第二十三話「期限付きの幸福」
屋敷に戻った瞬間、
アレクシスは空気の変化を敏感に察した。
玄関ホールに足を踏み入れた途端、
使用人たちの視線が一斉にこちらへ向く。
それは、
警戒でも緊張でもない。
どこか、ほっとしたような――
隠しきれない安堵。
隣を歩くリリエルも、
その変化に気づいたのだろう。
わずかに身じろぎし、戸惑いをにじませる。
彼女は、分かっていない。
自分たちが、
どのように見えているのかを。
アレクシスの腕に触れない距離を保ちながら、
それでも自然に並んで歩く、その姿。
それを目にした年配の使用人が、
ほんのわずかに目を細めた。
セバスチャンは何も言わない。
ただ一礼し、
いつもよりわずかに柔らかな声で告げる。
「お帰りなさいませ」
それだけで、十分だった。
(……そうか)
屋敷は、
“失ったものの埋め合わせ”を歓迎している。
誰かを圧することもなく、
空気を張りつめさせることもない。
そこにいるだけで、
周囲を温かくするような存在を。
そう理解した瞬間、
胸の奥に小さな痛みが走った。
セレスティーヌの件が解決するまで、
誰も後妻には迎えない。
それが義務なのか、
幼馴染としての情なのか、
あるいは愛情なのか。
自分でも、まだ区別がついていない。
それなのに――
屋敷の者たちは、
新しい女主人を待ち望んでいる。
(……危ういな)
そう思ったはずなのに。
気づけば自分もまた、
その“空気”を拒みきれていない。
屋敷の者たちと同じように、
この光景を――
彼女がそこにいる未来を、
どこかで待ち望んでいる。
それが錯覚なのか、
それとも本心なのか。
まだ、分からない。
自室に戻ったリリエルは、
ネックレスを外し、そっと掌に載せる。
深いダークブルー。
光を受け、静かに輝く石。
屋敷の人たちが、
なぜあれほど優しくしてくれるのか。
その理由は分からない。
けれど――
嫌な感じは、ひとつもなかった。
――世界は、とても広い。
ふと、そんな言葉が浮かぶ。
これまでの自分は、
本の中の世界しか知らなかった。
物語の中で旅をし、
文字の中で人と出会い、
現実の世界はいつも窓越しだった。
帰りの馬車で、
アレクシス様が語ってくれたことを思い出す。
街の話。
領地の話。
まだ見たことのない景色。
「少しずつでいい。
君の世界を、広げていけばいい」
その声は優しく、押しつけがましくない。
未来を“与える”のではなく、
一緒に歩こうとする響きだった。
一年の契約だとしても。
またこの時間が失われるとしても。
今はただ、
感謝で胸が満たされている。
ルーカスのことが、
気にならないわけではない。
心の奥に、
小さな引っかかりは残っている。
それでも――
これ以上、
屋敷の人々や
アレクシス様に心配をかけたくない。
そう思えたことが、
リリエルにとっては大きな変化だった。
ネックレスを、そっと胸元に戻す。
仕事を終えたセバスチャンは、
遠く瞬く星を見上げ、
誰にも聞こえぬほど小さく息を吐いた。
「……上手くいってくれたら」
ネックレスの色が、
これから何を象徴していくのか。
穏やかな屋敷が、
いつまで穏やかでいられるのか。
少しずつ、歯車は動き始めています。
続きも読んでいただけたら、とても嬉しいです。
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