第46話 帰還命令
封印を検めてから、ノエラが認証写しを卓へ広げた。
原本は、復興省の保管庫に残されている。ミレーネたちの前にあるのは、正式に認証された写しと、現地照合の記録だけだ。ノエラが一項ずつ読み上げる。
発行元は軍病院。文書番号。対象を示す個体番号。同意欄――空白。そして、前線復帰日だけが、はっきりと書き込まれていた。
「一件です」ノエラは釘を刺した。「これだけで、すべての軍病院が、すべての国家義肢へ同じことをしたとは決めません」
正式な照会が出された。同じ軍病院の装着記録と月例整備台帳。帰還命令。訓練報告。負傷や痛みの申告。個体鍵の更新記録。そして、前線の配属先が人員を受け取った記録。何を照合するかを先に目録へ記し、保管する部署ごとに認証写しを求めた。
数日後、封印のある束が届いた。書記が受領時刻と封印番号を記し、ノエラが開く。個人名は、本人の同意がある事例を除いて個体番号へ置き換えられていた。照合に要らない診療内容は伏せたままだった。
エッダが、車輪付きの椅子で長机の端へ着いた。文書番号、個体番号、整備日、更新日、帰還命令日、配属先の受領日。一つの事例を横一列に置き、別の事例と混ざらないよう、色の違う紐で分けていく。
ミレーネは、そこに現れた順を指でたどった。
帰還命令が出る直前の月例整備。本人の同意欄は、空白のままだ。整備台帳には「同期番号更新」「軍務適合調整」とだけある。それだけ読めば、定期作業に見える。
だが、装着記録には、帰還環の内側へ割り当てられた個体ごとの同期符号がある。月例整備の前後で、その符号が更新台帳の番号へ変わっていた。ダリオの技術記録とも照らし、単なる帳簿番号ではなく、帰還環が外部の信号を受け分けるための個体鍵に当たると分かった。
一件ではなかった。照合できた複数の個体番号で、同じ順が繰り返されている。
月例整備。本人同意のない個体鍵の更新。帰還命令。そして、配属先の受領簿に記された到着日。
「偶然だけで、この並びを説明するのは難しいね」エッダが言った。「同じ手順で、処理されてる」
ミレーネはうなずいた。それでも、全国すべての事例だとは書かなかった。記録で確かめられた複数の装着者については、本人が同意しないまま個体鍵を更新され、実際に前線へ戻されていた。その事実を、日付の異なる記録が支えていた。
装着者本人の申告には、生の言葉が残っていた。
止めたいのに、義足が一歩、前へ出た。持ち上げるつもりのない義手が上がった。残った腕と肩が引かれた。転んだ。装着部が擦れて血が出た。
だが、軍病院から上へ出された報告では、それらが別の言葉に置き換わっていた。「訓練反応」。「適応過程」。「軍務動作の再発現」。本人の申告を写した頁には痛みがあり、表紙に付けられた上申用の要約からは、その痛みが消えていた。
誰が、どの段階で言い換えを決めたのかは、まだ分からない。個々の治療師が望んで隠したとも断じられない。ただ、別々の申告が、上へ出ると同じ様式の言葉へ変わる。その仕組みが、記録の上に残っていた。
セシルが、本人の同意を得られた事例だけを卓へ出した。残端の擦れと圧迫。肩関節の捻れ。筋肉の引き攣れ。炎症。転倒による傷。
「本人が止めようとする力と、義肢が動く力がぶつかれば、装着部や関節へ負担が生じます」セシルは言った。「この事例では、赤みと腫れが、更新後の不随意動作の申告と同じ日に記録されています」
すべてが命令術式のせいだとは言わなかった。整備日、個体鍵の更新日、不随意動作の申告日、身体所見。それらが重なる事例について、関連を疑う根拠がある。そこまでを、静かに述べた。
ダリオは、外部協力者のまま、指定された技術写しだけを見た。装着者の名も住所も、身体適合記録の原本も渡されない。
彼は記録と図面を、一つずつ分けた。装具の内部にある、帰還環らしい輪。個体ごとに違う鍵。外からの信号を受ける導線。王国側が追加した分岐。
「帝国式と同じ線が、ここ。違う線が、ここ。ここは、まだ分からない」
この資料だけでは、安全に止める方法までは組めない。帝国と王国のどちらか一方だけが作った技術とも言えなかった。ダリオは、分からない線を分からないまま記録へ残した。
次にノエラが、王都中継塔の整備記録と試験記録を、正式な権限で取り寄せた。
帰還命令や月例整備と同じ日、中継塔から試験波が送られている。出力を段階ごとに変え、特定の個体番号群との同期を確かめた記録があった。個体番号はすべてではない。だが、軍病院側で個体鍵を更新された番号の一部と、塔の同期対象が一致した。
侵入も、無断の分解もしていない。軍病院の装着記録、月例整備台帳、中継塔の試験記録。出所の違う三つが、同じ個体番号と日付を指していた。
ミレーネは、分かったことを四枚の紙へ分けた。
一つ。装具の中の帰還環。
二つ。更新された個体鍵。
三つ。命令波を送る王都中継塔。
四つ。発令を認証する権限者。
命令術式を動かすための四条件。そのうち、記録で確かめられたのは三つまでだった。四つ目は、中継塔の試験記録に符号化された権限記号があるだけで、個人の名へは戻せない。グレゴールとも、国王とも、復興省の誰とも断じなかった。
祖父の未完成の「拒否共鳴」には、個体鍵の情報、命令を運ぶ波、安全に止める条件が欠けていた。いま見つけたのは、命令術式を起動する条件だ。同じ言葉が含まれても、止めるための答えではない。安全停止の方法も、認証権者も、まだ分からなかった。
レオルは、束の端に置かれた個体番号を、じっと見ていた。右の装着部は休養の途中で、何も着けていない。やがて、肩をわずかに引き、口を開いた。
「俺には、軍制式の義手が支給されなかった。恩給も切られた。だから、帰還環も、鍵の更新もなかった」
声が、一度、低くなった。
「切り捨てられたから、俺だけ、これを入れられずに済んだ」
ミレーネには、その言葉の重さを代わりに消せなかった。「あなたは悪くない」と一言で閉じれば、レオルが見つめている個体番号まで軽くしてしまう気がした。
レオルは、しばらく黙ったあと、顔を上げた。
「同じ動きを経験した退役兵を探す。自分で話すかどうか、選べる形で」
案内の条件を、口で一つずつ組んだ。証言するかは本人が決める。公開、非公開、匿名を選べる。途中で撤回できる。身体を診てもらうかも本人が決める。英雄の名で参加を迫らない。書記が記し、読み返し、レオルが内容を確かめた。
「その案内なら、本人の選択を残せます」ミレーネは言った。
罪悪感を、同じ記録を持つ人へ道を知らせる仕事へ変えた。それを、彼女は受け取った。二人は触れず、同じ卓の番号を並んで見た。
そのとき、廊下の奥で警鐘が鳴った。
一度ではない。監査院の職員が立ち上がり、書記が窓を開ける。間もなく、息を切らした正式伝令が部屋へ駆け込んできた。
「王都記録院が、襲撃を受けました」
恩給の処理原簿を保管する場所だった。
誰が、なぜ、何を狙ったのか。まだ分からない。分かっているのは、記録院が襲われたということだけだった。




