第10話 その設計図は国のもの
その男は、炉の火を消せと言った。
工房の扉が外から押し開かれた。役人が二人入り、その後ろから上等な官服の男が続く。四十代の後半。革表紙の綴りと、封印のある書面を抱えていた。
「地方復興物資管理官、ハーゲンだ」
戸口の規則札へ目をやることもなく、工房を見回す。
「炉の火を落としてもらおう。査察中は作業を止める」
ミレーネは熱していた鍬を作業架から外し、耐火煉瓦の上へ置いた。レオルがふいごから足を離す。炭へ灰をかぶせ、火床への風路を閉じた。
橙色が暗い赤へ沈み、やがて黒くなる。それを確かめてから、ミレーネは槌を置いた。
「何の査察ですか」
「これだ」
ハーゲンは封印書面を机へ置いた。表題は査察通知。その下に、戦時軍需帰属法にもとづく保全命令とある。
役人の一人が、差押目録の写しを添えた。
エッダが車輪付き作業椅子で近づく。
「通知の発行者、執行者、異議の期限。三つとも読み上げてもらおうか」
ハーゲンは眉も動かさなかった。
「発行者は地方復興物資管理局。執行責任者は私。異議は受領から三日以内だ」
エッダは受領時刻を控え、役人へ受領印を求めた。通知を受け取った事実だけで、内容を認めた署名ではない。その文言も横へ書かせる。
ハーゲンは革表紙の綴りを開いた。
「戦時軍需帰属法は、軍費で製造された武器、義肢、魔導具、その設計図と調整記録を国家資産と定めている」
頁を一枚めくる。
「当工房は、元軍人の身体へ接続する器具を製作し、採寸記録と設計図を保有している。軍務技術の派生物として、目録記載品を保全する」
差押目録には、設計図、調整帳、採寸記録、完成器具と並んでいた。
役人の一人が、レオルの右上腕に付いた扉用の鉤を指した。
「完成器具、現物一。外して机へ」
レオルの肩が固くなる。
「身体に付けたまま確認してくれ。外す許可はしない」
役人が一歩近づく前に、ミレーネも間へ入った。
「装着中の器具です。本人の許可なく身体へ触れないでください。形と材料を記録するだけなら、離れたままでできます」
「差押対象だぞ」
「それを争うための異議期限が、通知に書かれています。いま外せば、申立て前の実行です」
エッダが、役人の要求とレオルの拒否を時刻つきで帳簿へ記した。
ハーゲンは鉤を見てから、役人へ顎を引いた。
「現状のまま寸法と外観だけ記録しろ」
役人は触れずに鉤の長さと留め方を書き取った。レオルの肩から力が抜けるまで、ミレーネはその場を動かなかった。
「軍費で作ったものではありません」
ミレーネは私費材料の明細を机へ出した。
「鉄も革も燃料石も、工房で買いました。作ったのは匙を持つ道具、扉を開ける鉤、鍬を直す金具です。武器でも、軍用義肢でもありません」
「使用者はアシュベル氏だ」
ハーゲンはレオルへ視線を移した。
「元騎士団長の身体へ接続する技術は、軍務技術の派生物と解される」
「法のどの条文に、使用者が元軍人なら私費の道具も国有になると書いてありますか」
「条文だけの話ではない。戦時の運用と、休戦後も続く慣例だ」
法の文言ではなく、運用と慣例。ミレーネは、その二語を査察通知の余白へ書き留めた。
「エッダ。仕入れ帳と契約原本をお願いします」
エッダが帳簿棚から二冊を取り出した。材料の購入日、仕入れ先、支払額。軍からの支給欄は、最初から最後まで空白だった。
その隣へ、昨日結んだ労働契約を置く。
「材料は全額、工房の私費だ」
エッダが数字を指した。
「レオルが労働で代金を相殺する民間契約もある。軍から入った金も、支給材も、一つもないよ」
ハーゲンは数字を一瞥し、差押目録の原本を開いた。品目ごとに分類番号が振られている。
ミレーネの目が、設計図の欄で止まった。
頭の記号。三つごとの数字の区切り。最後の二桁。
どこかで見た番号ではない。見覚えがあったのは、その並び方だった。
ミレーネは祖父の古い採寸帳を棚から出した。途中の数枚が、刃物で際を揃えて切られている。残った頁の裏には、いまも薄い文字痕が透けていた。
窓から入る光へ頁をかざす。裏から透けた文字を読むため、採寸帳の向きを返す。差押目録を横へ置き、頭の記号から一つずつ追った。
区切りも数字も、最後まで一致した。
ミレーネは一致した箇所を別紙へ写し、エッダにも確認を求めた。
「同じだね。少なくとも、この番号の並びは」
二人で確かめてから、ミレーネはハーゲンへ採寸帳を向けた。手からは離さない。
「この番号は、切り取られた頁の裏に残っています。なぜ、差押目録にあるんですか」
「軍が保有を把握した設計図へ付ける分類番号だ」
ハーゲンの声は変わらなかった。
「あんたの祖父は戦時中、軍の仕事も受けていた。当然、その記録も管理対象になる」
祖父が何を提出したのか。誰が頁を切ったのか。番号が付いた時期も、まだ分からない。
一致した事実だけを記録し、理由までは決めつけない。
ただ、切り取られた頁が、ただの採寸記録ではなかったことは分かった。軍が分類番号を付ける何かが、そこに記されていた。
それでも、胸の内側が冷えていった。祖父の名が残る帳面も、自分が積み上げた設計も、棚ごと持っていかれる光景が浮かぶ。
採寸帳を抱えて奥へ隠したい衝動が動いた。
ミレーネは帳面を閉じず、エッダとレオルの前へ置いた。
「怖いです」
声に出すと、喉が震えた。
「工房の記録を全部持っていかれるのが怖い。この番号が何を示すのかも、私は分かりません」
エッダが、番号を書いた別紙を自分の側へ寄せた。
「分からないなら、分からないと書く。隠すより先に、写しを残すよ」
レオルも採寸帳と差押目録を見比べた。
「俺は契約補助員だ。契約の範囲で、工房の記録確認を手伝う」
英雄の名も、昔の階級も使わなかった。
「エッダ。俺の契約書と、材料明細を並べてくれ」
机に三つの記録が並ぶ。購入記録。労働契約。器具ごとの制作・調整記録。
レオルは右上腕の鉤先を、記録へ触れない位置で止めた。
「どの購入欄が軍費で、どの契約条項が軍務なのか、書面で示してほしい。俺は英雄として道具を受け取ったのではない。代金を返す契約を、自分で選んだ」
ハーゲンは答えを変えなかった。
「身体へ接続する技術そのものが、管理対象だ」
「なら、食事と扉の開閉まで軍務にする根拠を、異議への回答へ書いてください」
ミレーネはレオルの言葉を、異議申立書へ移した。
ハーゲンが手を差し出す。
「原本を提出してもらおう。設計図、調整帳、採寸記録。いま、すべてだ」
「提出後の保全場所は、どこだい」
エッダが通知書を指す。
「原本を預かる責任者、封印方法、返却の条件が書かれていない。受領証の様式もないね」
「管理局で適切に保管する」
「適切、では帳簿にならないよ。誰が何枚受け取り、いつ返すのかを書きな」
ハーゲンは返却条件を示さなかった。
「原本は渡しません」
恐怖は消えていなかった。それでも、ミレーネは一人で判断していなかった。エッダが異議期限を押さえ、レオルが契約と用途を示している。
「異議申立てが受理されるまで、原本は工房で保全します。現在製作分の写しと、材料明細の写しを提出します」
「拒否と記録するが、構わないな」
「原本提出の拒否です。査察そのものを拒んだとは書かないでください」
エッダが横から念を押した。
役人が工房内を確認する間、エッダは材料明細を二通へ写した。ミレーネは現行器具の設計頁へ薄紙を重ね、線と寸法を写し取る。
写しには一枚ずつ番号を振り、すべてに「写し」と記した。祖父の採寸帳と原設計は、提出品へ含めない。
異議申立書には、私費購入、民間用途、使用者本人との有償契約、原本保全の四点を書いた。番号の一致は事実だけを添え、意味は不明とした。
ハーゲンへ渡す前に、エッダが提出品目録を二通作る。役人の一人が受領時刻と枚数を確かめ、片方へ管理局の受領印を押した。
受領印のある一通は、工房へ残った。
ハーゲンは異議申立書を読み終えると、別の通知書を綴りから抜いた。
「原本を渡さず、民間用途だと主張するなら、性能を公開の場で確かめる」
通知書へ日付を書き入れる。
「村人と役人の前で、器具が何に使えるか示してもらう。十日後だ」
「試験項目と、判断の基準は」
ミレーネが尋ねる。
「当日、こちらから示す」
基準を先に渡さず、役に立つかだけを問う。ハーゲンは公開性能試験の通知を机へ置き、扉へ向かった。
「役に立たぬ道具なら不要、役に立つなら国のものだ」




