神の国
一か月後、ラントフォードの第一都市ラインフォードに意外な国からの来客があった。それは白い布で顔を隠した集団だった。彼らはユノールア神教国から派遣された使者として公王ロクラスに面会を求めていた。物珍しさで面会を承諾したロクラスはユノールアについていろいろ尋ねたが使者は答えなかった。
「ユノールア神にお仕えする法皇猊下が貴国の信義を貫く在り方に深く感動され、是非とも貴国と同盟を結びたいとお考えです。交渉のため貴国の王子を我が国に派遣していただきたい」
友誼を結ぼうと持ち掛けてきたにしては無礼な言動が目立つ使者に対してロクラスはもう興味を失ったようだった。
「ノアのことか。好きにせい。あの馬鹿息子も喜ぼう」
当のノアはいつものベッドで眠るべく寝室に入った。時折侵入してくる魔王軍を蹴散らし、遊びに行く間もない。ノアは部屋の中に何者かの気配を感じ取った。寝室に侵入してくる不埒者は部下の中に何人かいるが彼らとは違う気配だ。ノアの知らない気配。まあいいかとノアはベッドに入る。その時、毛布が急に盛り上がった。
「うわあ!」
めくれ上がった布団から姿を現したのは一人の女だった。灰色で艶やかな髪を垂らした美女。右目は灰、左目は紫。その瞳は虚ろで、微笑みを浮かべているがどこまでも無感情だった。
「はじめまして、ノイアフォードの英雄ノア様。私は南ス―ディル王国女王ローレライと申します」
「ああ、レイシアの姉ちゃんか!」
彼女は身を乗り出してノアに迫る。
「ああ、そうですか。貴方様は我が妹と親交があるのでしたね。しかしそれはどうでも良いこと…。ノア様、私と今晩、共に寝ませんか?」
「お前、どうやって入ってきた?」
「細かいことは抜きにして…ベッドにお入りください」
よく見ればレイシアに似ていないこともない。強引なところも彼女とよく似ている。彼女が言っていることは本当かもしれない。
「抜きにできるか! 何しに来たんだよお前」
「…私、強い人が好きなんです。ですので貴方と子を為そうと思って」
嘘だ。彼女の言葉には嘘があった。ユナのジョークとは違って何か目的のある嘘だ。ノイアフォードやラントフォードを害するものであるならばここで始末しなければならない。レイシアが言うには彼女は魔人であるらしいがラミナスに勝てるものではない。呼べば数秒で駆けつける。それまでの時間稼ぎはできるつもりだ。
ノアは思い出した。ス―ディル王国の王位を継承できなかったローレライは有力貴族を篭絡して味方につけ、国家を樹立した。今度はノアを篭絡しようとしているのだ。そこまで考えが及ばなかったノアは彼女の肩を掴み、押しのけようとしていた。
「嘘つけ!」
「ですが私にはこの道しかないのです。どうぞご理解ください」
彼女はノアに覆いかぶさった。
「国を守りたいのか?」
瞬間、ローレライの動きが止まった。
ノアは彼女の中にある焦りを見た。彼女の治める南ス―ディル王国はモイラ王国の滅亡によって前線国家になった。先の戦いで南ス―ディル王国軍の脆弱性が各国に露見した。彼女が味方につけた重臣たちは肉欲に溺れた愚物共だ。当然と言えば当然だ。他国の南ス―ディル王国に対する心象は良くない。前線国家の君主に相応しくないとして国を奪われるかもしれない。迫る魔王軍に対抗できず国が滅びてしまうかもしれない。居場所を求めて国を興した彼女にとっては死ぬより辛いことだろう。
「レイシアが言ってた。お前、自分の国が大事なんだろ? 俺、頼まれてんだ。姉ちゃんを助けてほしいって」
「…あの子がそんなことを…。優しい子。今は喧嘩中ですけど私、レイのこと大好きなんです」
彼女は微笑んだ。
「レイシアもお前のこと尊敬してたぞ」
「ええ。あの子は私のためなら王位を譲るでしょう。でも奸臣共に膝を屈することはありません。だからこの内戦は私の責任。けれど、私は誰にも侵されない居場所がほしい」
「なら俺がお前の国を守る。外の敵も中の敵も俺がぶっ飛ばしてやる」
ノアは笑う。レイシアにはかなり世話になった。だからレイシアの頼みなら断れない。彼女には立場があってローレライを助けられないからノアに託したのだ。その想いに応えないわけにはいかない。
「ですが私には…貴方に差し出せるものなんて何もありません」
「いいよ。気にすんな!」
「…!」
ノアは寝転がった。
「話は明日しよう。俺はもう寝る。お前もここで寝てけよ」
彼はすぐ眠りに落ちた。
翌朝、ノアを起こしに彼の寝室に入ったユミルはノアのベッドで眠る謎の女を見て声を上げた。
「あ、貴女誰⁉」
ユミルが女を叩き起こす。ローレライは目を覚ました。ノアはまだ眠っている。彼を起こすのは大変な労力がいる。
「私は南ス―ディル王国国王ローレライです」
「なんでそんな人がここに? というか貴女、人間ではないでしょ」
ユミルは彼女を警戒している。そこにノアが起きた。
「おはよー、ユミル」
「おはようじゃないよ。この人は知り合い?」
ノアは頷く。
「レイシアの姉ちゃんだ。今日から友達だ」
騒ぎを聞きつけてラミナスがやってきた。彼女は得体の知れない何者かがノアの隣にいることに驚き、剣を抜いた。
「ノア様、そこをお退きください!」
「大丈夫だって。ていうか腹減った。飯にしようぜ」
「貴方正気ですか!」
朝食を終えたノアはローレライを仲間たちに紹介した。ローレライはノイアフォードの食事を大いに気に入ったようでおかわりをしていた。ノアの家臣たちは南ス―ディル王国国王の突然の来訪に愕然としていた。
「ええと…我が君はどうなさるおつもりですか?」
ミラが問う。
「こいつの国を守る!」
「でしょうね」
大して付き合いも長くないが彼女はノアの考えをわかっていたようだ。もっと付き合いの長い者たちはさして反応もしなかった。
「どうすれば南ス―ディル王国が救われるかわかりますか?」
「魔王軍とこいつの国にいる害虫を叩き潰せばいいんだろ?」
「そうですね。ですがそれを為すのは簡単ではありません。容易ならもうやっているでしょうし」
ノアは食後のデザートを食べながら話を聞いていた。
「まず一つは魔王軍からの防御。南ス―ディル軍は先の戦いでもわかるようにまともに戦えるような将がいません。それだけならまだしも他国の軍の足を引っ張るような戦いぶり。これでは連合軍を組んでもうまく戦えません」
「確かに…」
ノアたちは間近で南ス―ディル軍の戦いを見ていた。作戦を無視して敵に突っ込んで敗走し、隠れていた味方に敵を誘導し、撤退の邪魔になった仲間を切り捨てて逃げる。そして勝手に帰国し、道中略奪していく。まともな軍ではない。
「申し訳ございません、ノア様。これは私の不徳の致すところであります」
ローレライは深く頭を下げた。
「いいよ。でもあの将軍はもう戦場に出すなよ」
ローレライのことは嫌いではないが、あのホステムス侯はどうやっても好きになれそうにない。無能ならまだしも他国の村を襲って略奪するのは本当に理解できない。あの男はあの戦場で死んでおくべきだった。それが連合軍の将たちの共通認識だった。表立って口にしないが思うことは同じである。
「我が軍を派遣するにしても南ス―ディルは非加盟国のライジス王国を通らなければ辿り着けません。ライジス王がそれを許すかどうか」
「許さなそー」
ロイトが笑う。
自業自得とはいえライジス王国はラントフォードとの戦いで大損害を被った。その上、加盟国からも外されてしまった。ハンナン王国からの侵略も最近起こっているという。ラントフォード軍に対する嫌がらせはしてくるだろう。
「それに派兵するにも大金が必要です。ラントフォードはそれなりに余裕がありますが何度も長距離の派兵を行うとなると厳しいですな」
ノアの古くからの家臣メイウォンが言った。彼はノイアフォードの黎明期を支えた文官で、ミラやシューベルが来るまでは彼がノイアフォードの軍事と政治を司っていた。ノアの起こす滅茶苦茶な問題に胃薬が必要になるレベルまで疲弊していたが、ノアを見捨てずに貢献してくれた。彼の娘のサレナはノア護衛官として戦場でノアを守っている。これまで何度もノアに付き従ってたくさんの手柄を挙げている。
「南ス―ディルの奸臣共を排除するのも楽ではありません」
シューベルが続ける。
「なんでだ? 皆殺しにすればいいんじゃねえの?」
「そうはいきません。重臣たちを皆殺しにすれば国の運営が立ち行かなくなります。王や僅かな家臣のみで政治ができるほど国家とは簡単なものではありません」
ノイアフォードを支える家臣たちは頷く。一都市に過ぎないノイアフォードでも百人以上の文官がいて、それでも人手不足と騒いでいる。それが一国の運営ともなれば膨大な人数の文官がいる。宮廷で王に拝謁を許される重臣でさえも数十人はいるだろう。それを根こそぎ斬首すれば国は亡ぶ。悪臣ではあれども国を守っていたのだ。
「それに南ス―ディルはこれといった産業もありません。戦争支援金があるとはいえ、かつてのライジス王国のように重臣共が横領するのは目に見えています」
考えれば考えるほど手詰まりな気がする。だが諦めたくはない。諦めたらそこから一歩も前に進むことはできない。
その時、ノアの伝球に着信があった。
「あ、父ちゃん? どうした?」
「そっちにユノールアの使者が行った。そいつらと一緒にユノールアに行ってこい。同盟結びたいらしいから好きにせい!」
「は?」
それだけ言ってロクラスは通信を切った。
「…あの御仁は重大なことを普通のことのように言いますね…」
ミラは肩を竦めた。そういうところは養子のノアと同じだ。血こそ繋がっていないが豪胆で人情深いところはそっくりだ。
「んー、行くか。ローレライ、俺、ユノールア行ってくるからしばらくこの街にいろよ。永住したっていいぜ」
「…ありがとうございます」
ローレライは頭を下げた。
「ああ、そうだ。言い忘れてた」
思い出したようにノアは言った。
「ノイアフォードにようこそ!」
ノアはユノールア王国の使者の到着を待った。同行するのはラミナス、ユミル、ロイト、シューベル、そして護衛官のサレナ。そしてカストル率いるウィクトリア中隊第一隊である。これまでどの国とも国交を持っていなかったユノールア神教国は危険だということでこれだけの大人数で着いてきた。今度はリハー、リケとじゃんけんで誰がついていくかを決めたらしい。
使者と合流してノアたちはユノールアへ神教国へ出発した。ユノールア神教国はユミルと出会った場所でもある。彼女の出身地は魔王領にあるのだが、もはや人類が住める場所ではない。ユミルは少し落ち着きがなかった。
「ユノールアが外に興味を持つなんて思わなかったな」
感慨深そうに彼女は言った。記録に残っているだけでもユノールア神教国は他国との関係を持たなかった。サンドーンと同じく閉じた国である。それが今さらになってどうして同盟を持ち掛けてきたのか。ミラは共にワンドマリガ王国を攻めるために同盟を結ぼうとしているのだろうと予測していた。それが目的ならば同盟を断るようにミラに言われている。ラントフォードとワンドマリガ王国との間に結ばれた不戦条約期間は一年間。それを過ぎたらワンドマリガを攻め滅ぼすつもりだ。それを悟っているのか弱体化しているワンドマリガ王国は今でも軍備を拡張している。兵士の数だけ揃えて装備は貧弱だ。何をするつもりかは知らないが彼らの思惑などこちらには関係ない。瞬く間に踏み潰し、全土を手に入れる戦略だ。
大陸北部を巻き込む争乱はまだ始まったばかりである。




