友邦
「か、神よ…」
男はその場に跪く。
「そこの若造と阿呆の前には欺瞞も誤魔化しも通用すまいよ。神が治める国であり、神が実在すると話した以上、姿を見せねば信用も何もない」
エレウィンが用意した椅子に彼女はゆったりと腰掛けた。威厳に満ちたその姿はまさしく一国の支配者。
「よくぞ参った。我が名はユノールア。この地を治める神である」
「俺はノア! よろしく!」
ノアは名乗りをあげた。
「単刀直入に言う。可能な限り早く我が国と同盟を結べ」
「いやでも今すぐだとワンドマリガとライジスを通過できねえから金かかんだよ。金出したところで通してくれるわけないし」
ノアが反論する。
「構わぬ。帝国が流通させておる共通金貨は持ち合わせておらぬが迂回にかかる費用はこちらが持つ」
「なんか焦ってんのか?」
さすがのノアでも異変に気づいた。悟られぬようにはしているが彼女は焦っている。何やら差し迫った事態があるのだろうか。それを知らないうちは気軽に同盟は結べない。結んだ後に不都合な事実を知らされるくらいなら今のうちに知っておくべきだ。
「ああ、焦っておるともさ。だから閉ざされた国を開き、同盟を持ちかけた。我らは北と東に敵を抱えておる。奴らは幾度となく我が地に侵入し、土地を奪っていきよる。取り返そうにも世界人類条約というものに奴らは守られておる」
忌々しげに彼女は言った。
「特に北部には肥沃な農地が広がっておった。それを奪われて以降、我が国は食糧不足に陥った」
「だから貿易したがってたのかー」
ユノールア神教国は思いの外追い詰められていた。地図では数十年間、変更はないが裏ではこんなことが起こっていたとは思わなかった。
「奪われた地を取り戻せぬのは仕方ない。だがこれ以上の進出は食い止めねばならぬ」
シューベルがノアに耳打ちする。
「この同盟は我らに利がなさすぎます。お控えなさる方がよろしいかと」
相当小さい声での耳打ちだった。隣にいたロイトにも聞こえていない。だが、常人より優れた聴覚を持つユノールアには聞こえていたようだ。
「ノイアフォードの英雄よ、貴様に嫁はいるか?」
瞬間、その場が凍りついた。
「いねーよ。どうかしたのか?」
唯一平然としていたノアが答えた。ユノールアの質問の意図がわからないでいる。正気に戻ったシューベルとエレウィンがその意図を察知した。
「貴様、私と契りを交わせ。所謂、政略結婚とやらだ。美しさには自信がある。私を妻にすれば貴様も鼻が高かろう。縁を結べば助ける理由もできよう」
再び全員が愕然とする。エレウィンは気絶しそうになっている。ユミルは呆気に取られている。
「確かに美人だけどさー、実際に戦うのは俺の兵士たちだし俺だけにメリットがあっても意味ねーよ」
シューベルが頷く。帝国の皇帝との縁組ならまだしも世界同盟非加盟国の支配者と縁組したところでラントフォード公国およびノイアフォード地方にメリットはない。それに彼の主君が人を装飾品のように扱うような俗物ではないことも知っている。
「ふふふ、ユノールア、貴女、フラれたわね」
ユミルが笑う。
「黙れ。もう一度封印してやろうか」
どうやらユミルとユノールアは知り合いらしい。
「まーでもこの前ゲットした損害賠償金と支援金で余裕あるしいいんじゃね? それに最近は魔王軍の侵攻が増えてるし仲間は多い方がいい。長い目で見たら得じゃねーか?」
それを聞いてシューベルは苦い顔をした。どうやら今のノアの発言に文句があるらしい。溜め息を吐いて彼は言った。
「領主様、確かにそれは最もでございます。ですが外交は腹の黒い者同士の戦いです。こちらの事情は伏せてできるだけ有利な条件で結べるようにするものです」
「あんまりべらべら喋んなってことか。うん。わかった。てことでユノールア、今の忘れろ!」
強引な言いようにユノールアは笑った。
「実は我が国は黄金の産地があってな。食糧やその他物資、兵の提供の対価と礼は金で支払おう。私は金があまり好みでなくてな、他では価値があるらしく採掘するだけして放置しておったのよ」
「金…!」
シューベルは目を見開いた。金貨でなくとも金には大変な価値がある。そもそも金貨に価値があるのは金が含まれているからだ。帝国が持ち運びに便利な紙幣を発行しようとしているが難航している。国際的に帝国は信用こそあるものの、貨幣の発行権を他国に握られることを良しとする国はない。だから当分は金貨が消えることはない。金を輸出すればかなりの利益を得ることができる。
興奮を抑えつつ、シューベルはノアに目配せする。それでノアは彼の意図を察した。頷いてユノールアに言う。
「いいぜ、乗った! 詳細はシューベルに任す!」
「お任せを」
ユノールアは満足そうに笑みを浮かべる。
「うむ。仔細はエレウィンと取り決めよ。私は将来の夫となるこの男と交流を深めねばならぬのでな」
「は、ははっ! 承りました」
エレウィンは項垂れた。冗談か冗談ではないか、判断がつかないのだ。神であるユノールアが自身の言葉を違えることはないが、冗談は冗談と捉えよ、と以前言われた。二百年付き従っている彼でさえ彼女の心の内を計り知ることはできていない。確信はないが今回のは冗談であろう。
「駄目だよ。ユノールア。ノアに手を出すならここで暴れるわ」
ユミルがノアとユノールアの間に割り込んだ。
「ほほう、個人に肩入れせぬ貴様がそこまで入れ込むとはな。ますます興味が湧いた。ノアよ、私と共にこの国を治める気はないか?」
「ねーな! ノイアフォードは俺の大好きな街だ。捨てられねえよ。お前も今度うちに遊びに来いよ」
ノアは笑って答える。彼にとってノイアフォードは家だった。旅に疲れればそこに帰り、大切な仲間たちに出迎えられて疲れを癒す。それさえあれば他に何もいらない。玉座など、王冠などなくてもよかった。
「またフラれたね。ユノールアこそ、そこまで配下以外の誰かに興味を持つなんて珍しいしゃない」
「うるさい」
「お前ら知り合いなのか?」
「…まあ、昔に少しね…」
その時、エレウィンの伝球が鳴った。
「どうした?」
「アレスターです。東部国境より東国連合軍二万が侵入してきました」
「!」
エレウィンは舌打ちした。
「動かせる兵はどれくらいいる?」
「三千ほどです。私も今、騎士団を率いて戦場に向かっています」
二万対三千。敵軍はユノールア軍の六倍。まともに戦って勝てる戦力差ではない。いくら神聖騎士団が精鋭であろうともこの不利を覆せるものでもない。
ユノールアは腹立たし気に地団駄を踏む。
「よし、じゃあ俺たちも行くか。シューベルはここで待ってなー」
「どこへ行かれるのですか?」
シューベルが問う。他の仲間たちはすぐに彼の考えを察したようで椅子から立ち上がった。
「決まってんだろ。喧嘩だ喧嘩! 同盟祝いだ、ド派手にぶちかましてくる!」
「…まだ同盟の内容も決まってないのに力を貸してくれるのか?」
エレウィンが言った。
「でも同盟は結ぶんだろ? じゃあもう仲間だ! 仲間なら助ける!」
シューベルは主君の決断の速さに感心した。ノアたちは神殿を飛び出してカストルらと合流した。状況を伝えると彼らはすぐに戦闘準備を整えた。部隊が戦意を燃え上がらせる。
「よかったですよ。出番がないんじゃないかと思ってました。やっぱりノア様といると退屈しなくて済むぜ」
カストルは朗らかな笑顔を浮かべた。カストルやリハー、リケは先の旅でノアに付き従ってメレモロ城の戦いやシタリ王国でのアウレル王国との戦い、ティンニバル王国での捕虜救出作戦を戦い抜いたことをユナから自慢されて羨ましがっていた。レナードは彼らの血の気の多さに呆れるばかりであった。
ウィクトリア第一中隊はレノゼ率いる神聖騎士団と共に東に向けて出陣した。ノアとレノゼは馬を並べる。
「助太刀感謝します! 北東に向かえば東国連合軍と戦うことになります」
ノアとレノゼの部隊は前線部隊と合流し、東国連合軍と向かい合っていた。東国連合軍を率いるのはシャンド王国の将軍ワイエル。シャンド王国は東国連合一の大国であり、ワイエルは王の弟であった。そのため、連合政府内でも絶大な権力を誇り、ミハイルに並ぶ役職を得ている。彼と違い、ワイエルは非加盟国への侵攻を主張している。
「またあの将軍か…」
レノゼはため息を吐いた。三千五百名の兵で砦に立て籠もり、二万の連合軍を撃退しなければならない。レノゼは何度もワイエルと戦っていた。ワイエルは何度もレノゼに敗北している。だがそれは絶望的な戦力差がなかった場合でのこと。ここまでの兵力差は初めてだ。
ユノールア神教国の総兵力は一万五千。十年前は二万ほどだったが、東国連合やワンドマリガなど諸国の攻撃を受けて一万以上の兵を失ってしまった。何とか兵力を一万五千ほどまで回復させたものの、侵攻の際に多くの民が虐殺され、穀倉地帯を奪われた。国力を回復させるには十年は必要だ。
「まあ、そのうち援軍が来るだろうが…」
「我が騎士団は籠城戦は得意ではありませんし、どうなることか…」
神聖騎士団第一部隊長カグララスが言った。
「ああ。ノア殿の部隊も同じだ」
レノゼは城門を開かせた。飛び出したのはウィクトリア隊。闘志を漲らせ、二万もの大軍に恐れることなく戦いを挑む。
「人類最南端版図ラントフォードの最高戦力ウィクトリア。その力を見せてもらおう」
彼は援軍の用意をしながらも戦いを見守ることにした。
「撃てー!」
ウィクトリア隊は矢を放つ。雷を帯びた矢が東国連合兵に降り注ぐ。兵士たちはその矢が身を掠めただけで驚いて動きを止めた。
「な、なんだこの矢は!」
兵士たちは尋常ではないその矢に驚いた。またノアが降らせる雷に兵馬が狼狽える。ノアはこの雷の使い方を少しずつ習得していた。もちろん長続きする戦いではないが。
「突撃! 食いちぎれ!」
ノアは突撃を命じた。彼らは一瞬で敵の懐に飛び込み、敵兵を屠った。血煙が舞う。彼らが進んだ道には敵の死体だけが残っている。
「こんな奴らがいるなんて聞いてないぞ!」
「逃げろ!」
兵士たちは人の形をした「死」に立ち向かう術はなかった。兵士たちが指揮官たちの元、一丸となって勇敢に立ち向かえばウィクトリア隊はすぐにでも逃げねばならなかっただろう。だがここにいる兵は各国の寄せ集め。目的は略奪であったから命を懸けてまで戦う理由がなかった。それが彼らの統制を失わせた。
とはいえ統率が乱れているのは前線の部隊のみであり、後方の部隊は健在で全く乱れていなかった。ウィクトリア隊を包囲すべく左右に兵を動かした。それを察知したノアは時間稼ぎはこれで十分と判断し、後退に移った。
「逃げるぞー!」
「おう!」
ウィクトリア隊は波が引いていくようにすぐに引き揚げていった。素早い突撃と素早い退却、それがウィクトリア隊の神髄である。
戦いを見ていたレノゼらは驚愕する他なかった。個の力も集団の力も他のどんな部隊と比べても抜群に強い。装備もありとあらゆる技術が使われている。
さてこれからどうしようかとレノゼが城外に布陣する連合軍に目を向けたその時、砦に向かってくる東国連合軍に無数の光の束が降り注いだ。黄金色の光線は意気揚々と近づいてくる連合軍の将兵を貴賤の区別なく撃ち抜き、流血と死をもたらした。たった一度の惨事であったが連合軍を恐怖に陥れるのに充分だ。
「おお! あれは…神のご加護だ!」
「神が我らに祝福をくださったぞ!」
「これなら勝てる!」
ユノールアの兵士たちは武器を振り上げて叫んだ。その士気は高く、今にも飛び出そうとしている部隊もあった。レノゼはその機を逃さなかった。全軍に出撃命令を出して自らも神聖騎士団を率いて出撃した。連合軍が体勢を立て直す前に突撃する。神聖騎士団は重装騎兵であり、その破壊力はウィクトリアに匹敵するほどだった。十人の隊長たちも群を抜いて強い。立ちはだかる敵を蹴散らし、草原を赤く変える。後続のユノールア兵も陣形を無視して突撃し、雄叫びをあげて敵を貫く。そのあまりに異様な戦い方に連合軍は恐れ慄き、狂気の前に倒れていく。寄せ集めでしかない連合軍は未だ数では勝っていたものの、統率が取れなくなって敗走した。殿部隊を一瞬で叩き潰し、ユノールア軍は連合軍を追撃し、国土から叩き出した。
「引き続き警戒しろ。負傷者は後方に連れて行け」
一割ほどの損害を出したがこれが最善の結果だった。自身の六倍の兵力の敵に勝つのは容易いことではない。それはウィクトリア隊やレノゼ、両方の戦いを神都から見ていたユノールアもわかっていた。
ユノールアはソファに寝転がり、息を荒くしていた。光の雨を降らせて勝機を生み出したのは彼女だった。しかしそれは大量の体力を消費する。三か月に一回放てるかどうかである。放った後はしばらく動けなくなる。
「にしても凄まじいの。あの赤雷黒衣の兵どもは」
彼女は最も信を置く腹心に言った。
彼もノアの雷を見て愕然としていた。
「くくく、やはり面白いなあの男! 時代の暴走は誰にも止められはせぬ。燃え上がる炎が何色か、当事者として見届けるのも悪くはないのう」
ユノールアは可笑しそうに笑う。響き渡る笑い声を聞くのはエレウィンのみ。千年もの間、自国の民にすら姿を見せることはなかった彼女は歴史の表舞台に躍り出て、若き英雄の旅路を見守ることにした。




