転換期
西暦一九九〇年――それはまさしく、人類史の転換期と呼ぶにふさわしい時代であった。
前年、一九八九年十一月。
冷戦の象徴としてドイツを東西に隔てていたベルリンの壁が崩壊し、その翌月にはアメリカとソ連、両超大国の首脳がマルタ島沖に浮かぶ客船上で会談を行った。
およそ四十四年にわたり、世界を二分してきた東西冷戦は、ここにようやく終結へと向かい始めたのである。
時に表舞台で激しく火花を散らし、
時に水面下で静かなる謀略を巡らせながら。
教科書に刻まれる歴史的事件から、一般人の知ることすらない世界の裏側で起きた暗闘に至るまで、数えきれぬ衝突が繰り返されてきた。
それでも人類は、幾度となく核戦争寸前の危機に瀕しながら、その破滅の淵で辛うじて踏みとどまり続けた。
こうして実現に至った冷戦終結であるが、その陰で多くの血が流れ、多大なる犠牲が払われたという事実を忘れてはならない。
平和を叶えるために武器を取り、殺し合うとは、なんとも皮肉めいた話ではないか。
だが、それでこそ人間である。
愚かにも争いを制した先に待つ対価こそが“平和”であると信じて疑わず、幾重にも、幾重にも己の掲げる主義主張を押し通さんと、他者を傷つけながら歴史を紡いできた種族。
かくして一九八九年は、争いに明け暮れた世界において、人も、政治も、思想も、時代そのものも移り変わろうとする節目の年となった。
“暫し”の安寧を稼ぎ出す『全世界泰平講和条約』により、人類は血に汚れた過去との決別を誓い、心機一転で迎える一九九〇年。
長年求め続けた真の平和への道を歩むため。
乱れに乱れた世界の足並みを揃えるため。
各国首脳が奔走する――そんな年になるのではないかと、誰もが期待していた。
しかし、同年七月七日。
世にいう七夕の日。
幸か、不幸か。
太古より定められし運命か、それとも神の気まぐれか。
その日、人類に新たなる劇薬が投下される。
それ、の初観測地となったアメリカへ緊急招集されたのは、誰もが一度はその名を耳にしたことのある各分野の権威たちだった。
彼らは文字通り、三日三晩ほとんど一睡もすることなく議論を重ねた。
そうして、天才と称され育った者たちを悩ませ抜いた末、この未知なる力に与えられた名こそ――
『コズミック・エネルギー』
『通称・コスモ』
人類史を再び塗り替える、始まりの名であった。
■
人智を遥かに超えた圧倒的な力は核にも匹敵する、と誰かが 言った。
伝説や御伽噺に登場する「魔力」によく似ている。若干の違いはあるにせよ、全世界の少年少女が一度は胸に懐き、だが成長して現実を嫌でも思い知らされる過程を経て、捨て去った夢。
───争いを止めた人類への、神からのご褒美だ! と、嬉々とした表情で熱弁する自称専門家の瞳は、まで少年の如き輝きを放つ。
コズミック・エネルギーにあやかって一儲けしようという魂胆の透けて見える、自称専門家たち。
今や彼らは、立派なコメンテーター気取りでお茶の間に市民権を得ているが、彼らがちらちらと盗み見る手元の資料を、そもそも作り上げたのは誰なのか。
その人物こそ、主にヨーロッパで活動していたとされる生物学者、トーマス・マッケンジーである。
彼は名だたる偉人たちと肩を並べ、教科書にその名を刻むまでに至ったコスモ研究の第一人者でありながら、その素顔は今なお謎に包まれていた。
写真は一枚として残されておらず、肖像画すら存在しない。
伝聞に語られる彼の姿も、証言ごとにあまりに食い違っていた。
端正な顔立ちの青年だったという者もいれば、意外にも巨躯の髭面だったと断言する者もいる。
そうした数多の証言をもとに歴史学者たちが導き出した人物像は、奇妙にも一つの結論へ収束していく。
――頑なに素顔を晒すことを拒む、ひどく内向的な男。
その一方で、数年おきに出版される著書によって研究成果を発表し、そのたび世界を驚愕させた、寡黙にして執念深い探究者。
控えめな学者でありながら、時代そのものを書き換える発見を成した男。
今の自称専門家たちの過剰なメディア露出と比べれば、その差は天地どころではない。大気圏を突き抜け、宇宙と地表ほど離れている。
コズミック・エネルギー初観測から長い年月が流れた今日においてなお、彼ら“専門家”の需要は高く、ワイドショーや情報番組でその顔を見ない日はない。
だが彼らの語る内容は、従来の常識に照らせばどれも胡散臭く、しかも驚くほど似通っている。
結局のところ、トーマスがこの世を去るまでに遺した調査結果を、さも己の知見であるかのように語るだけの、簡単なお仕事に過ぎない。
もっとも、そのトーマスの理論そのものに疑義を唱える者もいた。
彼の著書を精査した一部の研究者たちは、ある決定的な違和感に気づいていたのである。
それは――彼の理論の「完成度」だった。
通常、学説とは試行錯誤の痕跡を宿す。仮説があり、修正があり、反証があり、その積み重ねの果てにようやく体系となる。
しかし、トーマスの論文にはそれがない。
迷いがない。
飛躍がない。
未完成さが、存在しない。
まるで最初から“答え”を知っていたかのように、彼の理論は常に完成された形で世に現れていたのだ。
この異様さを根拠に、その理論を偽装された知識、あるいは何者かに与えられた叡智ではないかと疑う者もいた。
だが、いかに否定の言葉を連ねようとも、一般常識では説明のつかない未知の力が実在していたこともまた事実である。
ゆえに懐疑を唱える者たちは、時代の熱狂の中で次第に淘汰されていった。
そして人類は、現代に湧出したこの力の本質を深く問うことなく、自らに都合よく解釈しては、その恩恵に酔いしれていく。
“コスモ”
分野を問わず驚異的な応用性を見せたその力は、産業と経済を急速に活気づかせた。コスモの恩恵を受けた各国は、戦争によって失われた遅れを取り戻すかのような勢いで研究・開発事業に注力し、かつてない技術革新を遂げていく。
それは繁栄の時代の幕開け。
あるいは――破滅の序章でもあった。
こうして人類は、コスモに依存した。
有限なる化石燃料とは異なり、己より無尽蔵に湧き出る半永久的エネルギー。それは、世の理そのものを書き換える代物であった。
だが、自然法則すら超越する力を扱うには、人類はまだ幼すぎたのだろう。
核と同様、人の理解の範囲を逸した力への依存は、いずれ破滅を招く。その脅威的な依存性をいち早く察知した一部の学者たちは、過度な使用に警鐘を鳴らしていた。
だが、時すでに遅し。
コスモの有用性に味を占めた者たちは、「不自由なき理想世界の実現」を謳い、更なる開発を推し進めていく。
どこまでも貪欲に利を追い求め、力に溺れた者が迎える末路として、それは必然だったのかもしれない。あるいは、いくらでも回避できたものだったのかもしれない。
人間とは単純な生物だ。ひとたび力を得れば、他者を蹴落としてでも上に立とうとする。その欲望が争いを生み続けてきたことは、歴史そのものが証明している。
二〇一〇年。
ドイツは“真・アポロ計画”なる宇宙探査の一大プロジェクトを掲げ、海外で活躍する技術者たちを招き、大規模研究に着手した。
ヨーロッパ諸国はその建前を信じ、莫大な支援を行う。
だが、それが平和への道の中で最悪の愚道であることに、誰一人として気づかなかった。
──翌年、世界に衝撃が走る。
突如、ドイツがヨーロッパ諸国へ宣戦布告したのだ。
祖国へ向けられた刃を許せるはずがない。
混乱の中、各国は祖国への想いを胸に侵略者へ立ち向かった。
その意志は強かった。
だが、想いと力の均衡は、あまりにも歪だった。
最初の標的となったのはスイス。近隣諸国がこぞって支援を表明し迎撃体制を整えるも、コスモを軍事利用し、人間離れした力を得た僅か数人のドイツ兵によって、スイスは為す術なく敗れ去る。
なんとも皮肉な話だ。虚偽の計画に騙され、自らの資金援助で強化された軍に、自国が蹂躙されるとは。
現代兵器では埋めようのない戦力差を前に、ヨーロッパの中でも小国とされる国は、次々と降伏へ追い込まれていった。
このままでは世界がドイツのものになる!!
そうして立ち上がったのが、“自称・世界の警察”アメリカである。
アメリカは、軍の質ではドイツに敵わぬと判断した。
ならば量で圧倒するしかない。
アフリカ、中東、アジア諸国に働きかけ、大規模連合を結成。ドイツへ宣戦布告する。さらに侵攻を免れていたイギリス、フランスへ物資と装備を供与し、もう一つの超大国ソビエト連邦の加盟をも実現させた。
こうして、対ドイツ包囲網が築かれる。
質ではなく、圧倒的な量。
その判断は一時、功を奏した。
連合軍は破竹の勢いを削ぎ、占領された幾つかの国を解放。戦線を膠着へ持ち込むことに成功する。
だが、それも真に、暫し、のこと。
なぜなら、盟主たるアメリカ、そして主戦力と目されたソ連は、加盟国に兵の派遣を促すばかりで、自らは頑として動かなかったからだ。
この二大国が出兵を拒んだ理由について、後世の歴史家は二つの説を唱えている。
一つ。
外から戦況を俯瞰し、未知なるドイツ軍の分析を優先し、万全の準備を整えてから参戦する構えだったという説。
もう一つ。
連合加盟国を盾にして時間を稼ぎ、その裏で自軍へのコスモ導入を進めていたという説。
・・・・・・どちらが真実に近いかは、もはや言うまでもあるまい。
当時の米ソは各国からの要請を曖昧な回答で躱し続け、超大国としての圧力だけを前線国家へとかけ続けたのである。
一時、勢いを削がれたドイツであったが、米ソが『ドイツによる侵略戦争の阻止』という大義名分を利用し、それぞれの思惑を巡らせている間に、コズミック・エネルギーのさらなる研究を推し進め、軍の再編を完了させていた。
戦略すら、文字通り一から練り直されていたのである。
万全を期し、膠着状態の打破へと臨むドイツ軍。
対する連合軍は、ただ侵攻を食い止めることだけに注力した寄せ集めに過ぎず、反攻に転じる余力など残されてはいなかった。
結果は、呆気ないものだった。
二度の大戦に敗れ、屈辱を味わい、虐げられたあの日より掲げてきた悲願へ向け、ドイツは眼前の障害を蹴散らしていく。その侵略の手は地中海を越え、やがてアフリカ大陸にまで及んだ。
こうして戦火は、瞬く間に世界中へと燃え広がる。
本来、人類を次なる段階へ導く希望であったはずのコズミック・エネルギーは、いつしか人を殺め、国家を侵略するための兵器へと成り下がる。
世界は、第三次世界大戦とも呼ぶべき時代へ突入する。
各国がかつてしのぎを削った核開発競争は次第に終息し、その代わり、コスモを自在に操る戦士の育成へと国家戦略そのものが移行していった。
戦場では兵器以上に、コスモを用いた戦闘が主流となる。
物量も、技術優位も、その意味を失っていく。
だが当然、コスモを扱うには才能が要る。
適性保有者は世界人口の八割を超えるとされるとはいえ、適性があることと自在に扱えることは、まるで別の話だ。
神はいつの時代も、人に平等な才を与えない。
才能にも適性にも、残酷なまでの個人差がある。
では、絶望的に適性の低い者がなおコスモに執着し続けることに意味はあるのか。
答えは、否。
戦場における無意味な固執は、そのまま死に直結する。
ゆえに、そうした者たちは従来通り銃を手にし、戦車へ乗り込み、一般兵として前線へ赴く。
そして、この構図が戦争の在り方を根底から変えた。
卓越した才能を持つ戦士が一人いるだけで、軍事力でも人口でも劣る小国が、大国と渡り合えるようになったのだ。
――いや、なってしまった。
小国の反撃は戦争の激しさを増幅させ、戦火は飛び火し続け、新たな火種を生み続ける。
一方、安全圏から指示を飛ばすだけの盟主たちに対し、半ば強制的に連合へ組み込まれ、実際に血を流していた国々は不信感を募らせていった。
歪みが生じれば風が吹き込む。風が吹けば、火種は育つ。
最初はエジプト。続いて、自力でドイツに抗えるだけの力を得たポーランド。
変遷する世界情勢の中で米ソの権威は揺らぎ、一国、また一国と連合離脱が相次ぐ。
そこへドイツがつけ込み、混乱に乗じて領土拡大を進める負の連鎖。
加えて、秘密裏にコスモの軍事利用実験を進めていた情報を互いに掴んだことで、米ソ関係も決定的に破綻した。
こうして結局、米ソがドイツと全面衝突する前に、連合は解体へ至る。
二〇一一年に始まったドイツの侵略戦争は、またしても世界全土を巻き込む大戦となり、現在進行形で続いている。
コスモの登場によって、銃、戦車、戦闘機を主軸とした従来の戦争様式は一変した。
脳内に描いた必殺技を念じるだけで超常現象を発現させ、ぶつけ合う。かつて全ての少年が授業中に妄想した“超能力バトル”が、現実となったのである。
そして、このようにコスモを駆使して戦う者たちを、人々はこう呼んだ。
戦創師、と。
開戦からおよそ六十年。
なお終結の兆しすら見せぬ世界大戦。
持つ国が持たざる国を侵略し、吸収し続けた果てに──西暦二〇七〇年。
世界は、三十にも満たぬ独立国家。六十を超える従属国。そしてただ一つの連邦国家へと、再編されていた。




