第二十五話「真実の代償」
辺境の夜を、猛烈な吹雪が叩きつけていた。
屋敷の重い扉が乱暴に開かれ、雪まみれのマキシムが駆け込んでくる。
「アレクシス! どこだ、アレクシス!」
執務室から飛び出してきたアレクシスは、その尋常ではない形相に息を呑んだ。
「マキシム……? この嵐の中、王都からどうやって――」
答えはない。
マキシムは肩で荒く息をつきながら、一通の書面を机に叩きつけた。
ある医師が密かに隠していた、裏の診療記録だ。
「……見てくれ。セレスティーヌの記録だ」
訝しげに紙を手に取ったアレクシスは、一読し――凍りついた。
「……妊娠、だと?」
「そうだ。お前が戦場にいた、あの期間だ」
紙を握る指が、わずかに震える。
「……計算が合わない。私は、あの時期、一年以上ここには戻っていない」
ゆっくりと顔を上げる。
「マキシム。これは――誰の子だ」
視線を逸らすマキシム。
拳を握りしめ、唇を噛む。
幼馴染として、その真実を告げる残酷さを思うと言葉が喉に絡みつく。
妻の不貞を平然と受け止められる男など、いない。
「……言えよ」
低く、地を這う声。
「相手は誰だ。王都の誰かか? 仲間か? 答えろ!」
胸ぐらを掴まれ、激しく揺さぶられる。
「誰が、彼女を――!」
「ビリーだ!」
叫びが執務室を裂いた。
ぴたり、と動きが止まる。
「……ビリー……?」
「そうだ。あいつは、セレスティーヌと……」
言葉が途切れる。
アレクシスは力を失い、その場に崩れ落ちそうになった。
戦場で死線を彷徨っていたあの時。
最愛の妻と、最も信頼していた親友が――。
「……あいつは、その子を堕ろした彼女を見て壊れた。病院で錯乱し、暴れた証言もある。事故の日に消えたのは……悲しみじゃない。復讐のためだ」
アレクシスの中で、聖域のように守ってきた記憶が音を立てて崩れていく。
彼女との思い出。
自分を想ってくれていると、疑いもしなかった日々。
「……俺は、何を守ってきたんだ……」
彼女が死んでから、彼を縛り続けていた罪悪感が、最悪の形で砕け散る。
だが――
鎖が外れた瞬間、行き場を失った情愛は、濁流のように別の場所へと流れ込んだ。
(リリエル――)
妻に悪いと、自ら封じてきた感情。
気づかぬふりをしてきた想い。
だが今、その衝撃が最後の枷を壊す。
――これで、彼女を愛してもいいのか。
愛したい。
今すぐ抱きしめたい。
その刹那。
ガシャン!!
サンルームのガラスが粉砕された。
「リリエル!」
二人は弾かれたように駆け出す。
扉を開けた先に広がっていたのは、異様な光景だった。
リリエルが植えた種から、月光を吸い込んだような黒い花が一斉に咲き乱れている。
その中心で、リリエルが膝をつき、激しく咳き込んでいた。
「……アレクシス、さま……」
顔を上げた瞬間、唇から鮮烈な赤が溢れる。
「リリエル!」
二人は迷わず駆け寄り、左右から彼女を支えた。
アレクシスは抱き寄せ、その体温の低さに息を呑む。
マキシムは、周囲に満ちる異様な空気に顔を歪めた。
「……なんだ、この花は……この匂いは……!」
黒い花弁から漂うのは、かつてビリーが持ち込んだ酒と同じ、甘く腐った芳香。
「何を植えたんだ!?」
リリエルは弱く首を振る。
代わって、アレクシスが絞り出す。
「……王都から届いた小包だ。差出人は不明だが、ルーカスから贈られた種だと……彼女は『真実を知るために』と」
「ルーカスだと……!?」
怒りが走る。
「あいつ、確信犯か――!」
「……違う」
アレクシスは、彼女をさらに強く抱き寄せた。
その瞬間、彼女の口元から再び血が溢れる。
「なぜだ……触れるだけで悪化していく……!」
その時、マキシムの脳裏で全てが繋がった。
ビリーの復讐。
ルーカスの絶望。
そして今、自分たちが抱いている感情。
「……アレクシス、離れろ」
声が震える。
「俺たちが彼女を“愛しい”と思うほど、呪いが強まっている」
アレクシスが凍りつく。
「何の話だ。そんな馬鹿なことがあるわけない」
「聞いてくれ! 彼女を心から愛してしまった俺たちが……想えば想うほど、この花は彼女の命を吸い上げる。あいつの復讐は、最初からこれだったんだ」
「……何を、馬鹿な……」
否定の言葉とは裏腹に、腕の中の体温は確実に奪われていく。
絶望が、静かに落ちた。
腕の中のリリエルは、もう目を開けない。
なぜルーカスが彼女を手放したのか。
なぜ自分に預けたのか。
その答えが、黒い花の香りとともに突きつけられる。
「ルーカス……貴様、こんな地獄を一人で抱えていたのか……」
吹雪が吹き荒れるサンルームで、二人は立ち尽くす。
自分たちの“愛”が、彼女を殺す。
その残酷な現実の前で。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
ようやく真実が明らかになりましたが、
代償はあまりにも大きいものになりました。
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