18 決行
時間の経過と共に不倫を楽しむカップルを見かけるようになってきた。
葉陰でワイン片手に口説く者。彫刻の影でこっそりキスする者。今夜は無礼講だ。
下僕も、給仕の合間に好きなメイドの胸に触れたりして一夜の恋を楽しんでいる。
ふと、老婦人と若い下僕の会話が聞こえてきた。
『マダム、この酒は、水を入れると白く濁るんですよ。ライオン酒と呼ばれているものです』
『アラ、魔法みたいね。何のお酒ですの?』
『椰子の実で作ったお酒です。そして、ご覧ください。こちらは米から作るお酒ですぞ。はるか遠い国から輸入したものですよ』
次々とお酒を運んでいた給仕も、今夜は特別だとばかりに盗み飲みをしている。
楽師達もほろ酔い気分なのか顔が赤くなっており、屋敷に使える古参の執事さえも酩酊状態になっている。
王子の護衛は、最初の頃は、王子に寄り添っていたというのに、猛烈な吐き気を催して口許を押さえている。そして、植木鉢に顔を突っ込んで吐いている。
「王子……。お久しぶりです。アリーシャです……」
今なら近寄れると踏んだアリーシャは王子の背後に立った。
アリーシャは扇で顔を隠したまま語りかけていく。
「ずっと王子に会いたいと願っておりました」
「そ、そなたは、余が王子だと分かるのか。そなた、元気であったか……。」
「はい、もちろんですわ。王子、誰もいない場所で話したいことがあります。ぜひ、来て下さいませんか」
「……お、そうだな」
王子は周囲を気にしながら頷いている。まだまだ、王子はアリーシャに未練があるようである。
(やったわ。この調子で誘惑すれば何とかなるかも!)
そして、アリーシャは意味ありげに微笑んでからヒラリとドレスの裾をなびかせて立ち去っていく。餌を撒いておいた。後は、王子がやってくるのを待つのみ。その数分後。
「アリーシャ! おおっ! 会いたかったぞ」
王子が駆けてきた。酔い潰れている二人の護衛を振り切り、周囲を見まわしながら指定した噴水の前の東屋に姿を現したのだ。
「さぁ、王子、こちらにいらして下さいませ」
噴水の背後に広がっているのは立派な整形庭園である。
「うふふ。会えて嬉しいわ。あたし達の姿が誰にも見えない場所に行きましょう」
幾何学模様の迷路のような形の庭園の奥へと進みながら言う。
「さぁ、お急ぎください」
じきに、追手が来るだろう。王子がどこにもいないと気付いた従者達が大騒ぎすることは分かっている。
(さぁ、早く! 早く! 早くしなさいよーーー!)
素直な王子はアリーシャに会えたことを喜んでいるので、アリーシャに手を引かれて、どこまでもついてくる。最短ルートで庭の裏手の裏門に向かっているなんて気付いていない。
(王子、あなたにとっても、ここから出ることはいいことなのですよ。さぁ、ついてきて下さいませ!)
多少の罪悪感を感じながらも緑の回廊の深部へと巧みに誘導していく。
「王子に会いたいと思っていました……。でも、無理やり結婚させられて悲しかったんです」
背中がジリジリと汗ばむような気持ちだった。
(もうすぐ花火が上がる)
花火が上がっている間は誰もが花火に夢中になる。その間に、王子を乗せた船が沖へと出ることになっている。
入れ替えるには衣装が必要だ。まずは、今、王子が身に着けている服を脱がさなければらない。
王子がスケベな奴なら色仕掛けで簡単に脱がせられるのに……。仕方ない。まずは、楽しく誘うべきだろう。
「もっとよく見える場所があるわ。使用人たちから聞いたんです。埠頭に浮かぶ船の上から見るのが一番綺麗に見えるそうですよ」
しかし、誰にも内緒で屋敷から出ることには抵抗があるのか、すぐさま首を振っている。
「ま、待て、余がいなくなると皆が騒ぎ出すぞ」
馬鹿は馬鹿なりに考えているようである。アリーシャはニッコリと笑って告げていく。
「問題はありません。大丈夫ですよ。仮面と衣服を貸してください。他の者にこれを着せてしまえばいいのです。時間稼ぎが出来ますよ。さぁ、王子、着替えましょう!」
「アリーシャ。余は、以前、市場で迷子になって皆に迷惑をかけたのじゃ。同じ失敗を繰り返す訳にはいかぬ。すまんが、今宵の花火はここから二人で見るとしよう。花火より、余は、そなたの顔を見たいのだ」
「お、王子様……」
しばらく見ない間に王子も賢くなったようだ。人間って成長するのねと感心している場合ではない。
さぁやるぞとばかりに、王子の仮面をさっと剥ぎ取った。
「アリーシャ、余の仮面をどうするつもりなのだ!」
「もちろん、こうするのよ!」
ひょいと茂みの向こうに投げていく。すると、その直後、ハラスが手を伸ばして仮面を受け取った。
「えっ?」
王子は鏡を見ているようになり混乱したのだろう。
いつもは子犬みたいに無邪気なのに顔がピキーンと凍り付いている。
低木の隙間にもう一人の自分がいる。しかも、その人は下着姿で立っている。このシュールな状況に王子は理解が追いつかないようである。
「お、おまえは何者なのだ?」
王子がハラスに詰め寄ろうとするが、アンブラが背後から王子の首筋を狙って吹き矢を吹いた。
もちろん、それはあっさりと命中して、王子は力なく膝から崩れ落ちている。
「やったわ! ハラス、アンブラ、服を脱がすのを手伝ってよ!」
迷路の出口はすぐそこだ。
庭師専用の物置が見えてきた。
小さな門から屋敷の外側にある小路へと出られるようになっている。
アンブラは王子の衣服を脱がすと、それをハラスに手渡した。ハラスはすぐさま着替える。
アンブラは気絶している王子を大きな布袋に押し込むと、袋の先端を縄で結んで閉じていく。そして、小麦粉でも運ぶかのように担いでからアリーシャに会釈した。
「引き続き、坊ちゃんをよろしくお願いします。気を付けて下さいませ」
「アンブラ、約束を守ってね! 後で、ちゃんと王子を戻してくれるよね!」
「もちろんです。あっ、そうそう、トルカは、先刻、ここを通って館内に向かいました」
ここからは、トルカにランドールの役をやってもらうことになっている。
カサカサッ。迷路の繁みの枝葉を掻き分けるようにしてアンブラは闇の向こうへと消え去っていった。
ふと、隣を見るとハラスは王子の仮装の衣装を身に着け終えていた。だけど、まだ仮面は装着していない。素顔を夜風に晒したまま照れ臭そうにしている。
「どうですか? この格好、似合っていますか?」
「似合うわ。それにしても似ているわね。王子と背格好も同じだわ」
しかし、皮肉な事に本物の王子よりも高潔で賢そうに見える。
「王の器みたいなものを感じるわね」
「光栄だな。さぁ、一緒に帰ろう。僕と一緒に花火見ようよ。この祭りのクライマックスを楽しもう」
アリーシャとハラスは互いにホッとしたように頷き合うと、迷路の道を逆方向へと戻っていったのだ。
噴水の水音。屋敷から洩れる美しい旋律。
それらを感じながら、ハァハァと二人は息を弾ませながら迷路を大急ぎで走っていく。すると、不意に、前方の木々の枝葉が揺れた。
「誰?」
アリーシャがギクッとして身構える。まさかと目を疑う。生け垣の角にケネスが立ちはだかっており、しかも、グッと踏み込んでくる。鋭く険しい眼差しがアリーシャを射抜いている。
「どうして、ここに?」
「それはこっちの台詞だよ。何をやっているんだ。こんなところで!」
まずいっ。
一瞬にして肝が冷えてしまう。一緒にいてはいけない関係だというのに、迷路の入り口付近で見つかってしまった……。
咄嗟にアリーシャはハラスの手を握っていた。
ハラスもアリーシャの手を握り返していく。
こんなにも早く目を覚ましたなんて……。
これは計算外だった。
「あ、あたしはお散歩していただけよ。いいでしょう。さ、散歩ぐらいしても……」
「果たしてそうなのか……。散歩だけじゃないだろう?」
ケネスは、何かを疑うようにハラスとアリーシャの様子を交互に見つめている。
「ランドールはどこにもいないぞ。あいつはどこに行ったんだ? 答えろ、アリーシャ!」
「あっ、えっと、それは……」
アリーシャは言い訳を用意してない。焦っているとハラスが穏やかな声音で呟いた。
「余の命令で余の主治医に診させているところなのだ。今晩は、余の医師が責任を持って看病することになるだろう。何か不満があるのかな?」
「不満……? いいえ、それに関しては感謝いたします。ですが、どうして、わたしの妻とこんな場所におられるのですか?」
真正面からハラスを見つめている。
しかし、王子として振る舞うハラスはとても落ち着いている。
ケネスの双眸は荒れている。猛禽類のような強い眼差しだった。まるで、決闘を申し込む古代の騎士のようにグッと前に踏み出していく。
「例え王子であろうとも軽はずみなことをされては困ります。妻が、あなたの母君に殺されかけたことをお忘れですか?」
「いや、覚えておるぞ。だが、余とアリーシャは互いに惹かれ合っているのだ。そのことを、先ほど確認したのだ」
「えっ?」
アリーシャは目を見開く。意外だった。ハラスがケネスに対してそんなことを言うなんて……。
(どうしよう! そんな余計な事を言わないで。波風を立てないでよ)
こうなったら、適当に話を合わせるしかない。
「そ、そうなのよ! ごめんなさい、ケネス。あたしも王子のことが好きなの。だから、話ぐらいしてもいいでしょ?」
「なるほど。おまえにまとわりつく悪い虫はこれか……」
ケネスがアリーシャの肩に指を伸ばすと小さな毛虫をつまんでポーンと投げ捨てる。そして、改めて感情を押し殺したかのような低い声で告げた。
「王子。申し訳ありませんが、お戯れが過ぎます。この娘は、決してあなたのものにはなりません。王子には婚約者がいることをお忘れですか?」
来年、結婚予定だ。政略結婚の相手を軽々しく拒否することなど許されない。
「そうだな。王子というのは案外つまらないものなのだな」
ハラスが頬を歪めて苦笑している。
「結婚相手は自由に選べない。それはおまえも同じであろう。罰として、アリーシャを引き取ることになったのだからな」
「いいえ。彼女との結婚に後悔はありません。今では彼女への愛を感じております」
「ケネス……?」
まさか、そんな台詞が出るとは思ってなかった。
(その言葉は本心なの……? それとも任務のためなの?)
何だか胸が苦しい。庭は暗くて良かった。明るいところだったら動揺していることが露呈してしまう。
俯いてドギマギしていると、ケネスは身を翻しながらハラスに呼びかけた。
「もうすぐ花火が上がります。広間に戻らないと警備の者たちが騒ぎ出しますよ」
「ならば、そなたが、余はここにいると皆に知らせてくれないか。外で観たい」
「分かりました。とりあえず東屋の前まで来てください」
彼は、険しい表情で先導している。神殿風の東屋の前まで来ると、アリーシャ達に言い含めるように告げたのだ。
「王子はここにいて下さい。じきに警護の者が来ます」
ここならば人目につくので安心だ。すぐ後ろの建物の二階のバルコニーに客人達が並んでおり、ヒュルルーという音が天高く響いた瞬間、楽しげな声が聞こえてきた。
「おお、実に美しいじゃないか」
「本当に綺麗わ。あなた、来て良かったわね!」
後ろのバルコニーから花火を見学している初老の夫婦の会話が微笑ましい。
みんな、花火に夢中だ。花火が上がる度に感嘆の声が湧きあがっている。
東屋の縁から東の空を彩る花火を見上げていると、仮面を外したまま花火を鑑賞しているハラスが教えてくれた。
「花火師達は、バルモア島の浜辺で花火を上げているんだよ」
花火は高価だ。火薬は、東の果てにある国で発明された。そして、絹の交易を通して我が国にも花火の文化が浸透していった。しかし、腕のいい花火職人の数は限られている。
ここまでスケールの大きい花火の催しを見られるのはバルモアでの復活祭の夜だけだと言われている。
(ああ、本当に素敵だわ……)
夜の空に光の宝石を散りばめたような艶やかな光景に身も心も吸い込まれていく。
次から次へと花火が上がり、夜空に閃光が走り、見事に彩られていく様子は圧巻だった。
繁みに囲まれた神殿風の東屋で花火を見ていたのだが、ふと、背後で何者かの気配を感じた。
振り向くと、漆黒の闇の中で何者かが動いた。すぐ後ろに誰かいると気付いたアリーシャはハラスに告げた。
「危ないから、あなたはここにいてね。あたし、見てくる」
そうだ。間違いない。大人の男と思われる人影がザッと奥に向けて移動している。
「待ってよ。そこにいるのは誰なのよ!」
アリーシャは咄嗟にドレスの裾を摘み、ヒールのある靴を脱ぎ捨て中庭の噴水を横切り、庭を横断して、先刻、来た道をまた戻る。その先は緑の迷路だ。
ハラスを一人残すべきではないのかもしれないが大声を出して追わずにはいられなかった。
「ちょっと、待ちなさいよーーー」
そこにケネスが慌てたように戻って来たのである。
「どうした! アリーシャ!」
「ケネスは王子の側にいてちょうだい! 誰かが、王子とあたしの背後にいたの。怪しいのよ。あたしが追うわ!」
逃がすものか。円錐形に整えられた木々の隙間へ逃げ込む男を執拗に追いかけていく。
逃げる男は死神風の衣装を身につけている。やがて、男は植え込みで作られた精緻な迷路に入った。
「きゃっ!」
入り組んだ庭木の枝がドレスの裾のレースの穴に引っ掛かり身動きがとれなくなった。
まごついているアリーシャを残して消え去ってしまった。
(くそっ。こんな時に、ドレスが引っかかるなんて。あの男は誰なの)
少し前、迷路の中で本物の王子と一緒にいる時は人の気配がしなかった。もしも、誰かに追跡されていたのなら、アンブラ達は目ざとく気付いただろう。
(誰なのよ)
どうしても確かめたかったので唇を噛み締める。仕方なく東屋へと戻ろうとしたのだが、その途中で目についた。
「これは……?」
植え込みの間に、派手な色彩の大きな羽根が挟まった状態で風に揺れていたので目を凝らす。
(もしかして、これは孔雀の羽根……?)
屋敷の中で衣装や仮面に孔雀を使っていた貴族は二人しかいない。
ムスクス夫人と息子のサガ。
この家の紋章は孔雀なのだ。
だからこそ、他の者は気を使って孔雀の羽飾りは使わないようにしている。
という事は、先刻の怪しい男はサガなのだろうか。
(サガは王子とあたしが大広間から抜け出した事に気付いて、あとをつけてきたという事なのかしら)
しかし、アリーシャが王子を連れ出す時は側に誰もいなかった。それは断言できる。
何にせよ、あいつは胡散臭い奴だ。
「早く、このことをケネスに知らせなきゃ……!」
咄嗟にアリーシャはその孔雀の羽を握り締めていた。その直後のことだった。不意に、背後から何者かに後頭部を殴られてしまった。
(……えっ)
犯人を確かめようとした。しかし、目の前が真っ暗になり迷路の枝葉にすがりつきながら倒れ込む。
視界がプツリと途絶えているようである。
地面に腹這いになった状態で気絶していたのだ。




