第15話 敵国の職人
男が仮滞在証を出したとき、受付の脇にいた村人が息を呑んだ。
「ガルディアの印だ」
男は左前腕を失っていた。残っている左肘の下は短く、右手で証書をエッダへ差し出している。
三十代半ばに見えた。話す相手の正面か、少し左側へ位置を変える。右耳が聞こえにくいのだと、本人から先に説明した。
エッダは仮滞在証の監査印、有効期限、記載された名を順に確かめる。
「ダリオ・ベルクです」
男は名乗った。
「左前腕の調整具について、相談したい」
「帝国の人間へ、工房を使わせるのか」
村人が受付台へ一歩近づいた。
「俺の兄は、ガルディアとの戦で帰らなかった。帝国の魔導具に焼かれたと聞いた。そいつも、同じ物を作っていたかもしれない」
工房の空気が張り詰める。
ダリオは反論しなかった。仮滞在証を取り返そうともせず、エッダの確認が終わるのを待っている。
この村にも、戦争で家族や家、生業を失った者がいる。恐れる理由を、偏見という一語で消すことはできなかった。
「兄さんが帰らなかったことも、帝国の技術を怖いと思うことも、なかったことにはしません」
ミレーネは村人へ言った。
「ただ、継火工房では、国籍だけで依頼を断りません。何をしたいか、安全に使えるか、本人が選んでいるか、代金をどう払うか。同じ手順で確かめます」
戸口の規則札の下へ、注文手順を書いた紙を掲げた。
「武器は作りません。それも、どこの国の人でも同じです。信じろとは言いません。手順と記録を見て、判断してください」
ミレーネはダリオの正面へ立った。
「まず、何をしたいんですか」
「修理する魔導具の、小さな部品を固定したい」
ダリオは左肘をゆっくり曲げた。
「いまは右手だけで部品と工具を持ち替えている。左の前腕残端へ当てを付け、低い作業台で部品を挟めれば、右手を調整へ使える」
戦うためではなく、仕事で部品を固定する道具だった。
「左肘と装着部へ触れます。可動と、当てられる位置を見てもいいですか」
許可を得てから、肘の曲がる範囲、皮膚の硬い場所、圧を避ける場所を確かめる。触れる場所を変えるたび、もう一度伝えた。
「緊急枠ではありません。通常の相談順になります」
「承知している」
「支払いは、どうしますか」
ダリオは手持ちと修理仕事の収入を分けて説明した。
「見積もりの一部は先に払える。残りは三回に分けたい」
エッダが分割希望の欄へ記す。
「まず希望票だ。製作条件と見積もりを出し、あんたが同意してから正式受注になる。帝国人だから後へ回しもしないし、知識があるから前へ出しもしないよ」
村人は、まだダリオを見ていた。
レオルが、帳簿台のそばから口を開いた。
「俺は契約補助員だ。昔の階級で、受け入れろとも追い出せとも命じない」
元団長の名を、判断の代わりには使わなかった。
「俺は記録照合へ参加する。疑問は、事実と手順で確かめる。信じるかどうかは、あんたが決めればいい」
村人は、すぐにはうなずかなかった。
「俺は、まだ信用しない」
「それで構いません」
ミレーネが答えた。
村人は注文手順の紙を一度読み、工房を出ていった。
相談を終えたダリオの視線が、作業台の端で止まった。
リタが弁償の雑用中に見つけた、五つの輪が並んでいる。見つかった廃部品の山ごとに札を付け、エッダが仮番号を振っていた。
輪一から輪五。太さと内側の細い溝は同じだが、傷と欠け方は違う。
「それを、どこで」
ダリオは右手を伸ばしかけ、台へ触れる前に止めた。
「見てもいいだろうか」
「持つのは、記録を取ってからにします」
ミレーネは五つの位置を帳面へ写し、エッダが発見場所と個数を読み上げる。無傷の四つは動かさず、すでに割れている輪一だけを布の上へ移した。
ダリオは輪一を右手で持ち、光へ向けた。内側の溝を見るため、聞きたいことがあるときはミレーネが正面へ回る。
「断定はできない」
ダリオは慎重に言った。
「この二本の分岐は、帝国式の命令術式で見た導線配置に似ている。だが、私は研究記録を王国へ持ってきていない。記憶との比較にすぎない」
「似ているのは、どの線ですか」
分かったふりで、命令術式という名だけを受け取らない。
ミレーネは輪一へ薄紙を当て、見えている溝を写した。ダリオに、似ている線を指してもらう。違う線は別の印にし、割れた先の見えない部分は空白で残す。
レオルは台の反対側から、輪二から輪五を目で追った。
「輪三にも、同じ位置で二本へ分かれる溝がある。輪四は傷で見えない」
触らず、番号と見える範囲を読み上げる。それがいま担当できる照合作業だった。
「なぜ、その配置を覚えているんですか」
ミレーネが尋ねると、ダリオはしばらく輪一を見た。
「帝国で、軍用義肢の研究をさせられた。技師を集める命令があり、断れなかった」
それだけを答えた。
故国のすべてを悪だとは言わず、自分の被害を信用の代金にもしなかった。
「今回の照合には協力する。ただし、私の調整具とは別に記録してほしい。これを話したから、注文を早めてほしいとは言わない」
エッダは技術照合の協力欄を新しく作り、装具の見積もりと混ぜなかった。
ダリオは正式な職員でも、万能な解説役でもない。この五つについて、記憶と線を照らす協力者になっただけだった。
輪一には、割れた外枠の一部が残っていた。外枠の刻印を洗うと、王国の軍需部品規格と同じ印が現れる。
エッダが刻印、傷、輪一との接続位置を記録する。
同じ廃部品の山には、その外枠と径の合う連結片もあった。王国規格印があり、端からすでに裂けている。
「これなら、既存の割れ目から内側を確認できます」
ミレーネは連結片を別番号にし、分解前の形を帳面へ描いた。無傷の部品は開けず、裂け目を広げない範囲で薄い覆いだけを外す。
奥に、細い線が一本あった。
輪一から写した、帝国式に似るとされた分岐。その片側と、位置も曲がり方も重なっている。
ダリオとレオルが別々に位置を読み、ミレーネが二枚目の薄紙へ写した。
同じなのは、一本だけだった。
薄紙の写しは二通作った。ダリオは「記憶にもとづく類似所見であり、用途の断定ではない」と書いて署名し、レオルとエッダも、確認した線と番号だけを立会欄へ残した。一通は輪一と連結片の箱へ、もう一通は制作帳へ分けて保管した。
記録を増やしても、一本の一致が二本になるわけではない。確かなことの数を、水増ししないための保管だった。
部品が帝国製なのか。王国で同じ線を使ったのか。何の命令を通すのか。どうすれば動くのか。中央の誰かが知っているのか。
どれも、分からない。
ミレーネは「一致一本、意味不明」と記した。
王国規格の印の奥に、帝国式と同じ配置の線が一本だけ走っていた。




