第37話 あなただけ帰る場所を得た
朝の光が、救出者を包む毛布の端を白く縁取っていた。
レオルは、かつての部下たちの前に立っていた。騎士団の制服ではない。煤の染みた、継火工房の作業着だ。両袖の先は、失った腕の分だけ短く畳まれている。
少し離れた場所に、ミレーネとラウラ、警備隊がいる。声は届くが、会話へ割り込まない距離だった。
ガイルが、灰色の義手を脇へ下ろしたまま口を開いた。
「団長」
昔の呼び方が落ちた。言い直しはしなかった。
「あんたは、いい服を着ている」
皮肉ではないらしい。ガイルは、作業着の煤と、短く畳まれた袖を順に見た。
後ろには、灰旗団の者が数人いた。片脚へ木の支えを巻いた男。外套の袖が垂れた女。痩せた頬を布で覆った若者。誰も騎士団の制服を着ていない。
ガイルは、仲間の名を挙げていった。
北の砦にいたトビアスは、右手を失ったあと、「戦闘能力を欠く」という一行で恩給を切られた。却下通知は薄い紙一枚だった。寒さに耐えかねて、最後にはその紙まで炉へ入れたという。
「燃えたのは一瞬だ。あいつが十年働いた記録より、ずっと早かった」
ザラという女は、夫が帰らず、子と冬を越すため、夫の工具箱を売った。使い込んだ鑿も、鉋も、まとめて薬一回分にしかならなかった。
もう一人、ガイルは名を言いかけて、やめた。
春を待てずに逝った、とだけ告げる。
「食卓に、皿が余るんだ」
灰色の義手が、わずかに軋んだ。
「最初は五枚だった。次の冬には四枚になった。片づけられずにいると、今度は、その皿を売って飯を買う。最後には、余る皿すらなくなる」
レオルは、その話を身体の芯で受け止めた。
継火工房の食卓には、五人分の席がある。自分の席も、初めから高さを合わせて作られた。豆が焦げたと笑う声があり、誰かが休めば別の誰かが帳面を守る。
ガイルの食卓からは、人も、皿も減っていった。
同じ戦場から帰った者の片方には席が増え、片方には売る皿さえ残らない。その差を、運がよかったという一言へ押し込めることはできなかった。
「俺は、仕事を得た」
レオルは声を飾らなかった。
「対価を受け取れる役割がある。食卓に席がある。明日も戻れる場所がある。俺の仕事と失敗を見て、そのうえで隣に立つと選んでくれた人もいる」
ミレーネを、救われた褒美のようには数えなかった。彼女にも仕事があり、選択がある。そのうえで、互いに一緒にいることを選んでいる。
「お前たちが失ったものを、俺は手にしている」
認めないことのほうが、卑怯だった。
ガイルの後ろで、片脚に支えを巻いた男が目を伏せた。
「俺たちは、あんたの号令で前へ出た」ガイルが言った。「国は、あんたの名を旗にした。俺たちは、その旗の下なら帰ったあとも守られると思っていた」
守られなかった、とガイルは続けた。
「なのに、旗だったあんただけが、別の場所で席を得た。俺たちへ列に戻れと言う前に、こっちへ戻れ。もう一度、俺たちの前に立て」
「何をするために」
「奪われた分を、奪い返す。国が俺たちを死んだものとして扱うなら、生きていると恐れさせる」
その先にあるのは、また輸送隊を襲い、物資を奪い、敵を増やす道だった。止められるまで進み、仲間と同じ場所で倒れる。それをガイルは、置き去りにしないことと呼んでいるように、レオルには聞こえた。
胸の底で、生き残った罪が立ち上がった。
部下を前へ出したのは自分だ。帰還後まで見届けられなかった。工房の扉を開けるまで、恩給を切られた仲間が何を食べていたのかも知らなかった。
だが、レオルはもう、その重さに飲まれる道を選ばなかった。
工房を捨てても、皿は戻らない。謝って済ませても、トビアスの手は戻らない。昔の団長へ戻っても、ザラの冬は温かくならない。
自分を罰することは、誰の食卓も満たさない。
「戻らない」
レオルは言った。
「俺は、全員と一緒に死ぬことはしない。同じ敵を作り、みんなで崩れていくことも、連帯とは呼ばない」
ガイルの顎が固くなった。
「俺が幸せを捨てても、逝った者は帰らない。だが、俺が得た場所から、選べる道を増やすことはできる」
レオルは、自分に示せることだけを並べた。
継火工房へ相談に来る道。恩給の却下通知を、本人の証言、役所の台帳、同じ印章の通知と照合する手続。ラウラを通じて、監査へ証言を届ける方法。
セシルは、本人が望んだときだけ身体を診る。工房は、まず何をしたいかを聞く。そのうえで、正式な注文として受ける。分割払い、期限を決めた労働交換、有給の契約。対価を善意の陰へ隠さない仕組みもある。
約束できないことも、はっきり言った。
全員をすぐ雇うとは言えない。義手をただで配るとも、身体が元どおりになるとも、恩給がすぐ戻るとも言えない。犯した罪が消えるとも言わない。
工房には受付枠がある。適合確認、訓練、契約、安全の条件もある。義肢を使わない選択も含め、来るかどうかは本人が決める。
「幸せを保証はできない。道があると言っているだけだ」
ガイルはしばらく黙っていた。それから、口の端だけで笑った。
「施しだな」
低い声だった。
「従順に頭を下げた奴だけが受けられる救いだ。国の窓口で待たされ、今度は工房の受付で待てと言うのか」
後ろの女が、垂れた袖を外套の内へ隠した。ガイルは振り返らなかった。
「俺たちは、もう列には並ばない」
レオルは、その拒絶を覆す言葉を探して焦らなかった。
道を示すことはできる。だが、歩くかどうかはガイルが決める。無理に工房へ連れ帰れば、また選択を奪うだけだ。説得に成功して、自分だけが許された気になるつもりもなかった。
保守用横道の高みから、大きな声が飛んできた。
「英雄と話し込むな、ガイル」
ヴァルドだった。強硬派を従え、持ち出した小箱の脇に立っている。
「話せば飼い慣らされる。あの工房の道は、国へ頭を下げさせる別の仕掛けだ。従う奴だけ生かす。それを救いと呼ぶな」
断ち切るような二分法だった。
ガイルは振り返らなかった。だが、灰色の義手が一度、強く閉じた。ヴァルドの声と、その沈黙のあいだに、以前にはなかった隙間がある。
ミレーネは会話へ入らなかった。慰めの言葉も、恋人としての援護もない。
レオルは、それでよかった。この言葉は、自分で選ばなければならなかった。
ガイルが灰色の義手を下ろした。
「団長」
もう一度、昔の名で呼ぶ。
「なら、次に来るときは一人で来い。工房の連中も、警備隊も連れずに、団長一人で」
要求なのか、試しているのか。レオルには決められなかった。
すぐに、行くとは答えなかった。誰にも相談せず約束することは、相手の選択を尊重することとは違う。
「条件を含めて、考える」
それだけ告げた。
ガイルは、それ以上迫らなかった。二人のあいだには、埋まらない場所が残った。
朝日が高くなり、救出された者たちが立ち上がり始める。
レオルは、短く畳んだ袖の作業着のまま、彼らのほうへ歩いた。皿の余る食卓の話は胸に残っている。
それでも、自分の席を捨てることが答えではないと、もう知っていた。




