第三十八話「為される愛」
廃教会に、沈黙が落ちる。
セレスティーヌの好きな花の香水をかければ、呪いは解ける。
一つはルーカスの屋敷に。
一つはアレクシスの屋敷に。
ビリーが、ゆっくりと立ち上がる。
「呪いの花は、二人それぞれの場所で咲いているんだろ? なら、それぞれが――それぞれで考えろ」
低い声。
「どちらかが正解を引けば、もう片方も助かる……そんな都合のいい話じゃない」
ルーカスの眉がわずかに動く。
アレクシスの視線が鋭くなる。
「それぞれが、自分の受けた呪いを終わらせろ」
ビリーは続ける。
「間違った花の香水をかければ――」
一瞬、言葉を飲み込む。
それでも、言う。
「記憶が消える」
空気が凍る。
「愛していた女のことだけをな」
ルーカスの指がわずかに震える。
アレクシスが低く問う。
「……リリエルだけを?」
「ああ」
ビリーの目が暗く揺れる。
「リリエルの記憶だけが、綺麗に抜け落ちる」
沈黙。
「よく考えろ」
声が強くなる。
「どんなに取り繕っても――本当にあいつを見ていたなら、思い出せるはずだ」
廃教会の冷気が、さらに重くなる。
ルーカスの瞳が揺れる。
「それが見つけられないなら」
ビリーの視線が二人を射抜く。
「リリエルへの愛も、所詮は表面だけだってことだ」
挑発でも、嘲笑でもない。
ただ事実のように、言葉が落ちる。
長い沈黙のあと、ルーカスが背を向けた。
「……僕は戻ります」
アレクシスも動く。
「俺もだ」
二人は同時に、別々の方向へ歩き出す。
廃教会の扉が、それぞれに開く。
夜明けの光が、二筋に分かれる。
ビリーは動かない。
マキシムが的確に部下へ指示を出す。
部下が近づく。
「拘束を」
短い命令。
縄がかけられる。
それでもビリーは抵抗しない。
ただ――駆け出す二人の背を見ていた。
「マキシム、この結果だけは必ず教えてくれ。この賭けは、セレスが望んだことなんだ!」
マキシムの脳裏に一つの仮説が浮かぶ。
「まさか、セレスティーヌはこうなることを分かっていたのか!」
ビリーは不適な笑みを浮かべ、何も答えない。
そして、アレクシスを追いかけてマキシムもリリエルのいる辺境伯邸までの長い道のりに走り去った。
愛を証明するために。
ビリーの喉がわずかに鳴る。
「……セレス」
かすれた声。
「本当に、これで良かったのか?」
朝日が差し込む。
彼の影が長く伸びる。
「お前は、アレクシスに忘れられる覚悟までしていたんだろう」
目を閉じる。
「……あいつに、お前の好きな花が分かるかな?
セレス、お前自身も気付いていなかったかもしれないが、
お前が本当に愛していたのは、自分自身の分身でもあるルーカスただ一人なのかもしれないな」
縄に縛られたまま、ビリーは笑う。
痛みを噛み殺すような笑み。
「さあ、選べ」
呟きは、誰にも届かない。
二つの屋敷で、二輪の黒い花が同時に開く。
――試されるのは、記憶か。
それとも、愛か。
呪いの花は、二輪。
記憶は試され、愛は問われる。
――そして、どちらが正しかったかは、まだ誰も知らない。




