第21話 五人分の食卓
朝、ミレーネは工房奥の小卓を見て、板が一枚足りないと気づいた。
祖父と二人で使っていた古い卓だ。いまはミレーネとレオル、帳簿仕事に来るエッダが昼を食べる。今日は話し合いのため、セシルとリタも夕食へ招いていた。
採用されるかどうかとは関係なく、食べる席は五人分要る。
エッダの車輪付き椅子が角を回る幅。レオルが肩と呼吸で匙保持具を使うための器の高さ。セシルとリタの椅子を置いても、炉までの通路を塞がない長さ。
いまの卓では、どれか一つが足りなかった。
「板を足します」
ミレーネは点火前に、卓と通路を測った。
「食卓の普請から始めるのか」
戸口に、作業着姿のレオルが立っていた。今日の仕事札は、正式工房員となった彼の作業台へ、昨夜から載っている。
レオルの食事位置は、交際の褒美で作るものではない。工房で働くようになってから使ってきた、器止めのある場所を、そのまま残す。
「五人で食べるなら、仕事です」
ミレーネが答えると、レオルは卓と車輪の通路を見比べた。
「俺の側は、あと半寸低いほうが見やすい。器は中央より縁寄りだ」
レオルは立つ位置と視線で場所を示した。ミレーネは木片を仮に置き、目の高さを確かめた。
そのとき、エッダが台帳を膝へ載せて入ってきた。
ミレーネは採寸具を置いた。
「先に、報告があります」
レオルと付き合うことにした、と短く伝える。レオルも「そういうことだ」と付け足した。
エッダは笑いも、ため息も見せなかった。新しい雇用契約の頁を開く。
「祝いは、仕事の確認が済んでからだ」
給金、評価、休養日、現場の指揮、異議の出し方。恋人になったことを理由に、どれも変えない。仕事中はミレーネが工房主で、レオルは正式工房員兼救助担当だ。
「仕事で揉めたとき、昨夜の話を持ち出さない。私生活の返事を、勤務評価にも入れない。それでいいね」
「はい」
「それを望んでいる」
レオルも答えた。
エッダは確認日を記し、話を閉じた。
三人で卓へ継ぎ板を足した。ミレーネが板を切り、エッダが車輪の通る幅を実際に確かめる。レオルは通路から、器と椅子の位置を読み上げた。
一度目は、継ぎ板を支える脚がエッダの右車輪へ当たった。脚を一寸内側へ移し、横からの力で卓が揺れないよう、反対側へ短い横木を渡す。
二度目は、車輪が無理なく角を回れた。
昼前、セシルが点検帳を持って来た。
「相談したいことがあります」
橋の救助以降、装具の相談は増えていた。道具を作るだけでなく、身体の状態と使い方を継続して見る者が必要になっている。
「私は、適合と訓練を仕事にしたいです」
セシル自身の申し出だった。
ミレーネは役割を確認した。触れる前の許可、装着部の状態、痛み、可動、訓練条件の確認。装具の適合訓練と、休養・中止の記録。
「身体の状態だけで、その人の望みを決めないこと。受注の順も、製作できるかどうかも、一人では決めません」
「はい。どこまで続けられるかは、本人にも聞きます」
有給の適合訓練士とし、勤務時間、給金、休養日、記録責任を契約へ入れた。無償の手伝いにはしない。工房主でも、共同経営者でもない。
署名を前にしたセシルの指先が、わずかに震えた。彼女は一度呼吸を整え、契約の項目を声に出して読み直す。震えを隠すためでも、克服したと示すためでもなく、いつものように手順を一つずつ確かめた。
二通へ署名し、一通をセシルが受け取った。
午後、リタが箒を持って来た。
弁償の雑用は、残り一刻。無断で金属片を取ろうとした日から今日まで、冷えた廃部品の分類、床掃除、札運びを、共同炊事場の仕事を妨げない日に続けてきた。
エッダの帳面には、五刻分の日付、作業、終了時刻が残っている。
リタは最後の床を掃き、分類札を棚へ戻した。鐘が鳴ると、エッダが完了時刻を書き、本人へ頁を見せる。
「合計六刻。残りも、追加の弁償もなし。これで終わりだ」
リタは自分の名の横へ印を付けた。箒を戻してから、ミレーネへ向き直る。
「あたし、見習いの試験を受けたい。償いが済んだから置いてくれ、じゃない。ここで道具を作ることを覚えたい」
完了した弁償と、採用は別だった。
ミレーネは炉の火を落とし、冷えた材料だけを試験台へ置いた。
普通鉄、鍋修理に使う鉄、由来の分からない混合金属。リタは普通鉄を当てたが、鍋用の鉄を、刃物へ使う硬い鋼だと取り違えた。
混合金属は持ち上げる前に札を読み、「これは分からない。勝手に火へ入れない」と別の箱へ残した。
次は、安全な配置だった。
リタは冷えた火箸と鑢を並べたが、火箸の柄が退避路の線へ半分出た。レオルが「火が入っていたら、どちらへ逃げる」と尋ねると、リタは足元を見て、自分で火箸を内側へ移した。
最後は、セシルが模擬の利用者になった。
「立ったまま料理をすると、脚が痛む人です」
リタは椅子も義足も、先に選ばなかった。
「何がしたいの。どの動きで一番困る。立たずにやりたいのか、途中だけ座りたいのか」
腕の届く位置を測る前には、「肩に触っていい」と尋ねた。
材料の判別は未熟だった。退避路も一度塞いだ。けれど、分からない物を隠さず、道具より先に使う人へ質問した。
「合格です。ただし、今日から職人ではありません」
ミレーネは言った。
熱作業、刃物、重量物は、許可と監督なしに扱わせない。共同炊事場の仕事と学ぶ時間を両立させ、七日に一日は休む。見習いの給金、訓練時間、中止条件も書面へ入れた。
リタは条件を聞き終えてから、うなずいた。
「分かった、親方」
レオルには「レオルさん」と呼び、エッダから最初の仕事札を受け取った。
夜、継いだ卓へ五人が座った。
エッダの車輪付き椅子は、脚へ当たらず角を回れる。セシルとリタの椅子を置いても、炉までの道は空いていた。
レオルの席は、最初からミレーネの隣にあった。器止めと、匙保持具で届く位置も、以前から使ってきたままだ。恋人になったから加えた席ではなく、そこにいる人の席だった。
食卓の話は、二人の恋だけにはならなかった。
エッダは仕入れ値を読み上げ、セシルは翌日の訓練順を相談する。リタは間違えた鉄の見分け方を尋ね、レオルは救助連絡帳の置き場所を決めた。
ミレーネは、少し歪んだ継ぎ板の縁をなでた。
五人とも、違う仕事をしている。誰か一人の善意や、二人の恋にぶら下がった席ではない。
レオルがミレーネの名を呼び、明日の仕事札を読み上げる。ミレーネが答える。それだけのやり取りが、今夜は少し温かかった。
片付けの途中、リタが祖父の古い棚の前で足を止めた。
「親方。これだけ、鍵穴の形が違う」
指を入れず、少し離れたところから示す。
並んだ棚の鍵穴は、どれも同じ細長い形だった。一つだけ、上部に浅い切込みが二つある。
祖父が付け替えたのか、最初から別なのかは分からない。
ミレーネは鏨も鍵束も取らなかった。灯りを近づけ、棚の位置と、見える鍵穴の形を紙へ描く。
「調べるまで、開けません。触れないよう、札を付けます」
エッダが「未確認・開封禁止」と書いた札を、棚の隣へ置いた。鍵穴や扉へは貼らない。
何が収められているのか。鍵が残っているのか。それも、まだ分からなかった。
五人分の器を洗い、明朝の火の支度を終える。それぞれが帰路についたあとも、継いだ卓には五つの場所が残っていた。




