9-1 りこ視点 逃げ場のない距離
その日は人身事故の影響で、朝の電車は異様な混み方になっていた。
押し込まれるように乗って、身動きが取れない。
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りこはカバンを前に抱えているのに、それでも距離が近い。
気づいたときには、悠星と向かい合う位置になっていた。
逃げ場がない。
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電車が揺れる。
強く押される。
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りこの体が、一瞬前へ流れた。
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その瞬間。
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悠星の手が動く。
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反射みたいだった。
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受け止めるように、
引き寄せられる。
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一瞬だけ、
二人の間の距離が完全に消えた。
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「……っ」
思わず息をのむ。
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近い。
近すぎる。
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頭が真っ白になる。
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次の瞬間、
悠星は慌てたように手を離した。
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「……ごめん」
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短く、
でもはっきりした声だった。
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りこは一瞬きょとんとする。
「え?」
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悠星は視線を逸らしたまま、
何か言いかける。
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「今の……」
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けれど、
その先は続かなかった。
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少しだけ沈黙が落ちる。
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りこは小さく首を振った。
「なんで謝るの?」
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悠星がわずかに動きを止める。
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「私こそ……ごめん」
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視線を少し落とす。
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「寄っちゃったし」
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一瞬、
二人の間の空気が止まった気がした。
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悠星は黙ったまま前を向く。
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りこもそれ以上は何も言わなかった。
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でも――
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気づけば、
さっきより距離を取ろうとはしていなかった。
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電車はそのまま進む。
何事もなかったみたいに。
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ただ、
さっきまでと同じ距離には、戻らなかった。




