神
ノアの一団はハンナン王国を抜けてユノールア神教国へ入った。町並みは西側の他の国と変わらない。
首都ユノリアスは領土の中心にある。国民からは神都と称され、神の住まう地として位が高い者しか住むことが許されていない。三千人の神職者と千人の神兵、そして最強との呼び声高き神聖騎士団五百名が暮らしている。支配者は神の代理人である法皇エレウィン。二百年以上を生きる怪人である。
ノアたちはユノリアスに入った。各地を冒険しているノアたちでさえユノリアスには初めて入る。他の国とは違って都を守る城壁はない。この地に訪れる敵は神の威光によって焼き払われるのだという。ユノリアスは神の都と呼ばれるに相応しい静謐さと神々しさを纏う土地であった。白を基調とする町並みが広がっている。カストルら護衛兵と別れて神都の中央に位置するユノールア神殿に足を踏み入れたノアたちは道中、護衛兵に剣を渡すよう求められた。
「…私はお前たちを信用していない。ここでお前たちがノア様を害する可能性もある。その可能性が低くないと判断できない以上、剣は手放せない」
ノアとユミルとロイトが剣を手放した後にラミナスが言った。彼女はいつでも警戒している。主君が世界を揺るがす男である。恨みを買うことも多い。それこそ刺客は幾度となく撃退してきた。彼女がノアと出会って十年、彼の命を守った回数は両手の指では数えきれないほど。彼の命を狙ったものの何らかの事情で彼の配下に入った者も数えきれない。
「え…俺たちもう渡してんのに駄々こねんなよ」
「ノア様は警戒心が足りなさすぎます! 取り返してください」
「アホか」
しかし彼女の警戒心も理解できる。ノアが暗殺などを気にしない以上、ラミナスが気を配らなくてはならないのだ。それにユノールアは怪しい。同盟を持ち掛けてきた理由を話さず、その上、ノアを名指しで呼び出した。そして剣の没収である。疑わない方がおかしいというものである。
「しかし…決まりでして…」
ラミナスは気が立っていた。目の前の神聖騎士を斬り殺してノアを連れ帰ろうとするかもしれない。それを察知したのか衛兵も強気に出られないでいた。閉ざされた神の国でも外の情報は入ってくる。世界の問題児ノアの守護者、
「ああ、申し訳ない。剣は持ったままでよろしいですよ」
奥から一人の男がやってきた。糸目の長身の美丈夫である。騎士は彼を見てすぐさま敬礼する。
「法皇猊下は我らを警戒するのは道理であり、主を守らんとするその忠義は素晴らしいものであると仰っております。帯剣したままでよろしいのでどうぞこちらへ」
男は奥へ歩いていく。ノアたちは剣を返却され、男に続いた。
「申し遅れました。私は神聖騎士団団長レノゼ・アレスターと申します。ノア殿の噂はかねがね伺っております」
「ははは、うれしーな」
勇名より悪名の方が広まっているノアであるが本人は気にしない。悪であるつもりはないが善であるつもりもない。好き勝手やっているだけだ。
彼らは法皇の間に通された。大理石の床を歩く。部屋の奥には純白の法衣に身を包んだ長髪の男が座っている。輝くほどに美しく上質な絹布で作られた法衣なのだが宝石などの装飾は一切飾られていない。
「よくぞ参られた、異国の英雄。この出会いは神の導きである。私はユノールア神にお仕えするエレウィンと申す」
「初めまして」
ノアたちは椅子を勧められた。エレウィンも椅子を動かしてノアたちに向かい合った。ルイは無駄なやり取りをせず、本題に入った。
「わざわざ足労願って悪かった。我が国はラントフォード公国と同盟を結びたいと考えている」
「その意図をお聞きしてもよろしいですかな?」
交渉役のシューベルが問う。ノアはロクラスからユノールア神教国への交渉を任された。だがノアに一国と渡り合う腹黒さはない。それに余計なことも話してしまう。だからシューベルに交渉を委ねる。彼ならば上手くやってくれるだろう。
「相互防衛協定と交易だ。特に貿易がしたい。貴国は各国と貿易をして多くの珍しい品を得ているというではないか。我らはそれを輸入したい」
「なるほど…。それならば我が国のみと交易せず国を開けばよろしいのでは? 他国の珍品も我々は取り扱っておりますがそちらに融通するとなるとこちらも多少の価格の上乗せをします。ならば直接他の国々と交易すればよろしいかと」
シューベルの言うことは最もだ。商売をする以上、仕入れ価格で売るわけにはいかない。それなりの利益を取る必要がある。
「貴国なら、ノイアフォードの英雄ならば信用できると考えてのことだ。ワンドマリガやライジス、これまで諍いをしてきた東国連合やこの事態を見て見ぬふりをしてきた帝国が信用に足る取引相手になると思うか?」
今度はエレウィンの言うことが正しい。国際情勢下においてワンドマリガ王国やライジス王国の信用度は著しく低い。喜んで貿易をしようという物好きはいない。対してノイアフォードに信用があるかどうかは見方によるだろう。彼が仲間と認める者からすれば信頼できる都市である。だがそうでない者にとってはノアは英雄にして大犯罪者。とても信用できる人間ではない。
「確かに我が主君ノア様は信義の御人。ですが貴方たちがそうとは限りません。前向きに同盟を検討するつもりではありますが、そちらを信じるに足る証が欲しいですね」
彼はエレウィンという人間を推し量るつもりでいた。国のトップである彼が彼の求める答えを出せなければ盟友足り得ぬ凡俗として最低限の国交を結ぶのみと考えていた。相手もそれを見抜いていたようで少し考え込んだ。ユミルは周囲を見渡していた。だが天井を見上げるとそのまま視線を固定した。
「どうした?」
ノアが尋ねるが彼女は無視した。
「エレウィン。この同盟は貴方の一存では決められない。必ずユノールアの決断が必要なはず。ならユノールアが顔を見せるのが道理でしょう。彼女はどこ?」
椅子から立ち上がり、彼女は言った。エレウィンは少し驚いていたが、彼女の放つ魔力を見て納得したようだ。
「もちろん、ユノールア様はご了承くださった。だが神は安易に姿を現すものではない。その時になれば神体を拝むことが叶うだろう」
「いい加減にしなさい。ここで大暴れしてもいいのよ」
彼女が威圧的な空気を纏う。彼女が本気で暴れ出したらラミナスでも止められるか分からない。ミラのような不死族でない限り消し飛ばされるだけだ。元より生物としての格が違うのだ。
「ゆ、ユノールア神は実在しているのですか⁉︎」
シューベルは目を見開いて叫ぶ。
「我らは有りもせぬ幻想に神を見出して縋るような真似はしない。我が神は実在する。だが姿を現すとしたら…ノア、君が彼女の信頼を勝ち取ることができたらの話だ」
男は言った。シューベルやロイトは驚きを隠せなかった。閉ざされた国を支配する神の名は遠い国にも広がっている。しかし本当に存在しているとは思わなかったのだ。ユミルは不機嫌そうに腰を下ろす。この場で彼女の正体を知っているのはノアとおそらくエレウィンのみ。彼らにとってはユミルが正体を現して本気で暴れ出したら困るどころの話ではない。
「大丈夫か?」
ノアがユミルに尋ねる。
「ええ」
エレウィンが話を続ける。
「残念ながら我が国には貴殿の信用を得るに値する証はない。だが義のない国であるつもりはない。互いに使者を送り合い、理解を深めて緩やかに信頼関係を築こうではないか」
その答えはシューベルを満足させたようだ。彼としても何か証を求めているのではなかった。その上で強引に国交を結ぼうとするのではなく、信頼を築こうとする姿勢を見たかったのだ。
「ノア様、私はこの国と関係を持つことに賛成致します」
「じゃあ同盟を結ぶのか?」
シューベルは首を横に振った。
「同盟の条件を擦り合わせてから判断致しましょう。それに信用できるのはこの御仁です。ユノールア神教国そのものが信頼できるかは別の話です。その結論は急いで出す必要はないでしょう」
「どんくらいかかる?」
ノアとしては早く国交を結びたいがシューベルの知恵は無視できない。最後に決めるのはノアだが彼の意見も必要だ。
「九ヶ月もあれば十分でしょう。十ヶ月後にワンドマリガ王国との不戦条約が失効します。それと同時にワンドマリガ王国を滅ぼし、我が国とユノールア国を繋げ、国交を開始すればよいのです」
「なるほどー! お前、頭いいな!」
シューベルの肩を叩き、素直に褒め称えた。シューベルは痛がったが、少し嬉しそうに笑っている。その彼の胸にはノアが作らせた宰相勲章が存在感を放っている。今、国交を結んだところで交易も共同防衛もできない。ラントフォード公国とユノールア神教国の間にはワンドマリガ王国とライジス王国がある。両国が商人や軍の通行を許すとは思えない。帝国領を通って行くこともできるが遠回りになり、コストがかなりかかる。こちらもそこまでのコストを払って同盟を結ぶ理由がない。
一方のエレウィンは苦い表情をしていた。
「エレウィンよ、もういい。私が直接交渉をする」
エレウィンの背後より儚くも強い少女の声が聞こえた。ルイは驚いて飛び上がり、その場に膝をついた。
「な、なぜ…」
暗闇より足音が響く。
「我らには時間がない。我らは内側に目を向けすぎたあまり外を見るのに遅れをとった。それは私の…」
エレウィンは首を垂れる。奥から強烈な威圧感を放つ何かがこちらに向かってくる。凄まじい覇気を纏わせている。ロイトやシューベルは頭を抑え、ラミナスは剣の柄に手をかける。ノアも人ならざる存在の接近を感じ取っていた。
「神としての失態である」
現れたのは銀色の髪の少女。透き通るような白い肌。顔は黒色のヴェールに覆われていて窺い知ることはできない。しかし放つ存在感は神と呼ばれるに相応しいものである。




