ところでミナト君の二つ名を思い出してみよう
アンリエッタの目の前で、赤い花びらの文様が刻まれた黒いスーツを着た美少女、吸血鬼ポルネアは部屋の中央で見えない椅子に腰かける。
彼女が使用している魔術は投影魔術と呼ばれる幻術の一種だ。光と影、そして付随する各種事象を操る魔術は戦闘向きではないものの、潜入や攪乱には大いに役に立つ。実際ポルネアは城塞都市の警備をあっさりとすり抜けアンリエッタの部屋に自身の姿と声を投影することができていた。
「精神変調の様子はどうだい?」
ポルネアは幼い見た目相応のあどけない笑みを浮かべそう問いかける。しかしその内容は決して明るいものではない。むしろ恐ろしいものであった。
「……時たま、制御できなくなります。こんなに早いとは想定していませんでした」
「仕方ないよ、自身がおかしくなっていると気づいて自制し続けるしかないからねこれは。いやーボクの時もきつかったなぁ」
「……あなたも人間だったのですか?」
「勿論、それは始祖も同じさ」
アンリエッタはポルネアから目を外し、日課を始める。彼女は着ていた白いチュニックをベッドの上に投げ捨て、そのまま下着を脱ぐ。陶磁の如く白い肌と滑らかな曲線美、隠しておくべき部位たちが露わになるが、目を引くのはそれではなかった。
下腹部から心臓に向かって、禍々しい青い刻印が刻まれていた。ベッドに座り込んだアンリエッタは顔を顰めながら魔力を込めてその刻印を指でなぞる。指が肌の上を滑ると同時にアンリエッタの顔が苦痛で歪む。これがアンリエッタの今の日課であった。
「うっ……」
「吸血鬼になるための前儀式だ、我慢してよ。生殖器と心臓を起点とし、魂と肉体を乖離させる。そうすれば乖離した肉体に僕の血を入れても拒否反応が起きない。魂が肉体と癒着したままだと肉体だけが変化を起こすことに魂が拒絶反応を起こすからね」
「う、るさいですね……」
「ちょっと、気を紛らわせるために話してあげてるんだから、もっと感謝してよ」
ポルネアはぷくーと頬を膨らませる。まだアンリエッタの施術は半分も終わっていない。自分一人で黙々と進めるアンリエッタは、やはり不機嫌というには度が過ぎていた。
アンリエッタの胸が何度も上下し、額、首筋、そして谷間と汗が流れ落ちる。その横で足をパタパタさせながらポルネアはアンリエッタの嫌がるそぶりを無視して話を続けた。
「ただこの乖離は精神変調を引き起こすんだよね。脳と魂の癒着が取れると、より魂が魔術的な存在となる一方で、脳による精神の理性的な調整が効かなくなる、これが精神変調。伝承に語られる妖精や精霊って我が儘なイメージないかな、あんな感じ。だから吸血鬼は過度に傲慢だったり衝動的だったりするんだけどね、あ、でも人間も過度なストレス負荷を受けるとか異常な魔術行使を繰り返すと発生するから案外一緒かも」
「……終わりました」
「おや早いね」
「あなたの話が1秒でも早く終わってほしかったので」
アンリエッタの息は荒い。魂と肉体を乖離させる術は人間国家においては禁術にあたり、難易度も高い。道具の貸与や指南があったとはいえ、アンリエッタには酷な作業であった。
アンリエッタは服を着直しながら、ポルネアを睨みつける。
「それで、わたくしをからかいに来たのですか? この程度なら自分でやれますが」
アンリエッタの言葉にポルネアは笑う。全くもっての見当違いだと。
「ううん、キミの所に間もなく来るじゃん、『人工勇者』」
「東の帝国から貸し出される兵力ですね。それがどうしましたか?」
「あれは少なくとも戦力は本物だ。最近ね、キミの最愛のミナト君が戦果を出しすぎていて、ここは既に吸血鬼から見ると危険区域なんだ。そこに彼女が来てしまうと、本気で巻き返されかねない。だから真祖十二柱の議会決定が下された」
続くポルネアの言葉にアンリエッタは顔を顰める。それは、タイムリミットの提示であった。
「真祖の一柱が、禁忌崩術を行使しこの城塞都市を圧砕する計画が進行している。だからその前に、ミナト君をこちら側に引き込むんだ。さもなくば、都市ごとミナト君は圧砕されるだろう。無残に、一撃でね」




