八年前5
白とも青ともつかない閃光が、容赦なく視界のすべてを焼き潰し、網膜の奥に焼き付くような残像だけを残していく。
一瞬、遅れて────音が消えた。
爆発も、風も、まるで切り取られたかのように途絶え、世界が完全な“無音”へと沈み込む。
そして、その静寂が頂点に達した次の瞬間。
場面が、唐突に切り替わる。
■
遠く、冷たい風が吹き抜けていた。
乾いた大地の上を、砂と灰が細かく舞い上がり、擦れるような音を立てながら流れていく。
見上げれば、どこまでも広がる灰色の空。
厚く垂れ込めた雲が陽光を遮り、世界全体を鈍く沈んだ色へと染め上げている。
その下に広がるのは、砕けた石と、無惨にひしゃげた鉄の残骸。
崩れ落ちた建物の壁。
焼け焦げ、骨組みだけを晒した構造物。
弾痕によって抉られた地面。
それらすべてが重なり合い、この場所が紛れもなく戦場であることを、言葉よりも雄弁に物語っていた。
鼻を刺すのは、焦げた土の匂い。
そして、それに混じる、血の匂い。
鉄を舐めたような、生暖かく、どこまでもまとわりつく臭気。
その中心に、一人の青年が立っていた。
年の頃は、十代後半から二十に届くかどうか。
まだ若が、その立ち姿には、年齢と釣り合わない静けさがあった。
嵐の中に立ちながら、そこだけが切り離されたかのような、奇妙な安定感。
そして、瞳。
蒼いそれは、透き通るような色でありながら、どこまでも深く、底の見えない冷たさを宿している。
感情がないわけではない。
だが、その感情はどこか遠くにあり、目の前の現実と噛み合っていない。
青年───フリードリヒは、ゆっくりと自分の手を見下ろしていた。
指先に残る、わずかな震え。
その震えが、自分のものなのかどうかさえ、確信が持てないような曖昧さ。
その手に握られているのは、一振りの剣。
装飾を一切排した、実用一辺倒の無骨な造り。
戦うためだけに存在する、無機質な鉄の塊。
だが、その刃には黒ずんだ血が、べったりとこびりついていた。
乾ききってはいない。
まだ湿り気を帯び、光を鈍く反射している。
ほんの少し前まで、それが“生きていた”証。
視線が、ゆっくりと足元へ落ちていく。
そこに横たわっているのは、一人の兵士。
敵国の軍服。
見慣れぬ徽章。
裂けた胸元からは、深い傷が覗き、その奥にあるはずの命はすでに失われている。
流れ出た血が地面に広がり、乾いた土を黒く染めていた。
もう動かない。
もう、声も上げない。
ただそこにあるだけの物体。
フリードリヒは、その姿をじっと見つめていた。
瞬きすら忘れたように。
わずかに、喉が上下する。
息を吸う。
そして吐く。
だが、その呼吸はどこか現実と噛み合っていない。身体はここにあるのに、意識だけが少し離れているような感覚。
「もう、終わりか?随分と呆気ないものだな。俺はまだまだ、足りないというのに」
ぽつりと、言葉が零れた。
小さく、低く、押し殺した声。
誰に聞かせるでもない、ただ自分の内側に落とすためだけの言葉。
だが、その奥には確かな焦燥があった。
「こんな程度じゃ・・・届かない」
ぎし、と剣の柄を握る手に力がこもる。
革の感触が歪み、血で滑る感触が指にまとわりつく。
それでも、握りを緩めない。
(違う)
胸の奥で、何かが強く否定する。
(俺が望むのはこんなものじゃない)
目の前には、確かな結果がある。
人を斬り、倒したという現実。
それでも、その現実に意味を見出せない。
(もっと・・・もっと、別の何かだ)
何を求めているのか。
何に焦っているのか。
自分でも分からない。
それでも、足りないという感覚だけが、異様なほどはっきりと残り続けている。
その時。
背後から、声がかかった。
「あー!ここにいたのね?フリッツ」
高く、よく通る声。
青年は振り向かない。
ただ、視線だけがわずかに揺れる。
「また一人で前に出たのね」
足音が近づいてくる。
装備の擦れる音。
呼吸を整えようとする気配。
「王様に勝手な行動は慎めと言われているのに。今の貴方は、まだ───」
言葉が、途中で止まる。
視線が、フリードリヒの足元へと落ちたからだ。
倒れている兵士。
一撃で断ち切られた致命傷。
無駄のない結果だけが、そこにある。
沈黙。
短いが、重い沈黙。
やがて、少女・・・と思われる人物は小さく息を吐いた。
「・・・・やったのね」
確かめるような声。
責めるでも、賞賛するでもない。
ただ事実を受け止めるための問い。
フリードリヒは、ゆっくりと振り返る。
その顔に浮かぶのは、誇りではない。
達成感でもない。
ただ、起きたことを理解しているだけの表情。
「ああ」
短く答える。
それだけ。
だが、次に続く言葉には、わずかな苛立ちが滲んでいた。
「だが・・・弱い」
はっきりと、言い切る。
足元の兵士へと、再び視線を落とす。
まるで対象を評価するかのように。
「こんなものでは、満たされない」
小さく、首を振る。
「俺が求めるのはもっと別にある」
言葉は曖昧だ。
だが、その曖昧さの中にだけ、奇妙な確信がある。
自分でも理解していない何かを、確かに求めている。
大人は眉をひそめる。
理解が追いつかない、という表情。
「・・・何を言っているの?戦果ならばもう充分でしょ。だって、此度の戦争はあなた一人で勝ったようなものなのだから」
フリードリヒは答えない。
代わりに、ゆっくりと空を見上げる。
灰色の雲が重く垂れ込め、すべてを覆い隠している。
その向こうに──────
何かがいる気がした。
見えるわけではない。
確証もない。
それでも、確かにいると感じる。
胸の奥がざわつく。
心臓の鼓動が、わずかに速くなる。
「奇妙なものだな」
小さく、吐き捨てる。
「この感じ・・・・・・・・・嫌いではない、が」
そう、不快とも違い、恐怖とも違う。
だが、確実に無視できない。
何かに“見られている”ような。
あるいは、自分が“そこへ向かっている”ような。
風が吹く。
外套が大きく揺れる。
その影が地面に伸び、ゆらゆらと歪む。
その背に、”王”の風格はまだない。
未熟で、粗く、完成には程遠い。
だが、いずれ王となる者の重さだけが、確かにそこにあった。




