第五十九話「契約の終わり、意志の始まり」
差し出された、無骨で大きな手。
その手を、リリエルは静かに見つめる。
かつて、その手はあまりにも遠かった。
ただの契約の相手。
冷徹な辺境伯。
決して踏み込んで、触れてはならない人。
――でも、今は違う。
ゆっくりと、深く息を吸う。
胸に手を当てれば、鼓動がはっきりと、自分自身の真実を告げていた。
怖くなかったわけじゃない。
最初は、ただの契約だった。
期限付きの、借り物の居場所。
いつか終わると分かっていたから、
心を閉ざし、深く踏み込まないようにしていた。
けれど。
サンルームで共に笑った、柔らかな時間。
市場を歩き、贈ってくれたアクセサリー。
食卓を囲み、言葉を交わした穏やかな日常。
そして今、目の前で跪く彼の姿。
それが、積み重なったすべての答えだった。
リリエルは、頬を伝う涙を拭う。
そして、真っ直ぐに彼を見つめ返した。
「……私は」
震える声に、魂を乗せる。
「誰かに選ばれるだけの存在ではなく、
私が、私自身の手で選びたいのです」
朝の光の粒子が舞う中、彼女は一歩、前へ踏み出す。
そして、差し出されたその大きな手を、
自らの両手で温かく包み込んだ。
「アレクシス様」
小さく、けれど凜とした響き。
「あなたの隣で生きることを、私が、選びます」
息が止まるような静寂が広間を包む。
アレクシスの瞳が、驚愕と、それ以上の歓喜に激しく揺れた。
「契約ではなく。義務でもなく。……私の、意志で」
彼女は微笑んだ。
あの日、怯えて城門をくぐった身代わり令嬢の面影は、もうどこにもない。
「あなたを、愛しています」
その言葉は、運命への勝利宣言だった。
アレクシスは力強く立ち上がり、包み込まれた彼女の手を、今度は壊れ物を扱うように、けれど決して離さない強さで握りしめた。
「……リリエル」
それ以上の言葉は、もう必要なかった。
夜は完全に明け、古い呪いも、歪な執着も、朝の光に溶けて消えていく。
契約の花嫁は、もういない。
そこにいるのは、自らの意志で未来を掴み取った、ひとりの女性。
そして、彼女をひとりの人間として、対等に愛し抜く男。
二人の新しい物語が、今、ここから始まる。
ありがとうございました!
まだ少しだけ番外編のエピソードを書きますが
リリエル、アレクシスが
ハッピーエンドになってくれて
私も嬉しいです!
ここまで、お読み下さり
ありがとうございました!




