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両腕を失った英雄に「死ぬための剣をくれ」と頼まれた女鍛冶師は、生きるための手を作る  作者: 他力本願寺


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第53話 逃げるための道具

夜明け前、勝利炉の地下区画図が卓の上で広げられた。


外郭と炉心のあいだに、四角い空白がある。ダリオが左前腕の残った部分で、その縁を押さえた。


「地下居住区だ。……人が住んでいる」


旧自動防衛設備が完全に起きる前に、住民を外へ出さなければならない。設備が動けば、避難路は隔壁で塞がる。


人を先に出す。それより先に、炉心も、大臣も、証拠も置かない。


居住者名簿を、エッダが車輪付きの椅子の上で開いた。地下区画図と、見張りからの報告、住民本人からの口伝を並べる。


「名簿だけじゃ、いま何人いるか分からないよ」


名簿にはない夜勤明けの者がいた。見張りの数には、隣室へ移った家族が重なっていた。エッダは名前と居場所を一つずつ確かめ、退出札を作った。


最優先は避難。権限書と役割表と撤退条件を、現場で使う。


セシルが王都警備隊と隔壁の内側へ入った。住民を一人ずつ、正面から見る。


「歩けますか。それとも、支えが要りますか。運搬台に乗りたいですか。途中で休みますか」


見た目で運び方を決めない。同じ方法で全員を運ばない。答えを聞いてから、台と手を割り振った。


問題は、いちばん低く狭い保守路だった。成人が立って通れず、普通の担架も入らない。その幅と高さに合うのは、エッダの作業椅子だけだった。


ミレーネは、避難路と椅子をもう一度測った。用途、危険、使う時間、返却、元へ戻す手順、中止の条件を、順に説明する。


「これは、あなたの椅子です。あなたの、毎日の足です」


エッダは名簿から顔を上げ、少し笑った。


「分かってるよ。日付と署名を入れな。……使うのは、あたしが決める」


安定した待機椅子を安全な指揮位置へ固定した。ミレーネは触れる許可を取り、セシルと二人で移動を支える。エッダ自身が移ると告げてから、身体を預けた。


作業椅子の背板と足置きを外し、高さを下げる。元へ戻せる改修だけにした。狭路の走行はエッダへ強いない。使用者、運んだ相手、時刻、返却条件を、貸出記録へ書き込んだ。


過去に作った道具も並べた。


片腕の母親のために作った身体支持帯。片手でも扱えるが、二つの動きをしなければ外れない留め金。母親は証人宿舎に残り、予備帯と同型金具を避難へ使うことに同意していた。人を金具で握らず、布と身体で支える形へ組み直す。


北橋のあとで改修した救助鉤。扉、障害物、運搬台を引く。装着者一人へ荷重を集めず、杭と滑車と綱、複数の手へ逃がす。橋で中止を守らず装着部を傷めた失敗と、崖道で直した手順。警告、中止、外部離脱具を、今度は必ず守る。


放棄軍需工場で使った切断具。拘束、網、薄い仕切り、通路を塞ぐ部材を切る。人の身体にも、武器にも向けない。


農具の長柄で安全な距離を取り、建築支持具で崩れかけた壁を支え、傾斜板を段差へ渡す。


どれも、万能の武器にはならない。長柄には届く距離があり、鉤には引ける重さがあり、切断具には切れないものがある。限界と必要な人数、やめる合図を一つずつ決めた。誰か一人が全員を運ぶのではない。道具と、たくさんの手が避難路をつなぐ。


最初に低い保守路へ来たのは、右膝を曲げにくい女だった。


「台へ乗りますか」とセシルが尋ねる。


女は低床にした作業椅子を見てから、うなずいた。「乗る。途中で怖くなったら、止めてほしい」


支持帯を肩と胸へ回す前に、一か所ずつ触れる許可を取った。女自身が締め具合を確かめ、片手留め金を閉じる。金具で身体を挟まず、帯が姿勢を支えた。


前の二人が綱を引き、後ろの一人が車輪の向きを見る。ミレーネは入口で高さを確かめた。低床台は、天井にも壁にも触れず、ゆっくりと保守路へ入った。


「止めて」


途中で女が言った。全員が、すぐに止まる。呼吸が整うまで待ち、「続ける」と本人が言ってから、また進んだ。低床台は安全区域へ抜けた。


西部連絡所からは、ラウラの署名がある報告が届いた。フェルゼ村では、リタが成人職人の監督下で、冷えた交換端子や留め具を点検し、番号札と伝令票に従って避難班へ渡している。熱い炉、刃物、兵器には触れていない。


王都側では、以前リタが番号順に整えた部品箱が役に立った。低床台の留め具が緩んだときも、同じ番号の交換品を迷わず取り出せた。


役割は、権限書のとおりに動いた。


エッダは物資と動線と時刻と退出人数。セシルは本人ごとの身体と運び方と休養と中止。ダリオは防火戸と閉鎖機構を正式図面と照合し、推測だけでは触らない。ミレーネは既存道具の調整、組合せ、限界の確認。王都警備隊は自動防衛設備を隔壁と遮断具と距離で隔て、避難路を守る。


レオルは、救助の順、人数、班の合図、退路の切替えを担った。


「西の低い道、三人入った。二人出た。あと一人」


声と視線で、数えていく。強引に前へは出ない。


ガイルは拘束されたまま、現場へは来ない。投降した灰旗団員の一人が、監督下で運搬台を押し、退出札を数える役を選んだ。武器は持たない。


自動兵器とは、正面から戦わなかった。隔壁を下ろし、手動で遮断し、迂回し、距離を取って避ける。人を先に外へ出す。


途中の記録室には、封印された箱が残っていた。ノエラは位置と外封の番号だけを控え、回収班を向かわせなかった。


「今は、人が先です。箱は避難が済んでから」


証拠を守る者自身が、その順を変えなかった。


閉じかけた防火戸が、避難路へ落ちてきた。


救助鉤を戸の下端へ掛け、綱を壁の環と滑車へ回す。四人が横から引いた。鉤の警告板が限界の手前を示したところで、ミレーネが止める。


「それ以上は引かないで。支持具へ替えます」


建築支持具を戸の両側へ入れ、荷重を床へ逃がした。切断具で絡んだ網だけを断つ。人が通れる高さを保ったまま、住民を先へ送った。


居住区の奥に、動かない老人がいた。


「ここを出たら、負けだ。部屋も、道具も、全部置いていくんだろう」


レオルは号令をかけなかった。膝を折り、正面から目を合わせた。


「逃げるのは、負けじゃありません。帰るための仕事です」


低い声だった。


「部屋は、後で確かめられます。道具も番号で残します。……人は、いなくなったら戻りません」


老人は長く黙り、やがて自分から支持帯を肩へ回した。選んだのは、本人だった。


隔壁の向こうへ、最後の一人が抜けていく。安全区域で、点呼が始まった。居住者名簿、通路の退出札、点呼の数。三つを突き合わせる。未搬出者は、一人の記憶では決めない。


「合ってるよ」


エッダが札を数え終えた。「全員、外へ出た」


死者も、新しい傷もなかった。勝利炉へ進む道が開いた。


低床台は貸出記録の時刻内に戻った。ミレーネが背板と足置きを付け直し、エッダが車輪と止め金を自分で確かめる。待機椅子から戻るときも、触れる前に許可を取った。


「返却、異常なし」


エッダが自分の欄へ印を置いた。


レオルが、ミレーネの隣へ来た。


「そっちの班も、無事だな」


「はい。あなたも帰ってきましたね」


肩が触れるほどの近さで、それだけを確かめた。


そのとき、区画の壁際で古い通信盤が光を灯した。勝利炉の正式な通信回線だった。ノエラが、発信元、時刻、回線番号を書き取っていく。


宛先は、レオル・アシュベル個人だった。誰も勝手には応えない。レオルにも返答を命じない。


盤の奥から、静かな声が届いた。


「完全な腕をやろう。話をしよう」


グレゴールの声だった。


ミレーネは、通信盤の前に立つレオルの背を見た。彼はまだ、何も答えていなかった。

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