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4.明かされる真実と想い

「エルサッ!」


倒れるエルサをシグルトが抱き留めて、そこにアルヴィンが駆け寄った。そして、シグルトは怒鳴るようにハンスを呼びつける。


「ハンス!!今すぐ医者を呼べ!エルサが倒れた!!」


そのまま寝室に運ばれるエルサの後を、アルヴィンとリリィが必死になって追いかける。エルサが突然倒れたことで、リリィの目に再び涙が浮かび不安な表情浮かぶ。そして、それはアルヴィンも同じだった。ギュっとリリィの手を握る手に力が入る。


「エルサ…父上…。」

「…大丈夫だ。とりあえず、医者の診断を待とう。」


不安げなアルヴィンの声にシグルトは自分に言い聞かせるように告げる。その顔は、誰よりも青く固くなっていた。エルサの体は折れそうなほど細く、そして真綿の様に軽い。…こんな体で、子供たちの為に頑張っていてくれたのか…。そう思えば、エルサに触れる手に力が入った。


「旦那様、奥様のドレスを寝衣に変えさせていただきます…。」

「ああ、頼む。」


寝室のベッドにエルサを寝かせたシグルトはぐったりとベッドに横たわるその姿に胸が抉られるように痛むが、侍女の言葉に部屋を出ようと子供たちを促して背を向けた。


「だ、旦那様…!大変です、奥様の…お体がッ!!」


大きな背に侍女の悲鳴じみた声がかり、シグルトは弾かれたように寝台に駆け寄る。


「……ッ___これはッ…!!」


そこには乱れたドレスの隙間から、美しい肌を無残に切り裂いた幾筋もの醜い痕跡をさらしているエルサがいた。年月をかけて刻まれたであろう、幾筋もの跡。それは、エルサが「底抜けの明るさ」という仮面の裏に隠していた、長く暗い地獄のような日々だった。


「…背中や足…腹部…ドレスで見えないところに…無数の鞭打ちと打撲の跡が……__。」


侍女はそれ以上は耐えられないというように口元を覆い黙り込んだ。シグルトの瞳が怒りで真っ赤に染まり、彼が戦場にいる時よりも、はるかにすさまじい殺気があふれ出していく。


「ち、父上……これ、は…__!!」

「!!」


横で覗き込んだアルヴィンの小さな拳が白くなるほど握り締められる。リリィは息をのんで驚愕に目を見開いた。まだ幼い彼らにもわかった。エルサが、これまでどんな思いで生きてきたのか。そして、この傷を隠すためにどれだけ苦しみ、それでも自分たちの前で笑い続けていたのかを…。


「ランドール伯爵家…。」


地響きのような唸り声が部屋に響き渡る。


「…ハンス。例の調査の結果は?」

「はい。…調査の結果、奥様は幼い頃より実家で「粗大ごみ」「刻潰し」と呼ばれ、使用人よりも酷い下働きと…虐待を日常的に受けていた…とのことです。」

「あの、クソどもがッ…!!」


報告を聞いたシグルトが怒りに任せて拳を壁に叩き付けると、爆音と共に石造りの壁に亀裂が入った。それにリリィの肩が揺れる。しかし、シグルトはそれを気にすることなどできないほどに怒りに支配されていた。「鮮血の魔物」その二つ何相応しい、苛烈な怒りが全身から込み上げる。


「アルヴィン、リリィとエルサを守っていろ。私は…少し、王都の掃除に行ってくる。」

「父上、僕も行きたい…!あいつら、エルサを…__僕たちのエルサを!!」


アルヴィンもまた獣のような瞳で吠える。細い銀髪の先まで怒りで震えているようだった。

その時、小さな手が弱弱しくシグルトの手を掴んだ。


「…だあ…え…。」


その弱弱しく発せられた声に、シグルトはハッとする。


「リリィ…?」

「え…さあ…あー…。」


声は弱弱しいのに、その瞳はしっかりと強く自分に向けられていた。シグルトは膝をつき、リリィの手を包み込んだ。


「どうした?…怖いのか?…私が怖い思いをさせてしまったな…すまない。」


シグルトの言葉にリリィは首を横に振って、エルサを指さした。そしてそのままシグルト、アルヴィンの順で指をさす。その行動にしばらく考えていたアルヴィンがリリィの顔を覗き込んだ。


「もしかして、…僕たちにエルサのそばにいて欲しいって言っているのか?」

「!うーうー!」

「リリィ……しかし…。」


アルヴィンの問いに何度も頷くリリィ。しかし、シグルトは困ったように眉を寄せた。


「これ以上雪が深くなれば、王都への移動が難しくなってしまう。…この機会を逃すわけには…。」

「だあ…えー!」


今度はハッキリとしたリリィの拒絶だった。初めてのリリィの大きな声にシグルトもアルヴィンも、そしてその場にいた使用人たちも驚く。前は、下を向いて怯えて震えるだけの子供だった。話す事さえできずに、いつも兄の陰に隠れていたのに…これほどまで変わるとは…。

シグルトは、リリィの変わりように驚くのと同時に、「誰」がここまでリリィを変えたのかを知る。


「…エルサ…。」


シグルトの視線がベットで横たわるエルサに移された。未だにぐったりとして苦しそうに息を吐いている。怒りはまだ消えていない。だが、それ以上に…リリィの思いとエルサの姿がシグルトの心を締め付けた。


「…ああ、わかった。ここに居よう…。」

「父上…。」


シグルトの言葉に、アルヴィンは納得いかないように声を上げるが、その頭を大きな手が優しく撫でる。それは、アルヴィンにとって初めての事でガチンッと体が固まった。


「…今はエルサのそばにいよう。目覚めた時に一人だと寂しいだろ?」


そして降ってきた声も、今まで聞いたことがないほど、柔らかくて…。思わず視線を上げれば、そこには先ほどまでの怒りが嘘のように、静かにエルサを見つめる優しい顔があった。




エルサが目覚めた時、視界に入って来た見慣れない天蓋ではなく、心配そうに自分を覗き込む三つの顔だった。


「…あ、私、また寝ちゃいましたか?」


エルサが力なく笑うと、真っ先に動いたのはリリィだった。エルサの手に自分の小さな手を重ね、例の魔法カードを取り出す。そこには、エルサの真似をして描いた、少しいびつな『だいすき』の文字が書かれていた。


「リリィ様…ありがとうございます。もう、大丈夫ですよ。」

「…馬鹿かお前は。あんなに熱を出して、三日も寝込んでいて大丈夫なわけないだろ?」


ぶっきらぼうに言ったのはアルヴィンだった。けれどその手には、先ほどまで使用していたのだろう絞られたタオルと膝には水桶が乗っていた。


「…別に…酷い汗だったから…拭いてやっただけだ。」


少し照れくさそうに、怒ったように言ったアルヴィンにエルサは笑みがこぼれた。不器用な優しさが嬉しくて、温かい。


「ありがとうございます、アルヴィン様…。…お二人とも、本当にありがとうございます。」


そして躊躇うように、両手を二人の頭に伸ばす。リリィが怖がらないようにとためらいがちに伸ばされた手は逆にリリィに取られて、そのまま柔らかい頬に当てられた。そして、アルヴィンはエルサが撫でやすいようにと頭をこちらに寄せてくる。


「ふ、ふふふ…。」


二人の思いが嬉しくて、可愛くて…。エルサは泣きそうになりながら、アルヴィンとリリィの頭を撫でた。


「…よく、看病してくれたな二人とも。」


二人の後ろから姿を現したシグルトはエルサの手に重ねるようにして大きな手をそれぞれの頭に乗せた。壊れ物を扱うようにそっと撫でる、その震えた手に子供たちは驚いたようで、でも嬉しそうに笑い合う。顔を赤くしたアルヴィンの瞳に涙が溜まり、リリィがシグルトの太い指をぎゅっと握り返した。

エルサはそれを見て、熱の残る顔をさらに綻ばせた。



子供たちが名静まった後、寝室にはシグルトとエルサの二人だけが残された。暖炉の火が爆せる音だけが響く中、シグルトが重い口を開く。


「…エルサ。あなたに、話しておかねばならないことがある。」


シグルトは自分の大きな拳を見つめ、自嘲気味に笑った。


「『鮮血の魔物』…あの凄惨な噂は、すべて事実だ。だが、それを行ったのは私ではない…。……亡くなった私の兄だ。」


エルサは息をのんだ。なぜ、突然シグルトがこの話をするのかわからない。しかし、まっすぐに見つめてくる蒼い瞳からは強い思いが伝わってきて、ただ話の続きを待つことしかできなかった。

シグルトは静かに続けた。


「兄の代わりに戦場に行き、戻った時には兄が領民を虐げ、殺戮を繰り返していた。私はカトラス家の名を汚さぬよう、そして怒りの矛先を分散させるために、私が兄を…殺した。そして、その罪と罪名を全て自分が背負う道を選んだのだ。」


エルサの瞼が驚愕に見開く。


「前妻もそうだ。彼女は、この過酷な北部に耐えきれず、愛人と共に逃げ出した。……だが、子供たちに『母親に捨てられた』と思わせたくなかった。だから私は、彼女を殺した大罪人という噂をそのままに、子供たちには『病死した』と嘘を吐いた」


シグルドの声が微かに震えていた。


「私は……情けない男だ。家族を守るための嘘に塗り固められ、真実を話す勇気もない。」


巨躯を丸め、消え入りそうな声で自分を責めるシグルドは両手で頭を抱え込んだ。


「あなたは…エルサは私たち家族に沢山のことをもたらしてくれた…。しかし、私は…エルサに何もしてやることもできず…こんなになるまで、気がついてやる事ができなかった…。… こんな汚れた名を持ち、人の痛みに気がつかない私には、あなたのような光り輝く女性を妻にする資格など、本当はないんだ。…すまない…。」


その時、エルサがベッドから身を乗り出し、彼の頬を両手で包み込んだ。


「……シグルド様。貴方は、世界で一番優しくて、かっこいい『嘘つき』です。」


エルサの瞳には、憐れみではなく、深い慈愛が宿っていた。


「自分の名誉を捨ててまで領地と子供たちを守ってきた貴方が、価値のない男なはずありません。……それなら、私も同じ『嘘つき』ですね。」


エルサはゆっくりと、自分の寝衣の肩をずらした。そこにあるのは、シグルドも目にした、無残な鞭の跡。


「実家では、屋根裏部屋が私の部屋でした。毎日叩かれて、食事も与えられず……。でも、泣いたらもっと叩かれるから、私は笑うことにしたんです。笑っていれば、いつか本当に幸せになれる気がして。」

「エルサ…………っ」

「私の『明るさ』は、自分を守るための嘘でした。でも、この家に来て、貴方や子供たちに出会って……初めて、本当の笑顔になれたんです。だから、自分を責めないでください。」


その瞬間、シグルドの中で何かが決壊した。

彼は震える手で、エルサの細い肩をそっと、けれど逃がさないという強い意志を込めて抱き寄せる。


「シグルド、様……?」


シグルドの太い腕が、エルサの華奢な体をすっぽりと包み込んだ。冷徹な鎧のような彼の胸板から、驚くほど速く、力強い鼓動が伝わってくる。シグルドは、エルサの首筋に顔を埋めるようにして、掠れた声で囁いた。


「……私は、あなたを『身代わりの花嫁』だと思っていた。北部の過酷さに音を上げ、すぐに逃げ出すか、絶望して心を閉ざすだろうと。……だが、間違っていたのは私の方だ。」


シグルドの腕に、ぐっと力がこもった。


「あなたは、この凍てついた城に光を連れてきた。私が諦めていた子供たちの笑顔を、私自身の凍りついた心をも、あなたは泥だらけになって溶かしてくれた。……エルサ。背中の傷を、もう一人で抱えるな。あなたの過去も、その痛みも、すべて私に寄越せ。」


シグルドは一度言葉を切り、エルサを腕の中から少しだけ離すと、彼女の濡れた瞳を真っ直ぐに見つめ、視線を彷徨わせてから口を開いた。


「私は口下手だ。あなたが望むような甘い言葉は言えんかもしれん。……だが、誓う。この命がある限り、あなたを二度と伯爵には戻さない。あなたを傷つけるすべてのものから、私が、この『魔物』の名にかけて守り抜く」


そして、彼は祈るようにエルサの額に自分の額を重ねた。


「…………ッ!」


エルサの心臓が、大きく跳ね上がった。

これまでの人生で、彼女に注がれた言葉は心を削り取るものばかりだった。けれど今、目の前の男性は、自分の醜い傷跡を知った上で、「守る」と言ってくれた。

守られるべき「家族」として、必要としてくれた。

ああ……、なんだろう。この感じ。

体温が急上昇し、指先までがジンジンとしびれるような感覚。シグルドに抱きしめられている場所から、温かな何かが全身に溶け出していくようだ。


これまで、エルサが浮かべてきた「底抜けに明るい笑顔」は、痛みから逃れるための盾だった。でも、今、胸の奥から湧き上がってくるこの熱い感情は、盾などではない。

シグルド様の大きな手が、大好き。……不器用だけど、私を壊さないように気遣ってくれる、この温かさが愛おしい。たった数週間しかたっていないけれど……もっと、この人の側にいたい。この人のために、笑いたい。……嘘じゃなくて、心から。

それは、エルサのこれまでの過酷な日々では決して知ることのなかった、生まれて初めての感情だった。


「シグルド様……。私、私……ッ!」


言葉がうまく出てこない。ただ、涙が次から次へと溢れてくる。エルサは、シグルドの広い背中に一生懸命に手を回し、その寝衣をぎゅっと掴んだ。


「私も……私も、貴方が大好きです。シグルド様。私を、見つけてくれて……ありがとうございます……!」


エルサの告白に応えるように、シグルドはもう一度、深く、強く彼女を抱きしめた。


北部の厳しい冬の夜。

けれど、この部屋だけは、世界で一番温かな春の陽だまりに包まれていた。


やがて、エルサが安心したように寝息を立て始めると、シグルドは彼女を優しく寝台へ横たえた。

まだ微熱がある彼女の頬に残る涙の跡を指先で拭い、その顔をいつまでも眺めていたい衝動を抑えて、彼は立ち上がる。部屋を出た先には、ハンスが音もなく控えていた。


「旦那様。準備は整っております。」

「……ああ。」


シグルドの瞳から、先ほどまでの慈愛が消え、絶対的な支配者の冷徹さが宿った。


「エルサの傷の数だけ、ランドール伯爵に絶望を与えてやる。……ハンス、一切の容赦はするな。奴らが手にしているすべての権利、資産、名誉……根こそぎ叩き潰せ。」

「畏まりました。……『魔物』の逆鱗に触れたこと、あの者たちに後悔する暇すら与えぬよう、手配いたします。」


暗い廊下を歩むシグルドの背中は、もはや孤独ではなかった。守るべき愛する妻と、愛おしい子供たちのために。

北部の主は、ついにその牙を剥いたのだった。


次で最後です。

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