第四十三話「思い出せない最愛」
アレクシスが去った後。
扉が閉まる音だけが、やけに大きく響いた。
部屋に残されたのは、朝の淡い光と、取り残された静寂。
ルーカスは、しばらく動かなかった。
ただ、先ほどの言葉が、何度も頭の中で反響する。
――お前は覚えていないのか?
――どこから覚えていて、どこから忘れてしまったんだ?
「……忘れる?」
ぽつり、と呟く。
僕は何かを忘れてしまったのだろうか?
記憶を辿る。
姉のこと。母のこと。義兄のこと。
すべて覚えている。何一つ欠けていないはずだ。
それなのに。
胸の奥が、ひどく寒い。
まるで、大切な何かを置き去りにしてきたような。
名も分からぬ喪失感が、じわりと広がる。
「……おかしいな」
理由もなく、涙が溢れる。
義兄のあの必死な顔。
あの声。
そして――
「リ……」
喉がひりつく。
なぜ、その音がこんなにも自然に浮かぶのか分からない。
「…………リリエル……?」
自分で口にして、はっとする。
胸の奥が、強く脈打った。
忘れているはずの名。
知らないはずの少女。
それなのに。
どうしようもなく、愛おしい。
涙が、静かに零れる。
「僕は……いったい、何を失くしたというんだ……?」
その問いに、答えはない。
けれど確かに――
今、心の奥で何かが呼応した。
見えない糸が、きりりと張り詰める。
⸻
――その頃。
王都へと急ぐ馬車の中。
マキシムに抱きかかえられたまま、リリエルのまぶたが震えた。
「……もう大丈夫だ」
低く、優しい声。
その腕の中で、彼女はゆっくりと目を開く。
焦点の定まらない瞳。
唇が、かすかに動く。
「……ル……」
それは、風に紛れるほど小さな音。
けれど確かに、名を呼ぼうとした。
その瞬間。
遠く離れた館で、ルーカスの胸がひどく痛んだ。
同じ朝の光の下。
遠く離れた二人の魂が、確かに触れた。
一瞬だけ、強く結ばれる。
そして。
ぷつり、と。
音もなく、切れた。
リリエルの瞳が、ゆっくりとマキシムを映す。
「……あなたは、マキシム様?」
無垢な問い。
そこに、ルーカスの影はない。
遠くの館で、ルーカスは胸を押さえたまま、涙を流す。
理由の分からない喪失感。
だが、それが何だったのかを思い出すことは、もう二度とない。
それは――
二人の想いが、最後に繋がり、
そして完全に断ち切られた瞬間だった。
もう、交わることのない道。
運命は、静かに閉じた。
そしてルーカスは、
この先、決して思い出すことのない。
世界で一番、愛した女性を――
永遠に失った。
今回は、ルーカス回でした。
魂は最後に触れたのに、
記憶は戻らなかった。
作者としても胸が痛い回です。
ここから物語は、さらに動きます。
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