第16話 壊した者は修理の癖を知らない
朝、工房の外掛け錠が、留め金ごと歪んでいた。
ミレーネが扉をわずかに押すと、内側の閂も外されている。隙間から見えた床には、試作品と部品が散っていた。
拾おうとして伸びた手を、途中で止める。
「触らない」
自分へ言い聞かせ、それから後ろの二人へ向き直った。
「誰も入らないでください。片付けもしません」
レオルも敷居の外から、中を見渡した。
「見える範囲に、人はいない。奥は死角だ」
ミレーネは扉をそれ以上開かなかった。呼びかけても返事はない。外壁を回り、窓から確認できる範囲を見たが、動く影も、負傷した者もなかった。
「警備隊へ届けます」
エッダは車輪付き作業椅子を、敷居の手前へ止めた。
「来るまでに、外から分かることだけ書くよ」
昨日の配置帳を開く。
匙保持具の試作二号は、作業台から床へ落ちている。扉用鉤の調整片は踏み潰され、救助鉤の補助環は二つに割れていた。
どれも、まだ使用者へ引き渡していない試作品だった。
材料棚の高価な魔導金属は残っている。現金箱も閉じたまま。輪一と連結片を収めた別箱は、棚から下ろされ、蓋が開いていた。
エッダは品名、仮番号、昨日の位置、いま見える位置を順に書く。ミレーネは物を動かさず、目で答えた。
半刻ほどで、辺境警備隊が来た。
先頭の女は、淡い金髪を短くまとめ、飾りのない実用制服を着ている。
「隊長のラウラ・フェインです」
ラウラは壊れた錠を見たあと、レオルへ目を向けた。
「団長――」
戸口の規則札が目に入り、言い直す。
「アシュベル氏。負傷者は」
「いない。壊されたのは、引渡し前の試作品だ」
ラウラは隊士へ侵入者が残っていないか確認させた。安全を確かめてから、現場の配置を図へ写させる。
入口、錠前、床全体、壊れた品を、まだ動かしていない状態で順に描かせた。位置図へ番号を振り、破片ごとに採取者と時刻を書く。
破片を封印袋へ入れるたび、工房の配置帳にも同じ番号を残す。警備隊の受領控えは、ミレーネへ一通渡された。
報せを受けたダリオが着いたのは、配置図と位置記録が終わったあとだった。
正式な職員ではない。前日に輪の線を照合した協力者として、ラウラが立会いを認めた。触れる品と順番を決め、右手には薄い布を巻く。誰が何時に扱ったかも記録した。
ダリオは、開けられた試作品を一つずつ見た。
「これは、修理のために開けた順ではない」
扉用鉤の試作を指す。
「直す者なら、先に横の留め釘を抜く。そうすれば覆いを傷つけず、内側を見られる。侵入者は覆いをこじり、見えた部品が違うと分かってから、留め釘ごと潰している」
匙保持具も、連結棒の覆いだけが先に剥がされていた。調整に使う革帯や、再利用できる小ねじは踏まれている。
「修理する者は、次に使う部品を残す。壊した者は、その癖を知らない。中を見ることだけが目的だったように見える」
「何を探していたか、分かりますか」
ミレーネはダリオの正面から尋ねた。
「細い輪か、その内側の線だろう。だが、誰が探したかは分からない」
ダリオは可能性と、分からないことを分けた。
歪んだ錠前には、二重の噛み跡が残っていた。隊士が幅、深さ、入った角度を測る。
「工具の痕です。同じ幅が二度、ずれて入っています」
ラウラは正式な被害届へ、観察事実として記した。
翌日、照合結果を持って再び工房を訪れた。
警備隊が保有する正規工具の実測値と、公開されている軍需倉庫用工具の規格表。その二つを錠前の痕へ重ねていた。
「幅、二重の顎、開く角度が重なります。軍需倉庫規格と同じ工具である可能性が高い」
ラウラは、そこで言葉を切った。
「ただし、同規格品は倉庫外へも流れています。転用品や盗品もある。工具痕だけで、使用者や所属は決められません」
ハーゲンは工房の記録を接収しようとした。その側にいる者への疑いは生じる。
だが、疑いは証拠ではない。
正式届けには、錠前の寸法、二つの照合資料、同規格品が流出している事実までを書いた。ハーゲンや部下の名は、犯人として記さなかった。
工房の裏には、雨で薄れた足跡が続いていた。
「追えば、街道までは方向を拾えるかもしれない」
レオルは足跡を見たあと、首を振った。
「だが、俺一人では追わない。いまの身体で夜道へ出ても、戻れなくなるだけだ」
昔の部下へ命じることも、単独で追うこともしなかった。
「正式受注した仕事、空けてある緊急枠、顧客記録、原本、残った器具を先に守る。入口の仮錠と、記録の移動先を決めたい」
ミレーネは、壊された試作品へ目を戻した。
記録が終わったなら、今夜ですべて直せる。徹夜すれば、予定を遅らせずに済む。
槌へ手を伸ばす。
「およし」
エッダが、先に仕事札を取り上げた。
「顧客への連絡と在庫照合は、あたしがやる。回答日が変わる人には、今日中に知らせる」
「安全確保と、残った仕事の順は俺が整理する」
レオルが続けた。
「原本と契約書は別の保管場所へ移す。運ぶのは、手を貸してくれる村人を正式に頼む」
「破壊順と図面写しの確認は、私が手伝おう」
ダリオは協力の範囲を言った。
「ただし、私は職員ではない。照合した時間は別に記録してくれ」
「ミレーネは、今日必要な代替だけだ」
エッダが言う。
共同炊事場の鍋に使う添え金と、訓練予定の匙保持具。その二つへ必要な部品だけを選んだ。
残りは翌日以降へ回す。ミレーネは槌を置き直し、三人へ仕事札を渡した。
全部を一人で抱えず、任せた仕事の結果を待つ。それは、道具を作るより落ち着かない作業だった。
破片は修理に混ぜず、封印袋へ残した。配置図、位置記録、図面写しにも、同じ番号を付けた。
警備隊が預かる封印袋と、工房に残す配置図の控えの番号を相互に記した。封を切る場合は日時、理由、立会人を双方の帳面へ残す。破片を代替材料へ戻すのは、検分が終わったという書面を受け取ったあとにした。
壊れた錠の代わりには、村の大工が仮の横木を渡した。夜間は警備隊が巡回し、開閉時刻をエッダの帳面へ書く。追跡ではなく、次の侵入を防ぐ手順だった。
欠品の照合が終わったのは、翌朝だった。
「高価な金属は全部ある。現金も、輪二から輪五も残っている」
エッダが配置帳へ印を付ける。
制作帳に挟んだ薄紙の写しも無事だった。
空なのは、別箱の一枠だけだった。
前日に内側の線を写した、輪一と王国規格の連結片。
盗まれたのは、金目の物ではなかった。
「一致一本、意味不明」と記録した、あの二つだけが消えていた。




