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5.蹂躙、そして最果ての春

王都の片隅に佇むランドール伯爵邸。そこには、北部の「魔物」に娘を売り払い、手に入れた金で贅沢を貪る伯爵と妻の笑い声が響いていた。


「あんな出来損ないが、これほどの金に化けるとはな。」

「本当に。あの子もようやく役に立ちましたわ。」


酒を酌み交わし、エルサの不在を嘲笑う伯爵夫妻の前に、その男は音もなく現れた。

漆黒の外套を纏い、吹雪を連れてきたかのような冷気を放つ巨漢。シグルド・カトラスが執務室の扉を開けた瞬間、室内の温度は氷点下まで下がったかのように錯覚された。


「な、なんだ、貴様は……!? 辺境伯、なぜここに!?」


シグルドは何も答えず、ただ一枚の書類を机に叩きつけた。そこには、ランドール伯爵家が抱えていた膨大な借用書と、それをすべて買い取った「カトラス辺境伯」の名が記されていた。


「……今日、この瞬間から、この屋敷も、貴公らの着ている服も、その体ですら私の所有物だ。」

「なっ……何を馬鹿なことを! 娘を嫁に出した恩を忘れたか!」


伯爵の叫びを、シグルドは氷のような眼差しで断ち切った。


「恩、だと? 私が買ったのは、エルサの『値段』ではない。彼女がその背中に刻まれた傷の数だけ、お前たちに絶望を与える『権利』だ。」


シグルドが指を鳴らすと、控えていたハンスと騎士たちが一斉に動き出した。

家具は運び出され、貴金属は没収される。伯爵家の不正融資、税の着服、さらには他家への詐欺行為――シグルドが徹底的に洗わせた汚職の証拠が、王立騎士団に提出されていた。


「お父様! どういうことなの、この野蛮な男たちは!」


駆けつけてきた長女ステラがシグルドを指差して罵倒する。しかし、シグルドは彼女の瞳の奥を覗き込み、地を這うような声で告げた。


「お前がエルサを傷つけ、嘲笑うたびに、彼女の心はどれほど凍えただろうか。……安心しろ。命までは取らん。お前たちは今日から、身分を剥奪され、平民として最果ての鉱山で働いてもらう。エルサが屋根裏部屋で過ごした年月よりも長く、な。」

「ひっ……あ、ああああ!」

「エルサに鞭を振るったように、お前達もまた鞭を打たれるがいい!」

「いやぁぁあ!」

「やめろ、や、やめろぉぉ!!」


絶叫する家族を、シグルドは一瞥もせず背を向けた。

「魔物」の本気――それは剣で斬ることではない。相手が最も執着する「名誉」と「富」を完膚なきまでに破壊し、希望を根こそぎ奪い去ることだった。


それから数日後。

北部カトラス領は、視界を遮るほどの猛烈な吹雪に見舞われていた。

シグルドは愛馬を駆り、凍てつく雪原をひた走る。体は限界を超え、感覚は麻痺していたが、胸の奥にある「灯火」だけが彼を突き動かしていた。

待っていてくれ。今、帰る……私の、家族の元へ。

城の門が見えた瞬間、重々しい鉄の扉が開かれた。

そこには、ランプを掲げ、寒さに震えながら門の前で待ち続けていた三つの影があった。


「シグルド様――!」


叫び声と共に、一人の女性が雪の中に飛び出してきた。

案の定、彼女は雪に足を取られて派手に転倒する。だが、すぐに起き上がり、泥だらけの顔で笑った。


「お帰りなさいませ、シグルド様!」

「……エルサ。」


馬から降りたシグルドの体に、小さな二つの塊が衝突した。


「父上! 遅いよ!」

「ぁ……ぅ……!」


アルヴィンとリリィが、シグルドの外套をぎゅっと掴む。

シグルドは凍傷寸前の手で、愛おしい子供たちの頭を撫で、そして駆け寄ってきたエルサを力一杯抱き寄せた。


「……ああ。ただいま、私の愛する人。」


冷たい雪が舞い散る中で、四人の鼓動だけが重なり、確かな熱を生んでいた。


二ヶ月後。

カトラス城は、かつての刺すような静寂が嘘のように、色鮮やかな花々と人々の祝福の声に包まれていた。


誓いの祭壇の前。

純白のドレスに身を包んだエルサは、世界で一番幸せな笑顔を浮かべていた。背中の傷は消えない。けれど、その上から纏ったシルクのドレスは、今や彼女を守る鎧ではなく、愛される証だった。


「エルサ、綺麗だ……。」


見上げるような巨躯のシグルドが、タキシード姿で顔を赤らめて呟いた。祭壇の前では、アルヴィンが誇らしげに指輪を運び、リリィが花びらを撒きながら、エルサが作った「にっこり」のカードを掲げて笑っている。ハンスや侍女たち、そしてシグルドの真実を知った領民たちからの祝福の声が響きわたっていた。


「シグルド様。私、とっても幸せです。……世界で一番。」

「私もだ。エルサ、あなたが俺を見つけてくれたから、俺はようやく、ただの『人間』になれた。」


シグルドは、震える手でエルサのヴェールを上げた。


「エルサ…必ず幸せにする。」


エルサはクスクスと笑い、彼の手を握り返した。


「私は、ただ貴方の隣で笑っているだけで、世界一幸せです。」


二人の唇が重なり、大きな拍手が沸き起こった。

唇が離れて見つめ合う2人、そのままリハーサル通りに動こうとしたエルサをシグルドが突然抱き上げる。


「キャァっ!」

「その姿で転ばれるのはごめんだからな。」


ニカッとまるで子供の様に笑ったシグルド。それは、エルサが来てからやっと見れる様になった「本来」のシグルドの姿だった。


突然の新郎の行動に会場から歓声が上がる中、シグルドはそっとエルサの耳元に口を寄せた。


「…白い結婚の話だが、取りやめだ。」

「えぇ!?」


結婚式の前に侍女頭から『白い結婚』の意味を聞いていたエルサの顔が途端に真っ赤に染め上がる。それを見てシグルドは満足そうに笑い、祭壇を駆け降りた。そして、アルヴィンは片腕にリリィはエルサの腕に抱き上げる。


「家族は何人いたっていい。」

「え?エルサ!?まさかッ!!」

「!!?」

「ち、違います!ま、まだです!」

「まだ!?」

「!!」

「いや、だから、ですね…そのッ!」




かつて「鮮血の魔物」と呼ばれた男と、「粗大ゴミ」と蔑まれた令嬢。傷だらけの二人が手を取り合い、北の大地に新しい春を呼ぶ。


本当の家族になった四人の笑い声は、雪解けの小川のように、どこまでも清らかに響き渡っていた。



終わり

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