2-2 悠星視点 何事もなかったふりをする朝
プシュー、と音を立てて電車が駅に滑り込み、ドアが開く。
堰を切ったように人の流れが外へ吐き出され、さっきまでの地獄(あるいは天国)のような超密着空間が、嘘みたいに霧散した。
「……ふぅ」
ホームに降り立ち、誰にも気づかれないように深く、長いため息を吐き出す。
まだ心臓がバクバクと五月蝿い。一気に外の空気を吸い込んだものの、頭の中はさっきまでの「柔らかい感触」と「甘い匂い」の残像でパニックを起こしたままだ。
(危ねぇ……マジで理性が消し飛ぶところだった……)
歩きながら、ズボンのポケットに突っ込んだ両手をぎゅっと握りしめる。
鈴木は後ろの方を歩いているはずだ。もう普通の同級生としての距離感に戻っているのに、背中に視線を感じるようで、どうしても意識が向いてしまう。
(普通の顔、できてるか? 俺、変な顔して背中丸まってないよな?)
背後を気にしながら、心の中で必死にポーカーフェイスのセルフチェックをしていた、その時。
「あの」
後ろから、少し硬さのある声が降ってきた。
ビクッと肩が跳ねそうになるのを必死に抑え、平静を装って振り返る。そこには、さっきまで胸元にすっぽり収まっていた鈴木が、おずおずとこちらを見上げていた。
「ん?」
なるべくいつも通りの、ぶっきら棒なトーンを意識して声を返す。内心の動揺を1ミリも悟らせてはならない。これは男のプライドをかけた戦いだ。
鈴木は一瞬だけ視線を泳がせてから、意を決したように小さく頭を下げた。
「さっきは……ごめんなさい」
(うっ……!)
健気な謝罪が、悠星の良心と煩悩を同時に直撃する。
謝りたいのはこっちの方だ。不可抗力とはいえ、あんなにみっちり女の子の身体のラインを堪能してしまって、脳内で散々よからぬ妄想を繰り広げていたのだから。
「別に」
短い返事しか出てこなかった。冷たくしたいわけじゃない。そうでもしないと、声が上ずりそうだったからだ。
「ちょっと、びっくりしたっていうか……」
鈴木が何かを言いかけて、言葉を飲み込む。
その、ちょっと気まずそうな、恥ずかしそうな表情がやたらと可愛くて、悠星は慌ててフイッと軽く肩をすくめて見せた。
「満員電車だし、ああなる時もあるだろ」
(よし、今の言い方は我ながら完璧にクールだったはず)
内心でガッツポーズを入れる。責める意図なんてないし、むしろ「気にしてないよ」という男の余裕を見せたかった。淡々と、さも「日常茶飯事だし?」みたいなテンションを装う。
鈴木は小さく息を吐いて、「……うん」と少しホッとしたような顔をした。
そこから、歩調を合わせるようにして、気まずさを埋める会話が始まる。
「上り電車、こんなに混むんだね。びっくりした」
「まあな」
「引っ越してきて初めて乗ったけど、ちょっとびびった」
「うちの学校、下りで来るやつ多いからな」
鈴木は「そっか」と、少し納得したように頷いた。
上り電車の混み具合に圧倒される彼女の姿が、なんだか小動物っぽくて、さっきまでのガチガチの緊張が少しだけ解けていくのがわかる。
「じゃあ、こっち乗る人ってあんまりいないんだ」
「……まあ、そんな感じ」
そこでまた、ふっと会話が途切れた。
改札へと向かう人の波の中、二人の制服が並んで歩く。
気の利いたお喋りができるわけでもない。さっきのハプニングの気まずさが完全に消えたわけでもない。
だけど、不思議と「早くこの場から逃げ出したい」という感覚は消えていた。
朝の陽射しが降り注ぐ中、並んで歩く彼女との距離が、電車に乗る前よりも、ほんの少しだけ近く感じられて。
(……明日も、同じ時間の電車乗るのかな)
そんな下心を、悠星は自分の胸の奥底にそっと隠した。




