第43話 私の所有物ではありません
復興大臣は、金額から話し始めた。
「国家がアシュベル氏の治療と機能訓練へ支出した額は、金貨四百枚を超えます。軍務中の共鳴記録と戦闘動作式の採取、保管にも、三百枚近くを費やしました」
グレゴール・ヴァイルは、穏やかな声で一項ずつ読み上げた。続けて、国家支給義肢一式の製作、適合訓練、定期整備に、一人当たり平均で金貨千枚を超える費用がかかると述べる。レオルは軍制式義手を受け取ってはいない。その額は制度全体の費用として、別の欄に置かれていた。
数字は正確で、静かで、だからこそ重かった。
「国家が費用を負担して回復させた機能と、軍務で蓄積した戦闘動作式には、非常時に国を守るため使用する権利がある」
グレゴールは怒鳴らなかった。悪意を見せるのでもない。再び戦が起きたとき、使える機能を遊ばせれば、今度は国民を守れない。そう信じる者の落ち着きがあった。
「身体を国のものにせよとは、申しておりません。国費で成り立った機能と記録の、非常時の使用権です」
生身の身体と、その身体を動かす機能を、別のものとして扱う主張だった。
進行は、監査院のノエラが握った。左右には、別の審問官が二人座っている。発言は書記が一語ずつ記録していた。
「支出原簿を。その金額を承認した日付は。非常使用権の根拠となる条文は」
短い問いで、証拠と発言を確かめる。工房をかばう演説はなかった。英雄像の記録と、整備召集の掲示は補助資料として置かれたが、それがグレゴールの直接命令だと確認できていない部分は混ぜなかった。
グレゴールが示した条文は、軍費で製造した義肢と、軍務中に採取した共鳴記録を国家資産とするものだった。
「本人の随意運動へ優先して命令できる、という文言は」ノエラが尋ねた。
「明記はありません。非常時の資産使用権から、当然に導かれる解釈です」
解釈であることも、記録へ残された。
ミレーネは、席で色札の束を広げた。工房で異議申立ての契約書を作ったとき、客へ説明するために用いた分け方だ。見本として、本人の同意を得て預かった混成の義手が、固定台に載っている。
青は、国家が支給した部品。赤は、本人が私費で買った部品。緑は、工房が新たに造った部品。別の札には、装具そのものの所有権、工房の設計権、本人の身体と適合データ、調整・修理・使用の記録、訓練と保守の契約を書いた。
「これらは、別々のものです」
国家部品まで工房の物だとは言わない。ミレーネが分けたのは、部品の所有権と、本人の身体を意思に反して動かす権利。設計を誰へ見せるか。着けるか、外すか。そもそも義肢を使わないという選択だった。
「部品に公費が入っていることと、その人の腕を、本人の意思に反して戦場へ動かしてよいことは、別です」
ミレーネは、顧客記録の束へ手を置いた。封は開けない。
「この身体記録は、私の所有物ではありません。預けた本人のものです。本人の同意なしに、国家へも渡せません」
グレゴールも退かなかった。
「では伺います。国費で回復させた機能を、非常時にも使えないなら、制度は保てるのですか。危機のたびに一人ずつ同意を求めていて、救国に間に合うのか。民間の改造を重ねても、基礎の機能は公費で成り立っています」
費用負担から、非常使用権を導く論だった。その前提に立てば、筋は通っている。傍聴席の一部が、うなずいた。
「非常時の条件と、拒否した場合の扱いを、本人へ契約で示していましたか」ミレーネは尋ねた。
グレゴールは一拍置いた。「戦時軍需制度は、個別契約を前提としていません」
「なら、本人が選んだ権利ではありません。費用を払った側だけで、後から足した権利です」
争点が、数字の奥から姿を現した。
証言は、一人が全部を語る形にしなかった。
エッダが、票の束を示した。
「関節部番号二一は公費支給。受け部番号七は本人が金貨で買った。この鉤と調整工賃は工房との有償契約だ」
購入票、支給票、工賃、部品番号を分けていく。公費が一部に入ったからといって、私費部品や工房の設計まで国家支出へ変わりはしない。帳簿が、その境を数字で示した。
セシルは、本人の同意を得て診た範囲だけを話した。義肢が意思に反して動いたとき、残った腕、関節、肩へ、捻れや圧、炎症が生じ得る。相談に来た者の記録も、証言への同意がある分だけを読み上げた。
「橋の救助でアシュベル氏が負った傷は、彼自身の判断で荷重を受けたものです。原因も手順も、今回相談された不随意動作とは違います」
全部の国家義肢が同じ原因だとは言わなかった。国家支給品だから危険なのでもない。本人の意思と切り離して動いたとき、身体へ何が起きるか。それだけを説明した。
ダリオは、図面の指定写しへ線を引いた。帰還環らしい部品。帝国式と共通する導線。王国だけにある線。そして、まだ確かめられない部分。
「外からの命令へ転用できる構造が、あり得る。そこまでです」
「完成した命令術式があると、証明できますか」ノエラが尋ねた。
「できません」ダリオは答えた。「個体の鍵も、中継する場所も、命令する者も、まだ分かりません」
分からないものは、分からないまま記録された。
レオルは、右の装着部を休ませたまま、口頭で証言した。継火も、保持具も、署名補助具も使わない。
「国が費用を負担した事実は、否定しない」
審問官のほうを見て続けた。
「その費用は、俺の身体を俺の意思に反して動かし、戦場へ戻す権利までは生まない。俺が騎士団を辞退したあとも、その選択を覆せるなら、辞退する権利は最初からなかったことになる」
同行した母親も、身体支持帯を着けて証言した。金具で子を握る道具ではないこと。開いた火の近くでは使わないこと。説明を聞き、自分で選んで着けていること。
生活の言葉だった。ただ、ミレーネは情だけで結論を決めさせようとはしなかった。本人の選択と使用限界を示す証言として、権利の区分の隣へ置いた。
審問の半ば、グレゴールが向きを変えた。
「アシュベル氏。あなたの専属の職人殿に、国家への協力をお伝えいただけないか。あなたの動作を最も理解する技術者なら、国家制度にも貢献できるでしょう」
ミレーネを、レオルの要望をかなえる技術者として扱い、レオルを通じて工房を動かそうとした。
レオルが、静かに、しかしはっきりと訂正した。
「私の職人でも所有物でもない。私が選んで、隣に立つ人です」
傍聴席が、わずかにどよめいた。
ミレーネの胸にも、熱が差した。けれど、その言葉に守られて黙ることはしなかった。
「私は、誰の所有物でもありません」
工房主として、設計者として、自分の声で続けた。
「この設計を、誰のために使うかは私が決めます。顧客の記録は、契約と本人の同意に従います。大臣にも、アシュベル氏にも、勝手には渡しません」
レオルはミレーネを自分のものだとは言わなかった。誰かの付属物ではなく、自分で選んで隣に立つ人だと、公の記録へ残したのだ。
審問は、短い休止に入った。三人の審問官が、提出された原本と条文を別室で照合する。戻ってきたノエラは、合議の決定書を読み上げた。
中央暫定管理命令のうち、民間設備、本人私費の部品、工房が新造した部品、本人同意で管理される顧客記録への即時執行を、監査が終わるまで停止する。国家支給義肢の不随意動作と、整備召集の運用については、監査院が正式調査を開始する。
理由も記された。国家資産の所有権は、本人の随意運動へ優先する命令権を当然には含まない。少なくとも、その権限を明記した条文と、本人へ示した契約が、今日の原本からは確認できない。
それ以上は決まらなかった。中央命令全体が永久に無効になったのでも、国家部品の所有権が移ったのでも、グレゴールが有罪になったのでもない。命令術式の全容も、伏せられたままだ。
手続が、また一段、前へ進んだ。その重みを受け止めた傍聴席から、拍手が起きた。法的な結論ではない。ただ、聞いていた者たちの反応だった。
その拍手が、まだ鳴りやまないうちだった。
書記の一人が、封印のある一通を審問の卓へ運んだ。ノエラは差出元、提出番号、封印、受領時刻を確かめてから開いた。
告発状だった。
継火工房が、灰旗団へ武器を売った。そう記されている。納品記録が添えられ、そこには工房の製品番号が並んでいた。
ミレーネは、番号を目で追った。偽りだと叫びたい気持ちを、抑えた。まだ、記録の出所も、現物との一致も確かめていない。
「告発を受理します。真偽は、これから審査します」ノエラは言った。
そして、告発を受けた者の名を読み上げた。
ミレーネ・ヴァルカ。




