第6話 工房では英雄禁止
その日、工房の扉を叩いたのは、村の子どもたちだった。
四、五人が、開いた戸口から首を突っ込んでいる。先頭の男の子は、目を輝かせてレオルを見ていた。
「双剣の獅子だろ。うちの父ちゃんが言ってた。西の砦を一人で守った、すごい騎士だって」
レオルは送風ふいごの前に立っていた。支え棒へ腰を預けたまま、動かなかった。
「なあ、どうやって腕がなくなったんだ。敵を何人斬った。剣はどこにあるんだ」
子どもたちが口々に尋ねた。悪気はなかった。物語の中の英雄が目の前にいる。それが嬉しくてたまらないという顔だった。
「両方いっぺんに斬られたのか。かっこいいな。もう一回、戦うのか」
そのとき、ミレーネはレオルの呼吸が止まったことに気づいた。
肩が固まっている。息が浅くなり、火床を見る目は、火の色を追っていなかった。支え棒へ預けた腰にも力が入っている。
子どもの言葉が、レオルをここではない場所へ引き戻しているように見えた。
ミレーネは槌を置いた。
子どもたちを怒鳴りはしなかった。この子たちは、何を尋ねているのかをまだ知らない。怒鳴って追い出せば、理由を知らないまま、レオルへ近づくことだけを怖がるようになる。
「ここは、仕事をする場所です」
ミレーネは静かに言った。
「英雄の話を聞く場所ではありません。剣の武勇伝が聞きたいなら、酒場のおじいさんたちのほうが詳しいですよ」
「でも、本物の獅子が」
「ここに獅子はいません」
ミレーネは戸口の脇にあった端材を一枚、手に取った。鉋をかけたときに残った、細長い板だった。
「ここにいるのは、レオルさんです。風を送って、鍬を直す仕事をしている人です」
鏨を取り、板へ文字を刻む。
「工房では、階級と英雄の呼び名を使わない」
子どもでも読めるよう、難しい言い回しにはしなかった。彫った溝を、子どもたちが横から覗き込む。
「なんで。すごいことなのに」
「すごかったことを消す決まりではありません」
ミレーネは鏨を進めながら答えた。
「ただ、ここで昔の戦いを見せるよう求めないためです。ここでは昨日何をしたかではなく、今日何をするかで仕事をします。あなたたちが手伝うときも同じです」
子どもたちは顔を見合わせた。
先頭の男の子が、おそるおそるレオルを見た。
「じゃあ……レオルさん。手伝っていい」
レオルの肩から、ゆっくり力が抜けていった。止まっていた息が、また動き始める。
子どもへ向けた顔は、英雄の顔ではなかった。どう答えればよいのか少し迷っている、ただの男の顔に見えた。
「――ああ」
低い声だった。
「そこの箱の釘を、長さで分けてくれ。曲がったものは別にする」
ミレーネは木の盆を三枚、床へ並べた。長い釘、短い釘、曲がった釘。尖った先を人へ向けず、頭を持って移すよう教える。
子どもたちは釘の箱へ群がった。小さな手が、釘を一本ずつ盆へ分けていく。
「これ、長いほう?」
「隣へ並べて比べろ」
レオルが答える。命令口調になりかけて一度止まり、言い直した。
「……比べてみてくれ。同じ長さなら、同じ盆だ」
子どもたちは喧嘩し、笑いながら釘を並べた。先ほどまで武勇伝を求めていた口が、今度は「これ短い」「それ曲がってる」と言い合っている。
いちばん小さな女の子が、ふいごの踏み板を指さした。
「レオルさんは、ここで何をしてるの」
レオルは火床を見た。炉には、朝から直していた鍬の刃が入っている。
「風を送っている。火を同じ強さに保つためだ」
「踏むだけ?」
「踏みすぎれば、火が強くなる。弱ければ、鉄が冷える」
レオルは足を踏み板へ置いた。
「火の色と音を見て、その間を探す。俺も、まだ覚えている途中だ」
女の子は、炉の橙色とレオルの足を交互に見た。剣の話を聞いたときより、真剣な顔になっている。
曲がった釘を持った男の子が尋ねた。
「これは、もう捨てるのか」
「いや。作業架へ挟んで、ミレーネが打ち直す」
「レオルさんは直さないの」
「俺は、そのあいだ風を送る。鍬の添え金も、そうやって作った」
ミレーネは返事をせず、作業台の上の添え金を子どもたちへ見せた。刃こぼれした剣ではない。畑へ戻る鍬を継ぐための、小さな金具だ。
「これが、今日の仕事?」
「ええ。これと、あなたたちが分けた釘です」
子どもたちは、今度は釘の向きを揃え始めた。英雄に会いに来たはずの子どもたちが、レオルへ次の仕事を尋ねていた。
「曲がった釘は、頭の向きだけ揃えてくれ。あとで数えやすい」
レオルの声に、子どもたちが一斉に釘を並べ直した。
ミレーネは彫り終えた規則札の上部へ二つ穴を開け、革紐を通した。戸口の内側には、古い道具を掛けていた木の突起が一本残っている。
「レオル。規則札は、どこへ掛けますか」
レオルは身体を横へ捻り、支え棒の留め環から肩帯を外した。釘を仕分ける子どもたちのそばを通り、壁へ近づく。
「戸口の内側だ。入れば、最初に見える」
「自分で掛けますか」
レオルはうなずいた。
扉用の鉤を右上腕の帯金へ嵌める。鉤先へ規則札の革紐を掛け、肩と体重でゆっくり持ち上げた。
一度目は紐が木の突起を越えず、札の角が壁へ当たった。レオルは半歩下がり、鉤の角度を変える。
二度目。革紐が突起へ掛かり、札が壁に沿って下りた。
「工房では、階級と英雄の呼び名を使わない」
その札が、戸口の内側へ掲げられた。ミレーネは支えなかった。レオル自身が場所を決め、自分の使える鉤で掛けた。
子どもたちが仕分けた釘は、長さごとにきれいに分かれていた。曲がった釘は、あとでミレーネが作業架へ固定して打ち直す。
ミレーネは釘の山を確認し、それから規則札の下へ、別の紙を貼った。
「今日の仕事」
そう書いて、下へ並べた。
鍬の添え金、三本。曲がり釘の打ち直し。子どもたちが分けた釘を、注文先ごとに揃えること。
英雄が一人で砦を守った話は、どこにも書かなかった。
書いたのは、今日、この工房でする仕事だけだった。規則札の下へ、現在の役割が並んでいる。
「また来ていいか」
帰り際、先頭の男の子が言った。
「釘の仕分けなら、仕事がある日に」
ミレーネは答えた。
「ただし、獅子を探しに来るなら、酒場へどうぞ」
子どもたちが笑って駆けていった。
戸口の内側では、規則札と今日の仕事が、開いた扉から差す夕日を並んで受けていた。




