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『婚約破棄の手紙から始まる、辺境伯との再婚生活』  作者: はる乃


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第三十ニ話「いつからだ?」

沈黙を破ったのは、アレクシスだった。


剣は下ろしたまま。

だが、その瞳は逸らさない。


「……ビリー」


低く、掠れた声。


「教えてくれ」


ビリーが口元の血を拭う。


「何をだ?」


「いつからだ」


一歩、近づく。


「いつからセレスティーヌとの関係が始まった?」


空気が凍りつく。


ルーカスの肩が震え、マキシムの視線が鋭く細まる。


ビリーはしばし沈黙し、目を伏せた。


「……聞かないほうが、お前は楽だ」


小さく息を吐く。


「それでも、俺には知る権利がある。

仮にもセレスティーヌは俺の妻だった。

そしてお前も――俺の親友だ」


ビリーはゆっくりと顔を上げ、かすかに嗤った。


「知ってどうする」


「教えろ。本当の彼女を知りたい」


怒号ではない。

懇願でもない。


ただ、わずかに震えている。


「……俺が遠征に出ていた頃か?」


ビリーの瞳が揺れる。


「違う」


「……では、新婚当初からか?」


ルーカスが息を呑む。


ビリーはゆっくりと立ち上がった。


「お前たちが子どもを諦めた、あの日以降だ」


アレクシスの喉が鳴る。


「跡取りが産めないセレスを、責めるでも慰めるでもなく、

『親族から跡取りを決める。だから安心しろ』と言ったのを覚えているか?」


静寂。


「あの日を境に、セレスは壊れ始めた」


「俺は……子どもができないことで悩むセレスの負担を取り除きたかっただけだ」


「お前は、それで良かったのかもしれない」


ビリーの声は低い。


「だが、諦めさせられたセレスはどうだ。

なぜ、こんな大事なことを一人で決めた?

なぜ、相談しなかった?」


沈黙。


「一度でも考えたことがあるか?」


風が鳴る。


「……いや、ないだろうな。

お前もマキシムも、あの頃は前線に駆り出される前で、女のことを考える余裕などなかった。それは分かる」


わずかに笑う。


「だから、俺が代わりに支えた。それだけだ」


そして、静かに告げる。


「俺からじゃない。誘ったのは、セレスのほうだ」


「嘘だ!」


ルーカスが叫ぶ。


「嘘ならよかったな」


ビリーはアレクシスを真っ直ぐ見据える。


「セレスは、最後まで迷っていた」


空気が変わる。


「お前を愛していた」


はっきりと言う。


「本気でな。あいつは最後まで、お前の妻であろうとした」


アレクシスの指が、わずかに動く。


「だが同時に、お前を憎んでもいた」


「……何を言っている」


声が崩れる。


「お前は分かっているつもりで、何ひとつ分かっていなかった」


ビリーの声は穏やかだ。


「セレスはな、俺の前で何度も言った」


月明かりが横顔を照らす。


「“アレクシスは、常に正しいの”って」


小さく笑う。


「“私の声は、いつも届かない”ってな」


沈黙。


「アレクシスだけは変わらない。

結婚しても、幼馴染のまま。

“私じゃなきゃ駄目な理由を探すけれど、見つからない”って」


アレクシスの呼吸が止まる。


「お前は確かに彼女の立場を守った。子どもができないことも責めなかった」


一歩、近づく。


「だが――救いもしなかった」


静寂。


「お前は、セレスの孤独に気づかなかった」


言葉が落ちる。


「跡取りの話をした数日後、偶然街で会った」


ビリーの瞳が遠くを見る。


「笑っていたよ。

“これで楽になるわ”ってな」


喉がわずかに震える。


「だが、そのあと吐いた」


誰も動けない。


「あいつは子どもが欲しかったんじゃない」


視線が突き刺さる。


「“お前との子ども”が欲しかったんだ」


重い沈黙。


「なのにお前は、それを静かに終わらせた」


「俺は……」


「分かってる。悪意はなかった」


ビリーは淡々と続ける。


「だからこそ、あいつは壊れた」


風が強まる。


「俺といるときも、あいつは迷っていた」


声が掠れる。


「俺に抱かれながら、泣いていたこともある」


ルーカスが目を見開く。


「“どうしてアレクシスじゃないの”ってな」


世界が揺れる。


「俺を選んだんじゃない」


自嘲する。


「あいつは逃げ場を選んだだけだ」


その一言で、すべてが裏返る。


「最後まで、お前を見ていたよ」


低く言う。


「俺を見ながらも、お前の影を探していた」


月が傾く。


「俺を選ぶ勇気も、

お前を捨てる覚悟も、

どちらも持てなかった」


沈黙。


「それが、セレスティーヌだ」


アレクシスの指が白くなるほど剣を握る。


「身体を重ねたのは、一度や二度じゃない」


ルーカスが飛びかかろうとする。

だが、アレクシスが腕で制した。


「……子どもは」


声はほとんど消えかけている。


長い沈黙。


ビリーの喉が、わずかに動く。


「……ああ」


視線を逸らさず、告げる。


「俺の子だ」


廃教会の空気が止まる。


アレクシスは目を閉じた。


怒りではない。

悲鳴でもない。


ただ、深く、静かな崩壊。


(俺は、何も知らなかった)


「……そうか」


それだけだった。


その一言の中に、

裏切りも、後悔も、

自分への嫌悪も、

そして――なお残る愛も。


すべてが沈んでいる。


ビリーが囁く。


「あいつが、どんな思いでお前との子どもを欲しがっていたか分かるか。

それなのに、俺との子どもはすんなりできた」


息を吐く。


「あれほど望んでいたものを、相手が違うだけで殺すなんて……どうかしてる」


沈黙。


「どうして相談してくれなかった?」


「お前に相談したら、セレスを譲ってくれたのか?

それとも、俺との子どもを――お前とセレスが育てたとでも言うのか?」


「それは……」


「お前は偽善者だ」


静かな挑発。


マキシムの視線が鋭くなる。

ルーカスは息を呑む。


アレクシスは、ゆっくりと目を開けた。


その瞳に宿るのは、怒りでも決意でもない。

もっと冷たい光。


剣先が、わずかに持ち上がる。


夜明け前の空気が、ひび割れるように軋んだ。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。


重く苦しい物語でしたが、最後まで見届けていただけたことに感謝しています。


アレクシスも、ビリーも、セレスティーヌも、誰か一人が完全な悪ではありません。

それぞれの愛が歪み、すれ違い、取り返しのつかない選択を重ねた結果がこの物語です。


少しでも心に残るものがあれば嬉しいです。


ブックマークや感想、とても励みになります。

もしよろしければ応援していただけると、次の物語を書く力になります。


本当にありがとうございました。


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