第23話 騎士団へ戻ってください
昼過ぎ、ラウラが工房の戸を叩いた。
辺境警備隊の実用制服を着て、革の書類挟みを抱えている。淡い金髪は短くまとめられ、世間話に来た顔ではなかった。
「アシュベル氏へ、正式な文書を届けに来ました」
ラウラは言った。
「辺境警備隊長として、騎士団からの使いとして」
ミレーネは炉の火を落とし、卓の上の工具を片づけた。レオルが作業台から移ると、ラウラは書類挟みから薄い綴りを出した。
宛名は、レオル・アシュベル。騎士団への正式な復帰要請書だった。
「団長――」
ラウラは言いかけ、戸口の規則札を見て口を閉じた。
「失礼しました。アシュベル氏。工房の規則は覚えています」
「かまわない。読ませてくれ」
レオルが書面へ目を落とした。ラウラは綴りを卓へ広げ、まず要請の理由から説明した。
休戦後も、国境には小さな不安が残っている。荷の足止め、崖道の崩落、避難経路の混乱。戦いでなくとも、人を逃がし、救助をまとめる指揮官が足りない。
「開戦が決まったわけでも、敵軍が迫っているわけでもありません」
ラウラは言葉を区切った。
「私が公務で把握している範囲では、避難と救助を指揮できる者が不足している。それが事実です」
要請には、騎士団内の地位と、救助指揮を担う権限が記されていた。さらに、軍制式の高性能義手について、適合審査と訓練を受けられるという条件がある。
「義手は、ここへ持ってきてはいません」
ラウラは、その欄を示した。
「適合するかは軍の技師と治療師が調べます。訓練期間も要る。復帰を受ければ、その手続へ進めるという条件です」
ミレーネは、膝の上で指を組み直した。
レオルの右上腕は、いまも保護当て付きの軽い保持具を、冷えた軽い道具へ短時間だけ使える段階だ。高性能と書かれていても、触覚が戻るわけではない。その場で装着し、以前の身体のように動けるものでもない。
それでも、今より多くの動作ができる可能性はある。
引き留めたい、とミレーネは思った。
この工房で、明日も隣の作業台を使ってほしい。五人の卓に座り、救助連絡帳を読み、火の色を一緒に見てほしい。
だが、その望みを、雇用や恋人という立場へ混ぜてはいけない。
工房に人手が要るからとも、道具を作ったからとも言わない。「好きだから残って」と先に言い、返事を狭めることもしない。
自分の気持ちは、レオルが条件を読み終えたあと、私的な場で伝えればいい。今は、彼の文書だった。
「次を、めくってくれ」
レオルに頼まれ、ミレーネは頁の端を持った。書面をレオルの見やすい角度へ置き直し、次の頁を開く。
レオルは即答せず、文字とラウラの説明を一つずつ確かめた。
「平時の任務は、国境一帯の避難計画と現場救助の指揮。指揮権は、どこまで及ぶ」
「現場の救助隊と、協力を命じられた警備隊員までです。騎士団全体の指揮権ではありません」
「配属地は。訓練の期間は。工房の仕事を整理する猶予はあるのか」
ラウラが、書面にある範囲を答えた。書かれていないことは、その場で答えを作らず、騎士団へ照会すると分けた。
レオルは、そのたびに該当する行を目で追った。読んでいない条文を、読んだことにはしなかった。
やがて、一つの行で視線が止まった。
「一般動員時は、任務を騎士団の指揮下で再指定できる。再動員条項だな」
「そのとおりです」
ラウラは隠さなかった。
「平時は救助指揮でも、非常時には任務が変わる可能性があります」
「救助以外の任務を、断る条件は」
「この要請書にはありません。復帰後の退任には、書面での申請と引継ぎが必要です」
「なら、平時の仕事だけを見て決めることはできない」
レオルは長く息を吐いた。灰緑の目は、まだ綴りから離れなかった。
「今すぐ返事はしない。任務も、再動員も、退任条件も読み直す。俺が何を引き受けるのか、確かめてから決めたい」
ラウラはうなずいた。それから、制服の襟元へ入っていた力を、少しだけ抜いた。
「命令として言うつもりはありません。英雄だから戻れ、とも言いません。決めるのは、あなたです」
一度、言葉を切る。
「ただ、元副官として、本音を言わせてください。私は、あなたに戻ってきてほしい。あなたの指揮で避難路を作り、救助隊を動かした日のことを、今でも覚えています」
その声に、ミレーネと張り合う響きはなかった。昔の親しさを誇る色もない。ただ、共に働いた者が、仕事をもう一度望んでいる声だった。
「ありがとう」
レオルは言った。
「その言葉は受け取る。だが、必要とされる数で決めるつもりはない」
レオルは工房の作業台へ一度目を向け、また要請書へ戻した。
「騎士団が俺を要る。工房にも俺の仕事がある。どちらが多く俺を必要とするかではなく、俺が何をしたいかで選ぶ。そのために、考える時間がほしい」
ラウラは反論しなかった。
「では、帰還祭の翌日、夕鐘まで。それを返答期限にしましょう」
「分かった」
ラウラが、要請書と受渡し控えの両方へ期限を書いた。声に出して読み、レオルが内容を確認する。ミレーネは立会人として、自分の名と時刻を控えへ記した。
レオルは、記された期限をもう一度読み上げた。筆記をラウラとミレーネが担っても、選択まで代わったことにはならない。帰還祭の翌日を期限として選び、言葉で確認したのは本人だった。
話が終わると、ミレーネは三人分の茶をよそった。ラウラは礼を言い、急がず一杯を飲んだ。飲み終えると、要請書の原本をレオルの前へ残し、受渡し控えだけを書類挟みへ戻した。
戸口へ向かったラウラへ、レオルが声をかけた。
「一つ、いいか」
「はい」
「近く、村で帰還祭がある。帰った者と、帰らなかった者の名を読む日だ」
レオルはいったん言葉を切り、ミレーネを見た。
「返事は、祭のあとにする。その前に――祭で、ミレーネと一度、踊りたい」
ミレーネは茶器を持つ手を止めた。
返事を問われたわけではない。けれど、自分の名前と踊るという言葉が並んだだけで、器の温かさが急に指へ伝わった。
ラウラは、二人をからかわなかった。
「では、祭の翌日まで待ちます」
そう答え、短く頭を下げて工房を出た。
二人だけになった卓へ、要請書が残った。
ミレーネは片づけず、レオルの隣へ椅子を寄せた。残ってほしいという自分の望みも、まだ口にはしない。まず、彼が選ぶ条件を、最後まで一緒に読む。
「明かりを増やします。もう一度、最初から読みますか」
「頼む」
ミレーネは灯りを寄せた。二人の影が、同じ要請書の上へ並んだ。




