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2/22

八年前1

さて、これより始まるのは、とある少年の物語だ。


誰よりも強く正義に憧れ、その理想ゆえに突きつけられた現実と、突如として降りかかった不幸によって人生を狂わされた、一人の少年の物語。


少年は、ただひたすらに純粋だった。


それはまるで、何色にも染まり得る真っ白なキャンバスのように。


正義にも、悪にもなりうるその心に、最初の色を塗ったのは誰か。


世界で活躍するスポーツ選手か。


お茶の間を賑わすエセ評論家か。


あるいは、祖国のため世界を相手取る戦創師か。


最後の例は少し近い。だが、そんなものじゃない。もっと異質で、架空なる存在。


少年が憧れたのは、アメリカの古い映画に登場する蜘蛛の糸を操った覆面全身タイツの異質なヒーロー。私生活を犠牲にしてでも、人助けに奔走する彼の姿に心を奪われたあの日から、少年は自分の将来像に彼を重ねるようになった。


それは至って普通で年相応の少年らしい夢。


この世の醜悪をまだ知らない少年の瞳はどこまでも澄み切っており、単純でありながらも、果てしなく遠く険しい道を走破した先にあると信じた理想に心を燃やす。


ただ同年代の少年少女と違うのは、それが一時で冷める熱病では決してなく。この命の灯火が燃え続ける限り、憧れは心の奥底で輝きを放ち続けて少年を突き動かす。


この少年の名を新道 優心(しんどう ゆうしん)という。


父・(まこと)と母・優奈(ゆうな)との間に生まれ、四つ上には彼を溺愛する姉の優莉(ゆうり)がいる。


そして今日。西暦二〇七〇年七月七日。


織姫と彦星が待ちわびる年に一度の逢瀬の日は、優心が八歳となる誕生日でもあった。


彼が思い描くヒーローとは、人間がいかなる科学技術を己の肉体に施そうと到達できぬ、超人の領域に立つ者。


常識を逸した力なくして、ヒーローにはなれない。


その程度の事実は、どんな子供でも弁えている。


だが――この地球(ほし)には、その力が存在した。


そう、コスモがあるのだ。


現代においてそれは戦争に用いられる力。だが同時に、優心にとって夢を叶える希望でもあった。


しかし現実は無情である。


時は流れ、コスモ発症の兆しすら現れぬまま、彼は八歳になった。


物欲に乏しい優心が、ただ一つ欲してやまぬもの。


それがコスモ。


ヒーローを志す少年にとって、正義を体現するための力。


人の存在を超えて、世界の人々に手を差し伸べる存在を志しておきながら、彼は理想に至るまでの階段の一段目すら踏む資格を持たない。


馬鹿にしてくるガキ大将がいた。


半笑いであしらう教師もいた。


が、それでも応援してくれる父と母、そして姉がいた。


だから優心は信じ続けた。


いつの日か自分にもコスモが宿ってくれる、と。


そしてヒーローを志して四度目の誕生日となるこの日。


午前中までの晴天が嘘のように、外では雷鳴が轟き、激しい雨風が窓を叩いていた。織姫と彦星の感動の再会を阻む空気の読めない豪雨と、断続的に閃く稲妻が街の人々を不安にさせるが、新道家では外の様子など何処吹く風で開催される誕生日会はいよいよクライマックスを迎えていた。


「優ちゃん、お誕生日おめでとう!」


薄暗くしたリビングに、両親の手拍子。優莉が満面の笑みでケーキを運び、そっと卓上へ置く。


現在時刻、午後十九時六分。


優心が生まれたのは十九時七分。


あと数十秒で、彼は八歳になる。


「─────ハッピーバースデイ トゥ ユー!優ちゃん、生まれてきてくれてありがとう!これからもお姉ちゃんとずっと一緒にいようね!」


優莉が歌う誕生日の歌を聞き終えた優心は、コスモが宿るよう願いを込め、蝋燭の火に息を吹きかける。


それは織姫・彦星に、ではなく。神様に届くように、と。


しかしこの時の優心は知らなかった。


思わぬ形で”神”と遭遇することを。


日本人が信仰する(かみ)とは異なる”支配者(かみ)”は、優心の望む力を与えるどころか、一夜にして彼の大切なもの全てを奪っていくことを。


優心が蝋燭を消し、時計の針が生誕の刻を指した、その瞬間。


荒れ狂う空がより一層狂い出し、悲劇の始まりを告げる。


程なくして最前の落雷すらも小さなものだったと思えるほどの狂おしくも凄まじい音がこの町に炸裂した。


雲の上では、輝きを放つ星をも引き裂くような轟音で落下する焔の目眩く輝きの中、地獄の冒涜を帯びた悪魔の如き声が幾重にも響き渡り、彼の住む神成(かみなり)町が大きく揺れ始めたのであった。


優心の世界が終わる前触れのように。



地震、火災、遠方では河川の氾濫に土砂崩れ。ありとあらゆる災害が、一夜にして同時多発したのだろう。


見慣れた神成町は一変していた。


焼け野原。そこに、かつての日常の面影は欠片もない。


倒壊で舞い上がった砂塵と火災の黒煙を吸い込み、優心は軽く咳き込む。


だが父の咄嗟の判断で机の下へ潜り込まされた姉弟に、目立つ外傷はなかった。不思議なことに、瓦礫は二人を避けるように崩れている。


運が良かったのか。


あるいは父がコスモで何か施したのか。


分からない。


だが少なくとも優心は、これを幸運とは思えなかった。


無事だったのは、二人だけだったから。


我が子を庇った両親は瓦礫の下敷きとなり、息子の誕生日に、この世を去った。


両親の犠牲の上に、自分たちは生かされた。


それは優心にとって、初めて知る現実だった。


救済には、犠牲が伴う。


彼の理想とはあまりにも遠く、犠牲と救済の両立が極めて困難であることを学ぶ出来事となった。


瓦礫の隙間から伸びた力ない腕を、優心は呆然と見つめる。


その前で嗚咽を漏らしているのは、たった一人残された肉親、優莉。


誰より家族を愛していた姉の慟哭は、胸を抉るほど痛かった。


「・・・お姉ちゃん。父さんと母さんは?」


分かっていた。


それでも、聞かずにはいられなかった。


優莉がゆらりと立ち上がる。覚束ない足取りで近寄り、そのまま崩れるように優心へ抱きついた。


「ゆ、優ちゃん、目が覚めたのね。よかった・・・優ちゃんまでいなくなったら、わたしっ!」


優心の体温に縋るように、生命(いのち)の鼓動を直に確かめるように、優莉は弟の胸へ耳を寄せる。


その憔悴ぶりに優心は息を呑んだが、それでも背中をさすった。


「落ち着いて、お姉ちゃん。ゆっくり呼吸して。煙、吸いすぎちゃ駄目だ」


優莉は素直に従い、何度も深呼吸を繰り返す。


やがて震えが少し収まった。


「ありがとう・・・・・もう大丈夫」


ぎこちなく笑う。けれど、その笑顔が壊れそうなことくらい、優心にも分かった。


「パパとママはね・・・遠くへ行っちゃったみたい」


声が震える。


「この真っ暗な世界で、二人きりになっちゃった・・・でも、大丈夫。絶対大丈夫。だって優ちゃんには、お姉ちゃんがいるから」


自分に言い聞かせるような言葉だった。前髪で目元を隠し、唇を噛み、震えを押し殺して。


強くあろうとしている。


だが彼女も、まだ子供だ。耐え切れるはずがない。


「ひぐっ・・・・・・ごめんね・・・お姉ちゃん泣き虫さんだよね?わ、わたしが、しっかりしなきゃなのに・・・・ごめんね、ほんとうにごめっ・・・」


ついに堰が切れた。


優莉は優心の肩へ顔を埋め、泣き崩れる。


「・・・今だけ。これが最後だよ。もう優ちゃんの前では泣かない、だから・・・・・・今だけ、少しの間でいい。弱いお姉ちゃんに肩、貸して?」


地獄の中で、少女は強くあろうとした。


けれど、あまりに痛々しかった。


そして優莉は少しの間、と言ったが、彼女は一向に離れる気配はない。むしろ、身体の密着具合は強まる一方。 それでも優心はその矛盾を指摘するほど鈍感ではないし、優心とて今の姉を離す気は毛頭ない。


「弱くない」


「え?」


今度は優心が、姉を抱きしめる。


不安も恐怖も包み込むように。


「姉ちゃんは弱くない。誰より強い」


幼い目に、覚悟が宿る。


「今まで守ってもらった。だから今度は、俺が守る番だ」


親を失い、家を失い、故郷を失い。それでも心が折れなかったのは、まだ救いが残っていたから。


そう、優莉がいる。


そして逆もまた然り。


優莉にも、自分がいる。


支え合う姉弟の絆はこの世で何よりも強固で、その絆だけは何者にも穢せない。


「父さん、母さん・・・見ててくれ。俺がお姉ちゃんを守る。二人が命懸けで俺たちを守ってくれたみたいに」


誓いだった。


子供のものとは思えぬほど重い、誓い。


「優ちゃん・・・大きくなったね」


優莉の瞳から再び涙が零れる。


だが今度は、悲しみではない。


弟の成長を喜ぶ、ぬくもりを感じる涙。


「そうね・・・パパとママが助けてくれたこの命、絶対に無駄にしたらダメ。なんとしても二人で生きるの!」


優莉は血色の戻った桜色の唇で言った。


その時――


遠くで爆発音。


二人は顔を上げた。


火が回っている。もう時間はない。


「このままじゃ囲まれちゃうね」


「うん、行こう」


そう言って優心は辺りを見渡す。 すると想像以上に火の回りがはやく、新道家から近い、東側と南側の家で火柱が上がっている。 避難経路を選ぶのさえままならない。


優心が姉の手を引こうとした際、彼女は急に悪戯っぽく笑った。


「優ちゃん、まだ泣いてないよね?今度はお姉ちゃんがお胸、貸してあげよっか?」


優心の眉間に皺が寄る。


「・・・いい加減にして」


「え?」


「なんで全部一人で背負おうとするの」


その言葉に優莉が息を呑む。


「俺、そんな頼りない?」


静かな怒り。


寂しさ。


それを見て優莉は俯く。


弟にこれ以上の心配をかけまいとする優莉なりの気遣いではあるが、優心にしてみれば彼女の気遣いは方向性を誤っていた。


これでは、緊急時でも弟は頼りにならないと言っているも同然。弱っている姉にそんな態度を取られて、悔しさを感じない弟が何処にいようか。


「俺はまだ子供だ。頭も悪いし、コスモの才能だって。だからッ!お姉ちゃんが心配するのもわかる。けどさ、自分が辛いのを弟の俺にさえ話してくれずに誤魔化すなら・・・・俺は怒るよ」


そう言って姉を見つめる弟はどこか寂しい目をしていた。


そこでようやく自分の犯した失敗に気づいた優莉は、申し訳なさそうに俯いてしまう。


「ごめ・・・ん」


「違う。責めてるんじゃない」


優心は姉の手を取った。


「助け合いに見返りがいらないの、姉弟の特権だろ。こんな時くらい頼ってよ」


沈黙。


そして。


「・・・・・・ふふ」


優莉が笑った。


「いつもは可愛い反応見せてくれるのに。今日はお姉ちゃん、やられっぱなしだね。これじゃあ、どっちが歳上かわからないね」


目尻に溜まった涙を拭い、両手で優心の手を握る。


「馬鹿だな、お姉ちゃんは。何があっても俺たちは姉弟だし、一個だけかっこ悪いところ見ても、十個かっこいいところを見せてくれるのがお姉ちゃんだ。それに大好きなお姉ちゃんが苦しんでる姿を見るの俺は嫌だよ」


ようやく本当の笑顔。そんな姉をみて胸を撫で下ろす。


だが次の瞬間。彼女は頬を赤くして、くねり始めた。


弟からの”大好き”という言葉。どんな綺麗事よりも心に刺さるこの言葉に優莉は舞い上がったのだ。


「わ、わたしも、優ちゃんのこと愛してるから!お姉ちゃんが間違ってたわ。姉弟なんだから、大変な時こそ二人で協力するべきよね!」


本人以上にはしゃいだ誕生日会よりもテンションが上がっている優莉は、いよいよ弟に抱きつく。


(うーん・・・)


不可思議な姉の言動に、優心は今しがた聞いた姉の台詞が脳内で再生される。


『わ、わたしも、優ちゃんのこと愛してるから!』


優心は”愛してる”とは言っていない。だが、ここでその言葉を否定するのも違うような気がするし、優心は姉のそれを”家族愛”として捉えることにした。


そもそも家族愛以外の感情などあり得ない、はず。


「あ、あれ?」


あとは姉を連れて一刻も早くここを離れるだけ────そう思い、一旦引き剥がそうと肩を押したが、ピクリとも動かない。


「ふふふ、こんな熱烈にアプローチされるなんて!でもでも、わたしたちは血が繋がった姉弟・・・・はっ!これってもしかして、禁断の関係ってやつ!?」


「お姉ちゃん?」


優心にはギリギリ聞き取れず、それでも微妙に良からぬことだと感じさせる独り言。


「パパとママになんて言おうかな?うーん・・・・まぁ、いっか。優ちゃんをどこぞの小娘に渡すより、わたしに任せた方が二人も安心よね!それにこの前ネットで調べたら、一代までなら子供は────────」


「お姉ちゃん、もうそろそろ逃げないとやばいよ!」


わけのわからない自問自答を繰り広げる姉を正気に戻そうと、優心は肩を揺する。


「優ちゃん!」


「な、なにさ?」


「わたしたちの仲を隔てる障害は全部このお姉ちゃんがぶち壊すわ!だから、思う存分ッ!!」


「さっきからずっと何言ってんの!?とにかく火がすぐそこまできてるんだ!むしろ障害だらけだよ!」


被せ気味に捲し立てる。


ほら、と優心が指差す方向に目を向ければ、遂に新道家に火が燃え移り始めていた。


「ほんとだ、早く逃げないと手遅れになっちゃうね。それじゃ、行こっか?姉弟二人でどこまでも!」


「あ、うん。そうだね」


妙な疲労感に襲われた優心は従順に頷くと、あてもなく歩き出す。


こうして二人は生きる選択をした。


姉が手を引く。弟はそれに従い、後をゆく。


瓦礫から伸びた両親の腕が、炎に呑まれ、黒く炭化していく。


二人は何度も振り返り、その光景を焼き付けながら歩いた。

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