第14話 注文が百件来た日
翌朝、工房の扉を開けると、列はまだそこにあった。
昨日、注文希望票を書いた者たちだった。杖をつく者、片方の袖を留めた者、赤子を抱いた者。九十を越える票が、エッダの帳簿台へ積まれている。
ミレーネは、並んだ顔を見た。
したいことも、困っている動作も、一人ずつ違う。その全部へ、いま答えなければならない気がした。
「作ります。全部――」
「およし」
エッダの声が割って入った。
車輪付き作業椅子を進め、ミレーネと列の間へ止まる。
「これは注文希望票だ。正式な注文じゃない。九十件を越えている。あんた一人で、今日から全部作れるのかい」
作れない。
それでも、待ってくださいと言うことが、ここまで来た人を見捨てることのように思えた。
「望みを書いてもらったのに、断るのは」
「待ってもらうのと、見捨てるのは違う」
レオルが言った。
右上腕にはまだ機能装具がなく、保護の当てと簡易固定具だけを付けている。
「全部引き受けて、半分も守れないほうが、見捨てることになる。一件ずつ、守れる約束をしたほうがいい」
「作れるかもしれないのに、後へ回す人が出ます」
「それでも、いつ返事をするかを伝えられる。返事もせず、完成もしない約束よりましだ」
ミレーネは、列と自分の両手を見比べた。
手が足りないのではない。この工房で、鍛冶の製作判断を担う職人が、いまは自分一人なのだ。
「決まりを作ります」
エッダが、待っていたように新しい用紙を広げた。
「受付、支払い、納期、緊急度。四つを別の欄にする」
エッダは線を引きながら、列へも聞こえる声で説明した。
「見た目や昔の階級で、緊急かどうかを決めない。飯が食べられない。厠が使えない。家の中で転ぶ危険がある。期限までに働けなければ、生業を失う。本人が困っている機能と、待てる期限を聞く」
ミレーネは、制作欄を加えた。必要な材料、安全に作れる構造、試作の回数、いまの工房で作れるか。
「同時に進める正式受注は、八件までにします」
口に出すと、少なさが胸へ刺さった。それでも、炉と職人の数から守れる上限だった。
「そのうち二枠は、緊急の相談のために空けます」
緊急枠も、声の大きい者から入れるのではない。本人が待てる期限を聞き、四つの役割で確かめたうえで決める。使わなかった枠を、一般の注文で先に埋めないことも書いた。
「希望票は順番待ちだ。見積もりを示し、本人が条件へ同意した時点で正式受注にする」
エッダが支払い欄へ書く。
「有償が原則。一括が難しければ分割払い。金で払えない場合は、期限と仕事を決めた労働交換契約を個別に作る。善意だけで材料を減らさない」
「適合確認と、使い方の訓練にも時間が要ります」
セシルは、工房の職員としてではなく、治療と適合の協力者として帳簿台へ加わった。
「その時間も、見積もりの前に説明してください。渡したあとで訓練費を足してはいけません」
セシルは最初の相談者へ向き直った。右脚に古い傷があり、長く立てないという男だった。
「痛む場所と、いま続けられる動きを尋ねます。服の上から膝の位置へ触れてもいいですか」
許可を得てから、座る、立つ、三歩進む動作を一つずつ確かめる。途中で痛みが増すと、そこで止めた。
「訓練で増やせる動きと、道具で支える動きは分けます。ただし、私一人で順番は決めません」
ミレーネは製作難度、安全、材料を見る。エッダは受付、見積もり、支払い、納期。セシルは装着部、痛み、可動、訓練の条件。レオルは希望の用途を読み上げ、約束できる数を整理する。
四人の職員になったのではない。立場の違う四つの役割が、同じ一件を別々に確かめる形になった。
エッダは、相談番号と次に返事をする日を書いた控えを、一人ずつへ渡した。
不満を口にする者もいた。だが、待つ期限と、緊急枠の条件を聞くと、多くは控えを持って列を離れた。
待ってもらうことと、忘れることは違う。日付と番号が、その違いを形にしていた。
昼を過ぎた頃、工房の裏手で金属のぶつかる音がした。
ミレーネが回り込むと、廃部品の箱のそばに小柄な子どもがいた。十四歳ほどで、短い赤褐色の髪をしている。
右手に、薄い金属片を握っていた。
「待ちなさい」
子どもが裏口へ走る。レオルが腕で捕まえる代わりに、身体を戸口へ入れて道を塞いだ。
「取ってない。まだ外へ持っていってない」
「まだ、というのは、持っていくつもりだったんですね」
ミレーネは手を伸ばさず、箱を指した。
「まず、そこへ戻してください。それから、何に使うつもりだったか聞きます」
子どもは金属片を握り直したあと、箱へ戻した。
「共同炊事場の鍋。底が割れて、みんなの飯が煮られない。あたしが、これを当てて直そうとした」
「炊事場の担当は」
「マルタばあさん」
名前だけで決めず、エッダが近くにいた村人へマルタを呼びに行かせた。
子どもはリタと名乗った。待つ間、逃げずに箱の前へ立っていた。
やがて、マルタが大鍋を荷車へ載せて来た。底の継ぎ目が裂け、外から煤が入り込んでいる。
「昨夜から使えないよ」
マルタは鍋を示した。
「この子が直すと言ったのは本当だ。でも、工房から持ってこいとは言ってない」
理由は確かめられた。盗みの許可は、誰もしていなかった。
ミレーネは、リタが取ろうとした金属片と鍋底を見比べた。厚さが足りず、由来の分からない混合金属で、火へ掛ける鍋には使えない。
「これでは、塞いでもすぐ剥がれます。鍋には、厚さの合う普通の鉄を使います」
「じゃあ、くれるの」
「盗みを、材料の贈り物には変えません」
エッダが箱の部品数を数え直した。金属片は戻り、傷も付いていない。ただ、保管札が外れ、箱を調べ直す手間が生じていた。
「材料そのものの代金は、返したから取らない」
エッダが帳面へ書く。
「だが、無断で保管を崩し、確認の仕事を増やした分は弁償だ。合計六刻。共同炊事場の仕事を妨げない日に、一刻ずつ返してもらう。冷えた廃部品の分類と、床掃除だ」
総時間、実施日、終えた時間、残り時間を、その場で記した。六刻を終えれば、それ以上は働かせない。
「炉、熱い鉄、刃物、重い箱には触れさせません」
ミレーネがマルタへ条件を読み上げる。マルタも、共同炊事場の仕事へ支障が出ない時間だと確認した。
「見習いにするわけではありません。弁償分の雑用だけです」
鍋の修理は、共同炊事場の注文希望票として別に受け付けた。用途は大人数の食事で、今夜も使えない。緊急枠で現物を調べ、材料と工賃の見積もりをマルタへ渡す。支払い方法は、そのあと選んでもらう。
リタへ材料を渡して済ませず、注文、見積もり、修理の順を通すことにした。
初日の雑用は、冷えた廃部品の分類だった。
リタは曲がった留め金、折れた連結棒、輪形の部品を、札の前へ分けていく。
しばらくして、その手が止まった。
「ねえ。これ、同じ変な輪が何個もある」
リタが指した箱には、いびつな金属の輪が五つ並んでいた。
別の廃部品の山から出たのに、輪の太さも、内側を走る細い溝も同じだった。
ミレーネには、何に使う部品か分からなかった。
分かったのは、同じ形の輪が一つではなかったことだけだった。




