第十九話「母という名の檻」ナーシャ視点
――あの子が生まれた日、
私は、祝福の言葉を一つも思い浮かべられなかった。
リリエルは、私に無いものをすべて持って生まれてきた。
金色の髪。
金色の瞳。
透き通るような白い肌。
私が、唯一愛した男。
ジークに、あまりにもよく似ていた。
結婚すれば、
寝床を共にし、会話を重ねていくうちに、
いつか彼は私を見てくれる。
私を、愛してくれる。
そう信じていた日々。
だが跡取りの息子がお腹に宿った、
あの日を境に、
私たちが寝床を共にすることは、二度となかった。
彼の視線が向かうのは、
いつも美しく可愛いリリエルだけ。
息子が生まれた時、
自分と同じ黒髪で、切れ長の吊り目をした赤子を見て、
私は心から安堵した。
――今でも、その感情を、はっきり覚えている。
そして、産後の体を引きずるように出席した茶会で、
私は“それ”を耳にした。
「……あの子、本当に美しいわね」
「将来が楽しみね!」
「ええ。ナーシャ様に似なくて、よかったこと」
笑い声。
悪意は、香水のように薄く、甘く漂っていた。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
(――ああ)
最初から、間違っていたのだ。
愛されないのなら、
最初から、愛さなければよかった。
金で買った夫だと、嗤われ。
産んだ娘と、比べられ。
腹の底から湧き上がる憎しみを、
もう、止めることができなかった。
愛されなかったのは、私。
なのに――奪われるのも、私。
その夜、私は幼いリリエルを椅子に座らせた。
「じっとしていなさい」
小さな肩が、びくりと震える。
怯えた瞳が、鏡越しにこちらを見ていた。
黒い染料が、金の髪を塗り潰していく。
(私と同じになればいい)
(二度と馬鹿にされないよう、社交の場などに出させてなるものか)
それは、躾でも、教育でもなかった。
やがて、手紙が届くようになる。
少年たちの、拙くて、甘い言葉。
私は、それを一通ずつ破いた。
「この子には、必要ない」
愛される未来など、幻だ。
幸せになんて、させない。
私の娘なのだから、
私と同じ苦しみを、味わわなければならない。
――なのに、よりによって。
ジークが、かつて唯一愛した女の息子から、
リリエルに婚約の申し込みが届いた。
どうして?
なぜ?
あの男は、最後の最後まで、
私を裏切り続けていたのだ。
忘れられなかったのだ。
あの女を。
そして、自分に似た娘と、
その忘れ形見を結びつけるなんて――
胸が、張り裂けそうだった。
しばらくは、何も考えられなかった。
だが。
婚約破棄の知らせが届いた、その瞬間。
胸の奥に、熱いものが込み上げた。
――嬉しい。
――ざまあみろ。
あの女の、嘲るような笑い声が、
耳元で響いた気がした。
それでも。
私の手は、震えていた。
私よりも幸せな人生になど、
させてたまるものか。
抑えられない気持ちのまま、私は娘の部屋の扉を開けた。
だがそこには、
心痛な面持ちで、静かに涙を流すリリエルの姿があった。
思った以上に、
あの子は深く傷ついていた。
私はその時、ようやく気づいたのだ。
(私は間違っていたの?)
リリエルが、自分以外の人間に傷つけられたこと。
それが、予想以上に私自身をも深く傷つけているという事実に。
かける言葉も見当たらず、そっと部屋を後にした。
(……間違ってなんかいない!)
私がしてきたことは、教育よ。
そうでなければ、
私自身が、間違っていることになってしまうじゃない。
私は、世界で一番、あの子を理解しているのだから。
そう。
これで良かったの。
誰かの一番になど、なれはしない。
――私たち、親子は。
誰かを傷つける人は、
たいてい「自分は正しい」と信じています。
ナーシャもまた、
娘を縛り、奪い、閉じ込めながら、
それを“教育”だと疑いませんでした。
彼女の言葉をどう受け取るかは、
読んでくださった皆さんに委ねたいと思います。




