17 仮面
夕暮れ。真っ赤な夕日が海に沈む頃、祭りの始まりを告げる太鼓と音楽が流れ始める。
広場の前に張子の人形が幾つも置かれている。それらの人形は巨大だ。そして、張り子の人形の衣服の部分には大量の花が飾られている。
この豪華な人形は祭りの終盤になると燃やされ、それを合図に花火がいっせいに夜空に放たれるのだ。
民衆は、仮面をつけたまま街を行進するが、お上品な貴族達は街には出ない。とはいうものの、若い男の貴族などは町民に混じっているようである。
(誰もが浮かれているのよね。だって、年に一度の特別なお祭りなんだものね……)
入れ替える為には王子を連れ出す必要がある。
門番や下僕達を何とかしなければならない。
まだ子供と言ってもいいような若いメイドが門番に軽食を運ぶことになっている。
「これを彼らに持っていってあげてね。こんな日にお仕事なんて可哀想だわ」
アリーシャは、アンブラ特製の眠り薬入りのチョコレート菓子をメイドに渡した。
アリーシャの思惑を知らないメイドは屈託なく笑っている。
「ありがとうございます。だけど、あの人達は適当にサボることを心得ているんですよ。祭り以外の日も酔っ払ったまま仕事をしていますもの。ほんと、しょうがない人達ですよね。んふふ」
可愛らしいメイドが会釈して立ち去った。
心配しなくても、門番は生来の怠け者のようなので難なく突破できるだろう。
「よし! やるわよ!」
覚悟を決めてハラスの部屋に向かうと、彼が、巻いていた包帯をスルスルと解き始めた。王子にそっくりなハラスが真剣な眼差しで告げている。
「今夜は特別なんです。仮面があれば僕も自由に歩けます。僕は、先に行って待っています。途中で迷わないで下さいね。これが庭の地図ですよ。これを見て最短ルートを覚えてください」
広い庭を含む屋敷の見取り図なのだが……。
「こういうのも商人たちから買うの?」
「アンブラが、ここの元使用人から聞き出したものですよ」
庭師や馬飼いからも、必要な情報を買い取ってきたという。
「アンプラが櫂船の奴隷だった頃に一緒に船を漕いでいた囚人が自由人となりました。彼等も、この屋敷の下僕として働いています」
「ふうん。そうなんだぁ。用意周到なんだね。それじゃぁ、ハラス、見つからないように気をつけてね! あたしも、慎重にやり遂げるからね」
アリーシャはハラスの部屋から出ていった。
ちなみに、これまで、ケネスは一度もハラスの部屋には入ろうとはしなかった。偽者だと分かっているが見逃してくれているようである。
アリーシャが自分の部屋に戻ると、彼も、アリーシャと同じように衣装に着替え終えていたのだが、お互い見た目が激変している。
「おっ、おまえのドレス、ずいぶん胸が大きく開いているな。ははーん、古代の娼婦の扮装なのか。そういう格好も似合っているぜ。このドレスを選んだのはナイナのようだな」
「そ、そういうケネスこそ、似合ってるわ。そういうのをジゴロって言うのよね」
ケネスは鷹を模した仮面を被っている。赤と黒を基調とした衣服のデザインも華美で、見るからに、バルモアの不埒な伊達男という感じだ。
「さぁ、どうぞ」
腕を組むように言ってきたので素直に腕をまわすけれど、内心、ドキドキしていた。自分ばかりが、この人に翻弄されているようで何だか悔しい。
(仮面をつけると、ケネスって、いつも以上にミステリアスで危険な香りがするのよね)
腕を組んで夜会の会場へと続く廊下を歩いていると、ケネスが、悪戯な笑みを浮かべて囁いた。
「おーっ、おまえ、ズルしたな。胸に詰め物をして胸に谷間を作ったな。見栄っ張りだな」
「いじわるね! ひどい! そんなの言わなくてもいいじゃない」
羽根飾りのついた扇でケネスの肩を叩こうとした時、回廊の脇から誰かがくる気配がした。
「アリーシャ、静かにしろ! 王子とムスクス夫人が来たみたいだぞ」
別棟から仰々しい一行が出てきたのだが、先頭を行くムスクス夫人の後ろには仮面姿の少年がいる。
(あっ、あれは、きっと、ボンクラ王子様なんだわ……!)
顔が隠れていても体型と髪型で分かる。
ムスクス夫人は、オホホと愛想笑いを浮かべながら、まだ仮面を着けていないアリーシャを見つめた。
「まぁ、アリーシャ、気分が悪かったようですが、お元気になられたのね」
しかし、ムスクス夫人の視線は色っぽい扮装のケネスに注がれている。獲物を吟味するかのように、ケネスの全身を眺めて微笑んでいる。
「紹介いたしますわね。こちらは、実は、お忍びでいらっしゃっている異国の高貴な方ですのよ。お名前は伏せておきますわ。おほほほ! でも、名前がないと不便なので、我々は子爵と呼んでおりますの」
ここにいる全員が王子だと分かっているのに、あくまでも初対面の二人という設定で紹介している。
ムスクス夫人は、今回の珍奇な状況を面白がっているようだ。
「子爵様、こちらの可愛らしい人がケネスの奥様のアリーシャですのよ。朝摘みの野薔薇のように可憐な方でしょう?」
王子がアリーシャに惚れていることを知っていて、わざと、すっとぼけて紹介している。悪趣味な人だ。
「うむ、美しいのう……」
王子の語尾が微かに震えている。こういう会話は陳腐だが、アリーシャは王子に挨拶をするしかない。
「初めまして。今夜は、ぜひ、ダンスに誘ってくださいませ」
その言葉にケネスがサッと顔色を変えるが、アリーシャは、そんなことなどお構いなしで微笑みかけていく。
王子は、大好きなアリーシャの声を聞いた瞬間、ビクンと身体を揺らした。
王子は、アリーシャに出会えたことに興奮しているのか、何度も振り返りながら立ち去っている。
(良かった。王子は、あたしに気がある。よしっ!)
しかしケネスは、そんなアリーシャに釘を刺すように耳打ちしている。
「どういうつもりなんだ? 王子に近寄るなと言っただろ!」
「でも、無視するのは失礼よ。社交辞令なんだからいいじゃない」
「心の距離を離せっていう意味だよ。おまえは王子のことをやけに見つめていたな」
「そりゃそうよ。王子のせいで、あたしはこんなところにいるんだもの。睨んだのよ。さぁ、パーティーが始まるわよ」
そして、宴に混ざったのだが、今夜、大広間には、泊り客以外の招待客もいる。バルモア島の大地主や市長や銀行家も招かれているという。
まず最初に、アリーシャはケネスと踊ったのだが、彼は御機嫌斜めである。
「いいな。二度と王子に近寄るな。約束しろ」
有無を言わせぬ強い口調である。ケネスに見張られていては身動きが取れない。アリーシャは苦し紛れに呟く。
「や、やだぁ。も、もしかして、ケネスは妬いているの?」
「違う。俺は、おまえと王子の身を心配しているんだ。黒衣の男に誘拐されそうになった王子の事件は解決していない。幸福な王子は、あんな妙な手紙を出しておきながら、あれから一度も連絡をよこさない。一体、どうなっているのか分からない……」
ケネスは王子の護衛隊長として全体の流れを見ており、常に警戒している。
(この人って、本当に仕事熱心よね……)
給仕をする者達もお揃いの黒い仮面をつけているので、警備する側も大変だ。しかし、仮面をつけていても、ケネス人は声で人物を見分けられるみたいである。
王子の周囲にいる貴族達は十五人前後。
伝説の獣や悪魔の仮面など多種多様の仮装をした人達がここに集っている。
みんな、浮かれているというのにケネスだけは真剣な様子で客の動向を観察している。
レモンのリキュールはバルモアの特産品で一番人気なのだ。北の国から輸入されたウイスキーや南の島から届いたラム酒など色々と配られており、一時間ほどの間に、アリーシャは、たくさんのお酒を口にして顔が赤くなっていた。
よし、今しかないとばかりにケネスにすり寄っていく。
腕にしがみつき、ダラリと柔らかく揺れる動作は猫そのもの。
「ケネス……。どうしよう。気持ち悪いの。吐きそうなの。お願い。部屋に連れて帰って。お願い。ひとりじゃ歩けないよ」
エキゾチックな彫刻が施されたテラスの柵の前で苦しげに胸を押さえていると、彼は顔を覗き込んだ。
「飲み過ぎたのか? ここで吐くなよ。いったん部屋に戻ろうか」
アリーシャの身体を支えるようにして付き添いながら進んでいる。
その時、ムスクス夫人の強い視線を感じた。幾人かの女性達が仮面の隙間からこちらを伺っている。
(ああ、悪目立ちしちゃったかな……)
彼は、部屋まで送り届けてくれた。やはり、彼を欺こうとしていることに心が痛む。目線を逸らして溜め息を漏らす。
きちんと事情を話せば、今回の事を彼も理解してくれるのではないだろうか?
そう思ったりもするのだが、もう無理だ。説得する時間がなかった。
もうじき、花火が打ち上がる。それまでにハラスは王子と入れ替わらなければならない。
「ケネス。ずっとここにいちゃダメなの? ムスクス夫人はずっとあなたのことを、いやらしい目で見ているよね。あたし、そういうのを見ると腹が立ってしまうの」
それは本心だ。ベッドに横たわったままの姿勢でケネスに囁き、猫のようにしどけない姿で目をつむっている。
「……」
ケネスは喉仏を上下に揺らし、少し驚いたように眉を上げる。
「酔うと性格が変わるのかよ? いつもと違うな……。やっと子猫が主人にすりよってきたって感じだな。おまえが甘えるなんて珍しいな」
彼は、どこか眩しそうにしている。
仮面越しに見つめ合うアリーシャは猛烈に照れくさくなり、ツンと横を向いた。駄目だ。心臓がトクトクと早鐘のように鳴り響いている。
色々と動揺しながらも演技を続けていく。
「あたし、早くお家に帰りたいわ。もう、こんなの、飽きた~」
「機嫌を直せよ。おまえ、勝手に帰ったりするなよ」
「そんな無責任なことしないわよ」
参ったな。この人がいては困る。
「ねぇ、あたしと一緒に部屋の窓から花火を見ようよ。美味しいお菓子を食べながら二人きりで過ごそうよ。ねぇあなたが好きな砂漠風のコーヒーを入れてあげるわよ。さぁ、上着を脱いで寛いでよ……」
「駄目だ。俺だけでも戻らないとみんなに失礼だ。それに、王子の事が心配だ」
クールに立ち去ろうとしているものだから猛烈に焦っていた。
こうなったら最終手段を行使するしかない。泣き落とし作戦をしてやる!
「ひどいわ! 美味しそうなお菓子を持ってきてあげたのに! 庶民の食べるようなものはイヤなのね……」
「誰も、そんなこと言ってないだろう。ていうか、それは何だよ?」
「これ、美女の溜息っていう名前のお菓子よ。異教徒の甘いお菓子がこの島に伝わって定着したらしいの。果物を甘く煮詰めたものが詰め込まれたケーキみたいなものよ。ランドールと街歩きをしてた時に買ったの」
「確かに、王都では見かけないな。辺境の島ならではの名物なのか……。じゃ、一個だけ食うとするか」
よし! いいぞ。その調子だ。甘く煮詰めた果物のシロップの中に急速に眠くなる薬が塗りこまれている。半時間ぐらいは目を覚まさなくなると聞いている。
「どう、おいしい?」
「美味いっていうよりも、甘過ぎて何が何だか分からん……」
呟きながら、アリーシャの方によりかかってくる。
なんという即効性! お、重たい! ベッドに押し倒されて身動きできなくなる。
「ひゃっ……!」
まさか、こんなふうに薬が効くとは……。
成功だ。彼は、アリーシャの首筋に顔をくっつけたまま目を閉じている。
お菓子の少しスパイシーな香りとケネスの香水とが混ざり合っている。
(まさか、死んでないわよね?)
脈を計ると、確かに生きていた。ホッと胸を撫で下ろす。
(それにしても、ケネスの指って綺麗だな)
こんな時なのに、思わず、その手に吸い込まれてしまう。
綺麗な鼻筋と綺麗な顎のライン。彫刻のように美しい横顔に見惚れてしまう。色気があるのに聖歌隊の少年のような清潔感もある。そういうところが素敵だなと想うのだ。
(ケネスの寝顔って、意外に無防備なのよね。ふふっ、ちょっと可愛いかも……)
この時、急に今後について不安な気持ちになっていた。
(あたし達って事件が終わったらどうなるのかな)
手を握ったまま彼の温もりを感じている事が心地良かった。健やかな寝顔を永遠に見ていたいと思うけれど、ハッとなり立ち上がる。
(ダメだわ。ゆっくりしている暇はないわ)
その場に置き去りにして立ち去ろうとするが、その前に、長椅子の上にグニャリと横たわるケネスの頬にキスをする。
「ごめんね。すぐ戻るから、このまま、しばらくお休みしていてね」
王子を誘惑してハラスと入れ替わらねばならない。すべてを終えた後でケネスに説明しよう。
不安だったが、こうなったら、責任を持って最後までやるしかない。




