第25話 灰色の義手
翌朝、ミレーネは襲撃現場に立っていた。
ラウラの警備隊が道の両端へ縄を張り、荷馬車と散った積荷を、動かさずに囲っている。
地面に、灰色の義手が一つ落ちていた。右前腕へ装着する形だ。誰の身体から外れたものかは、まだ分からない。
見ていると、その指が、一度だけ閉じた。
誰も触れていない。風に押された向きでもなかった。五本の指が硬い音を立て、掌へ曲がり込んだ。
ミレーネは息を止めた。指は閉じたまま止まり、それきり動かなかった。
「今、動いたか」
隣にいたラウラも、義手を見ていた。
「一度だけ。誰も触れていません」
ラウラは隊員へ記録を命じた。
義手の位置と向き、外装の刻印、時刻、立会人。横倒しになった荷馬車までの距離と、残された足跡との位置関係。測り縄を置いて写しを取り、地面へ番号札を立てる。
ミレーネは、触れられていない状態で指が一度閉じた、という事実だけを記録へ残した。理由の欄には、不明、と書いた。
護送員が、毛布を肩へ掛けて証言した。灰色の旗を掲げた一団だった。軍服を継ぎ合わせた服の者もいたが、同じ装いではない。襲撃の最中、誰かが「灰旗団」と名乗ったという。
「全員の身元は、まだ分からない」
ラウラは証言を書き留めてから言った。
「名乗りと旗を見聞きした。それ以上にはしない」
荷馬車に残った荷札を確かめると、この隊は復興物資の輸送隊だった。運行命令の印は、地方復興物資管理官ハーゲンのものだ。
ミレーネは荷札と運行命令、護送員が持っていた受領控えを並べた。三つに記された便名と出発日が一致している。ハーゲンの管理下で運ばれた隊だということまでは、書面で確かめられた。
彼が襲撃を命じたのか。灰旗団と通じているのか。それは、どの書面にも示されていない。
エッダは、ラウラが荷車と板を手配してから現場へ来た。車輪付きの作業椅子で轍を越えずに済むよう、道端まで板の通路が渡された。
「襲撃で開いた箱と、封の残る箱を分けるよ」
破られた箱は、散った積荷と一緒に別記録へ回した。襲撃前の数を、現場だけから戻すことはできない。
エッダが選んだのは、封蝋の残る包帯箱だった。ラウラが封の印形と傷を写し、護送員二人の立会いで開封させる。
荷札には包帯四十巻、重量二十斤とあった。だが、中にあったのは二十八巻。箱ごとの重量も、十四斤ほどしかない。
「積込控えも、四十巻だ」
エッダは出発地の写しを示した。
「護送員の受領控えにも、封印済み四十巻、二十斤とある。この箱の封は、現場へ着くまで破られていない」
別の隊員が秤を読み、数と重さを記録した。荷札、積込控え、護送員の受領記録。そのすべてと、封を開けて数えた現物が食い違っている。
「奪われた分を引いても、合わないんですね」
「襲撃で散った分とは混ぜてないよ」
エッダは、封の欠けていない縁を指した。
「少なくとも、この箱の不足は襲撃だけじゃ説明できない。いつ、誰が減らしたかまでは、まだ言えないがね」
灰旗団が、退役兵へ届くはずの物資が足りないと疑っていたなら、その疑いには根拠があったのかもしれない。
だが、護送員を襲い、荷馬車を横転させ、通行人まで危険へさらした。それは、物資が足りないこととは別の事実だ。
疑った事情と、襲う手段を選んだ責任。ミレーネは二つを同じ欄へ書かなかった。
レオルは、荷馬車の周囲を目で追っていた。右上腕には保護当てだけがあり、何かを拾うことも、轍へ下りることもしない。
「車輪を止めた跡がある」
レオルは、轍の脇に残った二本の細い傷を示した。
「楔を左右から同時に入れている。荷綱は、全部を切らずに片側だけ落とした。護送員を縛った場所と、逃げ道の間にも一人分の幅が残されている」
少し離れた木の幹には、短い傷が二つあった。退く合図に使ったように見える、とレオルは言った。
「この組み方を、俺は知っている」
「誰のものですか」
「ガイル・ローデン。俺の元部下だ」
レオルは、すぐに言葉を足した。
「似ている、というだけだ。この跡だけで、本人がここにいたとも、指揮したとも言えない。あの義手の持ち主かどうかも分からん」
レオルは轍を見たまま、息を一度吐いた。
「俺が知るガイルは、恩給を止められた仲間を食わせようとしていた。単純な悪党とは呼べない。だが、護送員を襲った責任まで消えるわけでもない」
ミレーネは、レオルが何を悔いているのかを決めつけなかった。跡を読み、似た戦い方の名を挙げ、それでも行為の責任を免じなかった。その言葉だけを記録した。
灰色の義手には、外装の下へ国家管理番号が刻まれていた。
現場記録を終えたあと、ラウラが公的な回収手続を取り、受領控えを作った。隊員が指部を革帯で固定し、封のできる運搬箱へ収める。誰の身体にも着けず、警備詰所の検分室へ運んだ。
ミレーネたちが勝手に持ち帰ることはしない。リタは危険な検分から外した。レオルにも拾わせず、分解させなかった。身体と道具の制限は、こういうときほど守らなければならない。
検分は、ラウラの許可と立会いのもとで始めた。開けた箇所、外した留め具、その時刻を、一つずつ記録する。
セシルが、装着部の内側を必要な範囲だけ調べた。
「使っていた人がいないので、診断はできません」
彼女は前置きしてから、革当ての一点を示した。
「内側に、強く擦れた跡があります。圧も、片側へ偏っていたようです。もし、これが着けた人の意思に反して動いたなら、残端や肘、肩へ捻る力がかかった可能性があります。身体の側から言えるのは、そこまでです」
持ち主の負傷を、見ていないのに決めることはしなかった。
ダリオは、声を聞き取りやすいようミレーネの正面へ回った。内部の導線と、以前に廃部品から薄紙へ写した線を並べる。祖父の隠し棚から見つかった理論帳の写しも、離して置いた。
「この分岐は同じだ」
ダリオは一本の線を示した。
「こちらは違う。ここは、覆いを外しても続きが読めない。分からない。私が知っているのは帝国で使われた線だ。王国が今、何をどこから送っているかは説明できない」
同じ線、違う線、不明な線。三つを分けて、記録へ落とした。
内部には、いびつな輪形の部品があった。祖父の拒否書簡で「帰還環」と呼ばれていたものに、形が似ている。
「帰還環らしい、とだけ書きます」
ミレーネは、輪と導線の位置を測った。
「一致する可能性はあります。でも、外せば止まるとも、祖父の理論で解けるとも言えません」
朝の指閉じに、この輪と導線が関わった可能性はある。それ以上は、まだ分からない。何が動作を起こしたのか。どこまで同じ仕組みが使われているのか。空いた欄は、空いたまま残した。
最後に、エッダが回収した管理番号を照会へ回した。ラウラの正式な照会で、軍需倉庫の廃棄在庫記録の写しを取り寄せる。写しの発行元、受領時刻、照会番号も、控えへ付けた。
届いた記録を端まで読み、エッダが顔を上げた。
「この番号だ」
エッダは一行を指した。
「廃棄済み、と記録された在庫に入ってる」
処分されたことになっている義手が、昨日の襲撃現場に落ちていた。そして今朝、誰にも触れられず、一度だけ指を閉じた。
「記載の誤りかもしれません」
ミレーネは言った。
「廃棄したと偽ったのか、横へ流れたのか、盗まれたのか。どれかは、まだ分かりません」
分かっているのは、一つだけだった。
廃棄済みと記された番号の義手が、現物として、いま目の前にある。
記録と現物の食い違いだけが、検分台の上へ、灰色に残されていた。




