第7話 義足はいらない
杖の音が、工房の扉の前で止まった。
入ってきたのは、四十を少し過ぎた女だった。短く刈った髪に、日に焼けた顔。左脚を庇い、杖で身体を支えている。左の靴は、踏み出すたびに床を擦った。
ミレーネはその歩き方を見た瞬間、答えを組み立てていた。
「義足のご相談ですね」
道具棚から、脚の採寸に使う長い巻尺と、型取り用の木枠を出す。
「左脚の状態を見ます。膝まわりと、体重を受ける位置を――」
「待ちな」
女が杖の先で床を突いた。
「切れてもいない脚へ、何を付ける気だい。あたしは義足が欲しいなんて、一言も言ってないよ」
ミレーネの手が止まった。
「膝から下は、戦で傷めた。麻痺と痛みが残って、長く立てない。短い距離なら杖で歩けるが、義足を付けたところで、この脚が消えるわけじゃない」
女は近くの椅子へ、身体を沈めるように座った。
「欲しいのは、座ったまま帳簿と棚のあいだを行き来できる道具だ。立って歩くことじゃない」
ミレーネは巻尺と木枠を、作業台へ戻した。
義足と言われる前に、義足を出した。この人が何をしたいのか、聞きもしなかった。
「――すみません」
ミレーネは頭を下げた。
「何が必要か伺う前に、私が答えを決めました。もう一度、聞かせてください」
女は少し目を見開き、乾いた笑いを漏らした。
「謝る鍛冶屋は珍しいね」
ふいごのそばから、レオルの声がした。
「ミレーネは、失敗を隠さない。道具でも、自分の判断でも」
振り向くと、レオルは火床ではなく、ミレーネを見ていた。慰めるような顔ではない。仕事の続きに必要な確認を終えたように、一度うなずいた。
戸口の内側には、昨日掛けた規則札がある。過去の称号ではなく、いまの役割を見るための札だ。
それを作った翌日に、ミレーネは杖だけを見て、この人へ義足を割り当てかけた。呼び名は違っても、本人より先に役割を決めたことは同じだった。
ミレーネは型取り用の木枠を、道具棚の奥へ戻した。
「それなら話が早い」
女は椅子の背へ寄りかかった。
「エッダ・モルン。元補給曹長だ。数を数えて、帳面へ付けて、棚から物を出す。それがあたしの仕事だった」
「その仕事を、座ったまましたいんですね」
「そういうことさ」
「いちばん多い動きは、どれですか」
「机で帳面を書く。棚へ行って記録を取る。小箱を抱えて机へ戻る。日に何十回もね」
「移動中も、両手を使いたいですか」
「小箱を持つなら使いたい。だが、椅子を動かすときは片手でも右足でも構わない。立ち上がる回数が減るほうが大事だ」
欲しいのは、歩行の代わりではなかった。仕事の途中で、痛む立ち座りを挟まずに済む道具だった。
ミレーネは椅子を寄せ、エッダの目の高さへ腰を下ろした。
「まず、今の動きを見せてください。帳面を使うつもりで、机から棚までお願いします」
エッダは杖で立ち上がり、工房の隅にある帳簿棚へ向かった。棚へ着くまでに一度、作業台へ手をつく。杖で右手が塞がるため、帳面を取るには身体を棚へ預けなければならない。
戻って椅子へ座ると、エッダは左脚を前へ投げ出した。立ち座りのたびに、口元へ力が入る。
ミレーネは動線を見直した。炉側を通れば灰受けがある。机と棚のあいだには、床板の反りと、一寸ほどの継ぎ目があった。
「車輪を付けるなら、炉から離れた通路だけを使います。この段差は、小さな車輪では越えられません」
床板の反り、継ぎ目、机の天板と下面、棚板の高さを測って帳面へ記す。
「身体も測ります。座面の高さと、腕の届く範囲です。触れてもいいですか」
「ああ。左脚は、膝から下を引っ張らないでくれ」
「わかりました」
座高、肘の高さ、前へ楽に伸ばせる距離を測る。左脚をどこへ置きたいかは、エッダへ尋ねた。
「床へ擦ると痛む。低い台に載せたいね。右足は、動くために空けておきたい」
「では、左だけ足置きを付けます」
古い木の椅子を土台にした。脚を短くして座面を下げ、荷箱用の木輪を四つ付ける。前二輪は縦軸ごと向きを変え、後ろ二輪は一本の横軸で支える。左前には浅い足置き。右側には、一本のレバーで後ろ二輪へ木の止め具を押し当てるロックを組んだ。
「右足で床を蹴って動けます。止まるときは、このレバーを後ろへ倒してください」
ミレーネはエッダを座らせる前に、材料袋を座面へ載せた。ロックを掛け、前と横から椅子を押す。後ろ二輪は止まったが、強く横へ押せば前輪を中心に少し向きが変わる。
「棚から箱を引くなら、横の力もかかるよ」
エッダの指摘で、ミレーネはレバーの止まりを一段深くした。完全に動かなくなるわけではない。その限界も、帳面へ書いた。
「まず、座るときにロックを掛けます。動いたら使わないでください」
エッダは杖で椅子へ近づき、自分でレバーを倒した。座面の縁を押して動かないことを確かめてから腰を下ろし、左脚を足置きへ載せる。
エッダが右足で床を蹴ると、試作椅子は机を離れた。だが、床板の継ぎ目で前輪が止まり、座面ががくりと傾いた。
エッダはすぐにロックを掛けた。
「止め具は利く。だが、これじゃ帳簿より先に中身が転げるね」
「前輪の径が足りません。継ぎ目には傾斜板も要ります」
前輪を一回り大きなものへ替え、床の継ぎ目には短い楔形の板を固定した。机の下へ入れるよう、肘掛けは付けない。代わりに座面の横へ低い縁を残した。
二度目は、前輪が傾斜板を越えた。エッダは棚の前でレバーを倒す。後ろ二輪が止まり、両手を離しても椅子は下がらなかった。
「棚の二段目までなら届く。上は使わない配置に変えればいい」
エッダは帳簿を取り、膝の上へ開いた。右足で机まで戻り、ロックを掛ける。天板の下へ膝が入り、帳簿を置いても肩が上がらない。
「これなら働ける」
感嘆ではなく、使用結果を確かめる声だった。
エッダは帳簿の頁をめくった。すぐに眉が寄り、指先が同じ欄を二度往復する。
「材料の仕入れはある。だが、作ったものの代金が抜けてるね。匙の保持具、扉の鉤、鍬の添え金。材料だけ減って、売上が増えてない」
ミレーネは言葉に詰まった。作ることには気を配ったが、いくら使い、いくら受け取るかは後回しにしていた。
エッダは規則札の下にある「今日の仕事」へ目をやった。
「品名と数は書けるんだ。なら、材料費と工賃も横へ書きな。善意は鉄の仕入れ先にならないよ」
「この椅子の代金も、決めないといけませんね」
「そのとおり。椅子の材料と工賃。あたしが帳簿を直す半日分の手間。両方に値を付けて、差額を残す。釣り合うまで手伝おう」
無償の申し出ではなかった。エッダは空いた頁へ、椅子に使った木輪と金具を書き出し、その隣へ自分の作業時間の欄を引いた。
ミレーネは鉛筆を受け取り、椅子の製作時間を書き加えた。
エッダは最初の頁から勘定を拾い直し、三つ目の空欄で、早くも鉛筆を止めた。
「この工房、腕より先に帳簿が折れるよ」




