第五十四話「契約の終わり、選択の始まり」
「リリエル、帰ろう」
低く、迷いのない声だった。
その一言に、リリエルは息をのむ。
帰る。
その言葉の意味が、胸に広がる。
「……アレクシス様」
思わず名を呼ぶ。
だがその背後で、マキシムが一歩前へ出た。
「帰る、だと?」
静かな声。
だが、その奥には苛立ちが滲んでいる。
「アレクシス。お前の意思とは別に、ジーク伯爵は“一年間のみ”リリエルを預けたにすぎない」
言葉を区切る。
「残りは、あと数か月だろう」
リリエルの腕を掴む力が、わずかに強くなる。
「……お父様も、知っていたのですか?」
胸がざわつく。
父ジークは、私が契約で一年だけ辺境伯家に留まることを承知していた?
なぜ。
どうして。
アレクシスが、即座に言い返す。
「リリエルを一年限りで預かると決めたのは俺の意思だ!」
声が強くなる。
「ジーク伯爵は関係ない。お前は何か勘違いしている」
瞳が鋭く光る。
だがマキシムは、構わず続けた。
「いいや、関係ある」
広間の空気が張り詰める。
「俺は、ジーク伯爵に会いに行った」
リリエルの心臓が止まりかける。
「……え?」
マキシムは真っ直ぐに言った。
「ルーカスは記憶を失い、
婚約破棄を撤回する見込みはない」
その現実を、静かに突きつける。
「だからこそ俺は、伯爵に頼んだ」
一歩、前へ出る。
「アレクシスではなく、俺にリリエルを譲ってほしいと」
空気が凍る。
リリエルの指先が白くなる。
「再婚になる男に娘を送るより、
初婚の俺のほうが世間の目は穏やかだ」
容赦のない言葉。
「リリエルの立場を考えろ、と伯爵に伝えた」
静かな宣言。
「そして、承諾をもらっている」
言葉が落ちた瞬間。
夜明け前の空気が、重く沈む。
「……承諾?」
リリエルの声が、震える。
父が。
自分の知らないところで。
自分の未来を、決めていた。
アレクシスの表情が変わる。
怒りではない。
もっと深く、冷たいもの。
「勝手なことを」
低く落ちる声。
マキシムは視線を逸らさない。
「勝手でも何でもない」
「俺は最初から、正面から奪いに来ている」
その覚悟は、本物だった。
三人の影が、長く床に伸びる。
誰の言葉が正しいのか。
誰がリリエルの未来を考えているのか。
だが――
決めるのは、もう父ではない。
契約でもない。
リリエルの胸が、大きく波打つ。
嵐は、さらに深くなる。
今回もお読みいただきありがとうございます。
ついに夜明けを迎えました。
守られるだけだったリリエルが、自分の意思で立つ事が出来るのか?
そして、アレクシスとマキシムの覚悟もぶつかり合いました。
まだ嵐は完全には去っていません。
次回、物語はさらに大きく動きます。
どうか最後まで見守っていただけたら嬉しいです。




