されているのをケインは何となく察していたし、だからこそこうやって既成事実を作れる隙を見逃すことはなかった。暗闇の中でミナトがケインに少し考え込んでから問いかける。
「魔術の定義はご存じですか?」
「ええっと魔力を使って色々な現象を起こすことっす。たとえば体を強化したり、火を出したりとか。で、魔力や魔術の適正は才能で決まるわけっすよね」
「その通りです、ではもう一つ、術式、詠唱、マジックアイテムはそれぞれどういうものでしょうか?」
「うーん、術式と詠唱が魔術発動に必要なもので、マジックアイテムがそれを助けるものっすよね? だからしっかり術式を準備して詠唱をして、マジックアイテムでそれを強化すれば最大火力っす」
通常、魔術について説明する時説明はここで終わる。それ以上説明しても実用に影響は「ほとんど」ないためだ。だがケインが知る由もないことであるが、ミナトは転生者である。彼はそこから更に一段階踏み込んだ知識を持っていた。暗闇の中でミナトの喋る速さが少し上がる。
「じゃあそれはどうして起きるのでしょうか? 何故詠唱は私たちが使う人類語で運用可能なのでしょうか? なぜ術式は二次元的な紋様のみで運用可能なのでしょうか」
「え、えーと」
「ごめんなさい、急に質問しすぎましたね。答えは必要なのは紋章形状や発音ではなく「情報量」だからです」
「……???」
「魔術は「対価」と「情報」で決まります。例えば有名な東の魔術に天候変化、いわゆる雨ごいというものがあるのをご存じですか?」
ケインは脳内からかつて知り合いの傭兵から聞いた話を思い出す。三日くらい魔術師たちが舞って詠唱し続けて全魔力を使い、時には術者の首を切って成立させる大規模気候変動魔術、通称雨乞い。
その中で『全魔力を使う、時には命を懸ける』というのが「対価」、『舞や詠唱』が「情報」に当たる。対価と情報を最大限まで高めることで、「ここまで「対価」と「情報」が揃った魔術なら成功するかもしれない」と世界を騙し、通常では不可能な大規模魔術を成功させることができるのだ。
だから例えば炎を扱う魔術師はできるだけ赤い服や炎の意匠の入った装備を付けて、 「情報」を強めることがある。事実、ケインの靴は風をイメージした装飾がついている。
「魔術の本質はロジックのあるプログラミング的な物理現象への介入というより、魔力をエネルギー元とした100%オカルトのイメージの具現化能力、という方が近しいのですよね。だから実は魔術を使うだけなら、それっぽい紋様とそれっぽい文言があれば魔術は起動可能なのです。ただ、新しく作るのが大変かつ、一般的に流通している術式や詠唱は『多くの人が使っている』という情報により強化されるため、それを使うのが正解です」
「なるほどっすね、勉強になるっす!」
ケインはプログラミング、の意味は分からなかったがわざわざ聞かずに話にうんうんと頷く。時たまミナトがこういった訳の分からないワードを使うことも、そしてそれを聞いても適当にごまかされることもケインは知っていた。
それをケインは少し寂しく思う。何か秘密があっても、絶対に漏らさないのに。どんなことをされても絶対に自分はミナトの味方なのに。
だって、ミナトの弟子でない自分に、価値などないのだから。
「普通の魔力量だと遠くまで魔法攻撃するのが難しいので、ケインさんは今まで通り『身体強化』と弓の組み合わせが一番合っていると思いますよ」
「マジっすか、私も『火球』とかガンガン飛ばしたかったっす」
「吸血鬼は「対価」を自身の寿命で支払い、それを血を吸う限り不死身であることで踏み倒しています。そんな相手に純粋な魔術で対抗するのは中々厳しいですからね。弓の方が筋肉も使えますし弾速も早いので便利ですよ。マジックアイテムで「情報」を強化するのであれば例外ですけれど」
「あー、今の考え方だとマジックアイテムも「情報」を強化する媒体なんっすね」
「そうです。なのでマジックアイテムの見た目で大体の能力が分かる時もあります」
そんな話をしていると、御者がコンコンと壁を叩いて合図をしてくる。あと十分ほどで待機地点に到着する、という合図である。僅かに空は白くなり、少しずつ視界が暗闇から解放されていく。
ケインは緩んだ表情を引き締め弓の弦の最終チェックをし、ミナトは腰に下げる剣の状態を確認する。太陽が地平線から頭を出し、故にケインはミナトが持つ剣を見ることが出来た。
紫色に怪しく輝く剣は、幾重にも血管のような赤い筋が走っている。刃の鋭さは勿論のことではあるが、何よりの異質さはそのどす黒い雰囲気。その場にあるだけで空気を重くするような、異様な存在感。紛れもないマジックアイテムである。ケインは少し躊躇い、そしてミナトに問いかけた。
「……じゃあそれは、何の「情報」を強化してるんっすか?」
「ナイショです」




