第41話 王都へ持っていく証拠
「原本はどこです」
濃紺の外套を着た女は、戸口をくぐるなり、名乗りより先にそう尋ねた。
握手も、労いの言葉もなかった。監査院上級審問官ノエラ・セランと名乗り、鞄から身分証、召喚状、派遣の権限書、封印具を順に卓へ置く。ミレーネは、それらを一つずつ確かめるまで、資料を出さなかった。発行番号、監査院の印、権限の範囲、受領の控え。エッダが車輪付きの椅子で寄り、日付と署名を照らし合わせて、うなずいた。
「工房の味方に来たのではありません」とノエラは言った。「適法に守られた証拠だけを、王都へ運びます」
突き放すというより、線を引く口ぶりだった。ミレーネは、それでいい、と思った。味方だと言われるより、手続で扱われるほうが、この工房には確かだった。
ノエラは、証拠を混ぜずに扱った。
ハーゲン事件の複写帳簿、倉庫の出庫票、横流し先の受領証、逮捕時の記録が一束。工房へ侵入した男から押収した、署名のない暗号紙は、まだ解かないまま別の封へ。同じ男が持っていた武器は、復興省支給品と同じ番号の組み方をし、検品印の外縁には、正式な見本と重なる欠けがあった。
「番号表の原本は」
「復興省の保管です」エッダが答えた。「ここにあるのは、正式照会で受け取った写しと、その受領控えだ」
「照会の日付。受け取った者。写した者」
ノエラは短く問うた。エッダが該当欄を一つずつ示す。ノエラは一致した箇所へ印を置いたが、武器と省を一本の線で結びはしなかった。
「支給の経路と、どこかで接点がある。そこまでです」
潜入者が誰の手の者か、大臣が命じたのか、省全体が関わったのか。決めつけを、彼女はしなかった。
中央暫定管理命令の書面、受領控え、掲示の時刻。放棄工場で保全した部品箱、帳面、制御盤の記録、採取の目録。それぞれ、別の束のまま卓へ並んだ。ノエラは、意見ではなく、どこにあり、誰が触れ、誰へ渡したかを尋ね続けた。
エッダが、原本の道筋を示した。襲撃の日、原本は封印と番号を保ったまま、ラウラの隊員の立会いで、村役場の第二保管庫へ移した。運んだ者、時刻、受け取った者を、二通に記してある。対応表は診療小屋、写しは村長宅と警備隊の証拠庫、受領の控えはこの帳簿箱。頁番号、複写した日、複写した者、第三者の受領署名、封印、送付の控え。エッダは一つずつ、指で押さえて見せた。
「原本は、ここへ戻していないのですね」
「戻してない。動かす回数を増やせば、そのたびに受け渡しが増える」
ノエラはうなずき、第二保管庫から監査院の搬送箱へ移す時刻と立会人を、その場で決めた。封を切る前に外装番号を照合し、移した後は工房と村役場の双方へ受領書を残す。原本を見つけたからといって、すぐ鞄へ入れはしなかった。
正しく守られた部分を認める一方で、不備も容赦しなかった。
「初期の製品記録に、後から補った跡があります」
エッダが加わる前の品だ。用途や受領日、料金、製品番号の一部が、後日書き足されている。
「それと、指定写しが一頁、欠けている」
ダリオが連れ去られたとき、失われたまま戻っていない写しだった。
「補った記録は、本人の証言か、別の帳簿で裏を取らねば、そのままでは弱い。失われた一頁に何があったかも、残る控えと閲覧台帳から範囲を限定してください」
ミレーネは、隠さず認めた。弱いところを弱いと知ることが、守ることの半分だった。最初から完璧だったことに書き換えれば、それこそ、記録を偽物にする。
ノエラは、非公開の書面審査だけでは足りないと言った。復興省側の記録と反論を、同じ場で突き合わせられない。
「公開審問を勧告します。復興省にも、原本と説明を出させます。工房側の不備も、同じ場で扱います」
監査院が原本を保全し、公開審問へ進む手続が決まった。それ以上ではない。命令の即時無効も、大臣の有罪も、工房の勝ちも、この日は決まらなかった。手続が、一段、前へ進んだだけだ。
話を聞いた利用者たちが、昼過ぎから工房へ来た。誰かに証言を命じられた者ではない。
身体支持帯を使う母親は、帯で赤子を抱き、水を運んだ日のことを、自分の口で話したいと言った。
「助けてもらった、と言うだけではありません」母親は言った。「使う時間も、火のそばでは使わないことも聞いて、それでも私が選んだと話します」
扉の鉤を使う男も、自分の家の戸を開ける道具が、なぜ軍の所有物になるのか尋ねたいと言った。軍需工場から車輪台で運び出された退役兵は、戦えない道具で生きて出たことを証言すると申し出た。
ミレーネは、英雄の名で人を集めなかった。代わりに語りもしなかった。全員を連れていくのでもない。事件と道具に直に関わる者だけが、何のために使い、なぜ選び、どこに限界があるかを、本人の同意で述べる。それが証言だった。
王都へ運ぶ証拠は、監査院の目録と封印と受領書で、正式に移した。ミレーネが箱を一人で抱えることは、しなかった。
誰が王都へ行き、誰が工房と利用者の記録を守るか。能力と役割と、本人の希望で分けた。
王都へは、ミレーネ、エッダ、セシル、ダリオと、同意した少人数の証人が行く。エッダは証拠目録と費用の判断、セシルは本人同意のある身体記録だけを扱い、ダリオは自分が照合した導線の範囲だけを証言する。
リタは、まだ成人ではない。工房の全責任も、危うい証拠の護送も負わせない。職人組合から来る成人の職人二人と、ラウラが残す警備隊員のもとで、受付札と冷えた部品を管理する。正式受注、炉の使用、身体記録の開封は、留守中には行わない。
「留守を、頼めますか」ミレーネが尋ねると、リタは唇を結んでうなずいた。「分かんない注文が来たら、勝手に受けない。帰る日を書いた札を渡す」
「それでお願いします」
ミレーネは、すべてを自分の手に握らなかった。工房の戸と受付は留守の職人へ。証拠の目録はエッダへ。身体記録をどこまで開示できるかは、セシルへ。誰が、どこまで決めてよいかを、札と委任の控えへ書いた。一人で救う職人から、任せる工房主へ。その距離を、少しずつ歩いていた。
レオルは、右の装着部の炎症で、短く意識を失った直後だった。セシルが改めて確認した範囲では、骨を傷めた徴候も、新たな傷もない。だが、段階復帰を一段戻して休養している。
セシルは、王都までの道中で休めること、装具を使わないこと、痛みや熱が戻れば予定を変えることを条件に挙げた。レオルは条件を聞き、自分で行くと決めた。継火も、署名補助具も、重い道具も使わない。その条件も、自分の声で確かめた。
「王都では、別々に動くこともある」とミレーネは彼へ言った。審問、証人の対応、記録の確認。恋人だから常に隣にいる、守るために相手の役を代わりに決める。そういう形にはしない。
「別々でも、必ず情報を分け合って戻る」
「ああ」レオルが答えた。「一人で決めて、置いていかない」
前に交わした約束の、続きだった。
出発の支度が、静かに進んだ。証拠の箱は目録どおり封をされ、証人の名は本人の同意で控えられ、留守の役割が札に書き出された。公開審問へ進むことも、証人団と留守番の体制も決まった。あとは、王都へ発つだけだ。
戸口で、ノエラが出発者名簿から顔を上げ、レオルを見た。説明を、彼女は加えなかった。
「王都には、腕を失っていないアシュベル氏がいます」
それだけ言って、封印具を鞄へ戻した。
別人とも、偽物とも、生き残りとも言わない。ミレーネは、その一言の意味を測りかねたまま、王都の方角の空を、しばらく見つめていた。




