3.魔法のカードと怒り
あの日から立ち直ったエルサは、静かだった辺境伯邸をそのドジと明かるさで強引にかき回していた。
「アルヴィン様!見てください!雪だるまにリボンをつけてみました。似合いますか?」
「特に何も…。そんなのは子供の遊びです。」
最初は頑なに拒否していたアルヴィンだが、毎日毎日こりもせずに自分たちに会いに来るエルサに、ついに根負けし、今ではエルサの好きにさせることにしていた。しかし、エルサが、雪まみれになって笑う姿を見ていると不思議と目が離せない。そして、どうしてか、エルサは自分に子供の遊びを強要してくる。それが非常に腹立たしくもあるが…なぜだか嫌な気はしない。自分でもわからない感情にアルヴィンは戸惑ってた。
「アルヴィン様!見てください!」
「今度はなんで…ブハッ!?」
エルサが投げた雪玉がはやで読書していたアルヴィンの顔面にヒットし、ボロッと雪玉が砕け雪だらけの顔でアルヴィンが鋭くエルサを睨みつけた。そして、今までため込んでいた苛立ちや思考が、一気に爆発して感情のままエルサに叫ぶ。
「エルサーーーッ!」
「ひえッ?!ご、ご、ごめんなさい!!」
「そこに直れッ!!今日という今日は、しつこいお前を成敗してやるッ!!」
「キャーキャー!!」
「待て!」
窓から飛び出したアルヴィンがエルサを雪玉を作りながら追いかける。それは辺境伯手に初めて響いた「子供らしい」声だった。
「キャー!リリィ様!助けてぇー!!」
「!!?」
耳の遠いリリィに対してもエルサは特別視をすることはなかった。はじめは距離を取りながら、少しずつ警戒心をといてもらうように努め、今はようやく隣に座ることを許されてるところまで昇格していた。
「エルサッ!リリィに助けを求めるなんて卑怯だぞ!!」
「だって、アルヴィン様が起こるからですよ。」
「怒らせるようなことをしているのはお前だろうがッ!!」
「アッ!わわわッ___!!」
「!!!」
ドシャッ!!バサッ!
その時、雪に足を取られてエルサがすっころび、近くに居たリリィに大量の雪がかかった。
「エルサッ!リリィッ!?」
アルヴィンが慌てて駆け寄る。そしてエルサも弾かれたように立ち上がって、リリィの安否を確かめた。
「リリィ様!大丈夫ですか?すいません、私が転んだばっかりに!!」
「そう言うお前は大丈夫なのか?派手に転んでいたぞ!?」
「私は転び慣れてますから!それに雪がいいクッションに…?」
「?」
二人で言い合いながら、リリィの顔に付いた雪を払う。すると雪にまみれた顔でリリィが笑っていた。声こそ出ていない…。しかし、あの怯えていたような表情が多かったリリィが顔をクシャッとして声もなく笑っていたのだった。
「リリィ…?」
アルヴィンがそっと尋ねれば、リリィはエルサを指さした後アルヴィンを指さし、そして最後に自分を指さした。
「…私達同じ雪まみれってことですか…?」
エルサが聞けば、リリィは嬉しそうに頷いた。それにエルサは、泣きそうになるほどの喜びが込み上げる。
「リリィ様!一緒に雪遊びしますか?!」
「おい、エルサ何言って…ブッ!」
話していたアルヴィンの顔に小さな雪玉が当たった。それはエルサではなくリリィが作ったもので
「ナイス!リリィ様!」
思わずエルサが叫べば、リリィが嬉しそうに手を叩く。
「エルサぁぁぁッ!!」
「な、なんで私なんです!?」
「お前のせいで、リリィが僕に雪玉をぶつけたじゃないか!」
「理不尽ですーーー!!」
そうして、エルサ達三人の雪玉遊びは侍女たちが呼びに来るまで続いていた。少しだけ、三人の距離が縮まった時間だった。
「賑やかそうだな。」
「ええ。奥様がいらしてから、この屋敷もだいぶにぎやかになりました。」
「…そうだな…。あんなふうにアルヴィンが声を上げる所なんて始めて見た。」
エルサは…すごいな。自分には到底できないことをやってしまうのだから。そう思いながら、シグルドは書類に目を通す。
「旦那様もいかれますか…?」
シグルトの表情を見ていたハンスが静かに提案する。しかし、シグルトは静かに首を横に振った。
「いや、やめておこう。私が行ってあの子たちに水を差すのは申し訳ない。」
「…そんなことはないかと…思いますが?」
「……。」
ハンスの言葉にシグルトは何も答えなかった。あの子たちときちんと向き合おうと思ったことはなんどもある。しかし、思うだけでできなかった。自分の血塗られた手があの子たちを汚しそうで…。あの子たちを怯えさせてしまうのが嫌で…。それが、父親として失格だとわかっているが…。
シグルトは静かにペンを走らせる。ハンスはその姿にため息を殺して、書類をまとめ始めた。
数日後の昼下がり、エルサは自室で机に向かっていた。
「えーと……これは『お花』、こっちは『お腹がすいた』……うーん…。」
エルサが唸りながら机にかじりついている姿を侍女たちがほほえましく見守っている。そしてその手には、あの夜シグルトがエルサにかけた毛皮のストールがたたまれていた。
あの夜の翌日、ストールを返しに行ったエルサにシグルトは「あなたの為に作ったものだから、返さなくていい。」と淡々と告げた。誰かからの贈り物が初めてだったエルサは、大層喜んで、それ以来肌身離さず身に着けている。しかし、今はインクで汚れる可能性があるため、侍女の手に納まっていた。
エルサが思いついたのは絵と文字を組み合わせた「魔法カードだ」だった。耳が不自由で、うまく言葉を発せないリリィが、指を指したり、カードを掲示するだけで気持ちを伝えられる道具。リリィが笑顔になってくれれば。そんな気持ちでエルサは黙々と書き進めていた。
その数時間後。
出来立てのカードを抱えてリリィの部屋に向かっていたエルサは、庭に続く回廊で足を止めた。物陰から、クスクスと数人の笑い声が聞こえてくる。
「…本当、気味が悪いわ。」
「まるで獣みたい。あーあーうーうー!アハハ!」
「前の奥様に似て顔はいいけれど、中身はただの壊れた人形じゃないの?」
声の主はあろう事かリリィの専属の古参侍女たちだった。そして、その足元には、震えながら地面にうずくまるリリィがいた。その姿を見た瞬間、ブワッ…!とエルサの中に怒りが込み上げる。
「ほら、何か言ったどう?」
リリィが大切にしているクマのぬいぐるみが庭に落とされて、侍女の足に踏みつぶされている。
「あーうーしか言えないの?気持ち悪い!」
「ねえ、こんなことして大丈夫なの?」
「大丈夫よ。そうせ、この子口がきけないんだし。旦那様も距離を取ってるもの。」
「それに奥様も…ちょっと馬鹿っぽいし?」
「そうそう、なんか障がいあるんじゃないの?頭とか?」
「それって、この獣と一緒じゃない?」
クスクス。アハハ。落とされる悪意ある言葉と笑い声にリリィが小さく丸まって震えていた。エルサは考えるよりも先に体が動いていた。低い姿勢で、クマのぬいぐるみを踏みつけている侍女に体当たりをする。
「きゃぁッ!!」
「な、何!?」
エルサの体当たりに侍女は転がったが、エルサは冷たいまなざしで侍女を見下ろし、クマのぬいぐるみを拾い上げた。そして順番に、侍女たちを睨みつけると静かに口を開く。
「___そこまでになさい。」
エルサの地を這うような低い声と今まで見たこともないような冷たい表情に侍女たちの顔が真っ青になっていく。
「奥様…。これは、その、躾を……!」
「躾…__?幼い子供の心を傷つけ、誇りを傷つけることがカトラス家の躾とは知りませんでした…。今すぐにでも、確認してきましょうか?」
いつも、笑顔で子供たちと泥だらけになり、少しオドオドしているエルサの豹変に侍女たちは言葉も出ない。
「リリィ様はあなた方が使える主の娘。カトラス家の宝です。それを、このように傷つけることが、どれほど愚かなことか……___!恥を知りなさいッ!!」
大きな声に侍女たちが肩を震わす。そのまま、エルサはリリィの傍に片膝をついた。
「何事だ?エルサ?どうかしたのか?!」
そこへ、エルサの声を聴いたのかシグルトが駆け付けた。その瞬間その場の空気は一気に凍り付く。
「何事だ?」
エルサは、震えて泣きじゃくるリリィを抱き上げ、クマのぬいぐるみの土を払いシグルトの前に悠然と立った。
「…この者たちは、リリィ様の障がいをあざ笑い、虐げました。…私の事はどういわれてもかまいません。ですが、この家の…辺境伯様の宝物を傷つけるものを私は決して許せません!」
シグルトの蒼い瞳に本物の「魔物」の光が宿る。途端に殺気があふれ出し、侍女たちがガタガタと震え始めた。
「…ハンス、この女たちを今すぐ最果ての鉱山へ送れ。二度と日の光を浴びさせるな。」
地を這うよりも低く、聞いた者を凍らせるような冷たい声でシグルトが告げると、ハンスは一つ頷いて指を鳴らした。すると、どこからともなくカトラス家の騎士が現れ侍女たちを拘束する。
「私の娘を傷つけたこと、妻を侮辱したこと…その一生をもって償ってもらうぞ。」
「きゃぁ、いやっ!」
「申し訳ありません!」
「お許しください!!」
侍女たちが悲鳴を上げて引きずられていくのを一瞥したシグルトは、エルサとリリィに向きなおった。
侍女たちが連れ去られて静まり返った後でも、リリィはガタガタと震え、土まみれのぬいぐるみを胸に抱いて、エルサの腕の中で今にも消えてしまいそうなほど小さくなっていた。
シグルトはどう声をかけていいのかわからず、その大きな手を宙に彷徨わせている。その手をエルサが静かに取って、共にリリィの震える背に当てた。
「リリィ様…怖かったですね…。__悔しかったですね…。」
「…う、う…。」
「でも、一人でよく耐えましたね…。リリィ様はとても強くて、カッコいいですよ。」
そこで言葉を切ったエルサがゆっくりとシグルトを見た。その瞳があまりにも優しくてシグルトは思わず息をのむ。そして、ふわりとほほ笑んだエルサの美しさに息をのんだ。
「……勇敢な心と強い気持ちを持っているリリィ様は、お父様にそっくりですね。」
「ッ…___!」
リリィの背中に触れたシグルトの手がピクリと震える。そして、ゆっくりその小さな背中を撫でた。
「…よく…よく耐えた…。遅くなってすまない…__守ってやれなくて__!」
「うぅぅぅぅ!!……あーあーあー!!」
シグルトの言葉に耐え切れなくなったかのように、リリィはその大きな胸に抱き着いた。小さな体を振るわせて、声にならない声で泣くリリィの背中にしっかりと大きな腕が回る。その腕は未だに戸惑っているが、それでもその力は決して緩まなかった。
「リリィ…__!!」
絞り出したようなシグルトの声が静かに響く。そうして二人はしばらく抱き合っていた。
どれくらいの時が立ったのか、ゆっくりとシグルトから離れたリリィがエルサに視線を向ける。
「リリィ様、見てください!…じゃじゃーん!!これ、私の力作なんです!」
それはエルサが一生懸命作ったカードたちだった。決して上手とは言えない文字と絵が並んでいる。リリィはビクッと肩を揺らしたが、そのカードの色鮮やかさに、思わず目を奪われる。
「あ…う…。」
「これはね、魔法のカードです。言葉が出なくても、このカードがリリィ様の心の代わりに伝えてくれます。」
エルサは、土のついたぬいぐるみの土を優しく払い、カードを一枚出す。そこには「ぴかぴか」という文字と星の絵が描かれていた。
「この子も、後で私が一緒におふろに入れてぴかぴかに治してあげますよ。だから、もう安心です。」
エルサは次にカードの中から、にっこり笑った顔を指した。
「私はリリィ様の子のお顔がみたいな。」
エルサが、クシャリと顔を曲げて笑ってみせると、リリィの瞳から、ポロリと大きな涙が零れ落ちた。リリィはエルサの胸に顔を埋め、声にならない声で再び泣きじゃくった。下半身はシグルトに抱っこされたまま。上半身はエルサの胸に預けて泣くリリィに至近距離で見つめ合う二人はどちらともなく笑った。そしてエルサがそっとリリィを抱きしめて、子守唄を歌うように背中をトントンと叩き始める。そしてそんなエルサをリリィごとシグルトが抱きしめる。そして、空いた片手を柱の陰に差し出した。
「アルヴィン…。」
「…父上…。」
柱の陰から出てきたのは、恥ずかしそうに俯き、そして目にいっぱいの涙を溜めたアルヴィンだった。
「お前も、リリィを守ろうとしてくれたのだな。」
「…でも、僕は…何も…。」
そう言ってうつむくアルヴィンをシグルトが強い力で抱きよせた。
「!!ち、父上!?」
「…すまなかった…お前たちに…辛い思いをさせて…。」
「…ぅ…ッ…___!」
アルヴィンは感情を表に出すのが苦手だった。妹が傷つけられるのを見ても、どうやって救えばいいのかわからなかった。…自分も父上が無関心な子供だと思っていたから___。
でも、その全てを彼女…エルサが変えてくれた。アルヴィンはそっとエルサのドレスに手を伸ばす。するとその手はエルサにそっと握られる。それがくすぐったくて…温かくて…どうしようもなく幸せだと思った。
それからしばらくして、四人が自然に離れる。
「よかった……。辺境伯様も、アルヴィン様もリリィ様も…みんな幸せですね。」
「…エルサ、なんで父上だけ、辺境伯様なんだ?父上と結婚するのだから、お前だって辺境伯婦人になるんだぞ?」
「えぇ?!あ、いや、そうでした…。あ、えーとっ…なんてお呼びすればいいのでしょうか?…旦那様?」
「…それはやめてくれ。使用人と同じように呼ばれたくなはい。…あなたさえよければ名前で呼んで欲しいのだが…?」
「名前ですか…?___シグルト様…。」
そうエルサに呼ばれた瞬間、シグルトが今まで見たこともないほど穏やかに笑った。
「ああ、それがいいな。」
その笑顔に胸が跳ねる。そして、かぁぁ!ッと耳まで赤くなるのがわかった。何その顔!かっこよすぎるよ…。そう思った瞬間、ぐにゃりとシグルトの顔が歪む。そして視界が急に暗転する。
「エルサ!!」
シグルトの呼び声が響く中、エルサの意識は暗闇に沈んでいった。




