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両腕を失った英雄に「死ぬための剣をくれ」と頼まれた女鍛冶師は、生きるための手を作る  作者: 他力本願寺


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第59話 工房主が休む日

権利章典の公布から、半年が過ぎた。


継火工房の扉に、一枚の札が下がっている。


「本日、職人試験のため通常業務休業」


客を迎える仕事は、今日はない。だが工房の中は、いつもと違う張りつめ方をしていた。炉の前に、リタが立っている。工房へ来た頃より少しだけ背が伸びた。作業着の袖を、きつく締め直している。


ミレーネは、壁際にいた。師匠であり工房主だが、今日の審査員ではない。職人組合から、資格を持つ試験官が三人来ている。安全手順、用途の確認、採寸、製作、試験、修理のしやすさ、本人への説明まで、彼らが見る。


炉へ火を入れる前に、試験官が保護具と水桶、消火砂、退く道を確かめた。リタが中止の合図を復唱し、ようやく試験が始まる。


代わりに答えたい。失敗を、先に直したい。ミレーネの右手が、何度も動きかけた。そのたび、包帯の取れた掌に残る痕が目に入った。今は日常の作業へ戻っているが、長く握ることと、長時間の熱作業には、まだ制限がある。


ミレーネは手を膝へ戻した。自分が口を出さなくても、次の職人と各担当が回る。それを確かめる日だった。


試験の課題は、派手な武器ではない。片手で扱える、鍋の留め具だった。


リタが、利用者へ聞き取りをする。


「片手で鍋を押さえてると、もう片方で混ぜられない、ってことですね。使うのは家の竈ですか。鍋の大きさは。火から下ろすときは、どうしてます」


使う場所、鍋の寸法、火からの距離、外し方、掃除、交換する部品まで、順に確かめる。留め具は、絶対に外れない道具にはしない。転んだとき、吹きこぼれたとき、火から下ろすとき、片手で安全に外せること。擦り減る部分だけを替えられること。熱い金具へ、直接触れずに済むこと。それが条件だった。


製作を終え、冷えた状態で最初の試験をする。利用者が鍋を横へずらすと、留め具が一動作で外れた。


リタは隠さなかった。


「外れやすすぎます。押さえと解除が、同じ向きの動きになってました」


原因を口にし、失敗を記録へ書く。押さえる力と、解除に要る二つ目の動きを分け、解除板には熱を伝えにくい木の当てを足した。摩耗する爪は、留め具全体を捨てなくても交換できるよう、一本の止め金で外せる。


直した品を、冷えた鍋と砂袋で試す。試験官が指定した重さまで段階を踏み、異音も爪の曲がりもないことを確かめた。最後に、利用者本人が、片手での装着と解除を試した。


「ここが、使える重さの限界です。点検は、この爪の付け根。曲がったり、木の当てが割れたりしたら止めてください。替える部品は、この一つです」


リタは、できることと、できないことを自分の言葉で説明した。


天才の閃きではなかった。番号札。交換端子。部品整理。失敗記録。安全停止。彼女が守ってきた仕事が、この留め具になっていた。


試験官は、完成品の見栄えでは決めなかった。用途を聞いたか。安全に止められるか。直せるか。限界を説明できるか。それぞれの欄を照合した。


「合格です」


リタが息を吐いた。それから、ミレーネを見る。


「親方。……受かりました」


「はい。おめでとうございます」


ミレーネは、それだけを言った。リタが学び、自分で試験を受け、自分の名で合格したのだ。


合格しても、すべての仕事が無条件に許されたわけではない。冷間の生活用具と、監督付きの熱作業。単独で扱える設備。身体記録へ触れずに済む修理。試験官が、資格の範囲と、監督が要る仕事を登録書へ分けて記した。リタは内容を読み返し、自分の名で受け取った。


半年のあいだに、工房の分担も定まっていた。


セシルは、適合訓練、身体確認、同意、安全停止、有害事象の記録を担う。役職や経営より、止めることを優先できる。


ダリオは、監査付きの仮滞在証と外部協力契約の範囲で、帝国式との照合、命令技術を含まない共通規格、地域工房への技術窓口を担う。担当外の身体データも、完全な設計原本も見ない。


エッダは、受付、帳簿、期限、部品の出入り、地域工房との受領記録を管理する。認定された地域工房とは、本人が同意した修理履歴と部品番号だけをやり取りしていた。全国の制度はまだ整備の途中だが、継火工房だけに仕事を集める形にはなっていない。


試験の記録を閉じたあと、別の卓で、レオルとの共同経営契約を開いた。


恋人だから結ぶ契約ではない。エッダと職人組合の書記が立ち会い、出資、利益、損失、品質責任、救助部門、代理権、契約から離れる条件を、一項ずつ分けてある。


レオルの出資は、これまでの給金から積み立てた本人の私財で、救助部門三か月分の運転資金に当たる額だった。給金は仕事の対価として別に払い、帳簿を締めたあとの利益は、記された持分に応じて配る。通常の損失負担は出資額まで。故意に記録を偽った場合や、定めた安全手順を破った場合の責任は、別に調べる。英雄の名も、将来の恩給も、担保にはしない。


材料、鍛造、製作品質の最終責任は、製作担当とミレーネ。救助計画、訓練、現場手順は、レオル。身体の安全停止は、セシル。帳簿、受領、期限は、エッダ。


レオルは、ミレーネ不在時の受付、通常業務、救助部門に代理権を持つ。だが、顧客の同意、身体データ、設計権、危険な新規製作、安全停止は、一人では変えられない。帳簿は二人とも閲覧でき、意見が割れればエッダの記録と職人組合の調停へ出す。契約を離れるときは、ひと月前に知らせ、未払給金と持分を、その時点の帳簿に基づいて精算する。


契約には、定期休業日も加えた。誰でも安全停止と休養を求められる。それで給金も地位も利益配分も、不利にならない。工房主も共同経営者も、例外にしない。


書記が全文を読み上げ、ミレーネとレオルが別々に確かめた。


署名の前に、セシルがレオルの右装着部を診た。赤みも熱もなく、本人も痛みはないと答えた。許されたのは、既存の署名補助具を短時間使うことだけだ。外部離脱具と中止条件を用意し、レオル自身が装着を選んだ。


触覚は戻らない。それでも、彼は肩と背と呼吸で補助具を動かし、自分の名を記した。書記が読み上げ、レオルが確かめる。補助具は、その場で外した。


二人が署名を終え、仕事の綴りを閉じてから、ミレーネは口を開いた。


「レオル」


「ああ」


「仕事も、休みも、住む場所も、食事も。これから、一緒に相談して選びたい。私と、結婚してください」


所有でも、庇護でも、恩返しでもない。工房へ残る報酬でもなかった。


レオルは少し黙った。


「同じことを、言おうとしていた」


低い声だった。


「俺も、あなたと結婚したい。仕事がなくても、装具が使えない日でも。その先の暮らしを、一緒に選びたい」


「はい」


決めたのは、二人の言葉だった。


「左肩に、触れてもいいですか」


「ああ」


ミレーネは、レオルの左肩へ、肩と胸を短く寄せた。指輪や式の日は、これから相談すればいい。今日決めたのは、結婚することだけだった。


エッダが、契約の綴りを閉じた。


「で、最初の定期休業日は、明日だよ。ちゃんと休みな」


「はい」


留守中の担当も、緊急連絡の手順も決まっている。ミレーネがいなくても、工房は安全に回る。工房主が休むことは、仕事の失敗ではない。


「明日、外で朝飯を食べませんか」


「ああ。どこへ行くかは、二人で決めよう」


札の下がった扉の向こうで、最初の定期休業日が、静かに二人を待っていた。

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