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滅びの前の意地

 翌日、対魔王軍の戦いが開始された。ノアのラントフォード公国軍とホステムス侯爵の南ス―ディル王国軍が魔王軍の方に向かって前進した。その他の軍が近くの城塞や山岳地帯や森林に待ち構えており、そこに魔王軍を誘い込むのが両軍の役目だった。南スーディル軍は全軍重装騎兵で、魔術による補助もあるがラントフォード軍と比べるとどうしても速度が劣る。魔王軍は態勢を整えるよりも早くラントフォード軍の急襲と落雷を受けて大打撃を受けた。ラントフォード軍は一糸乱れぬ連携をとっているかと思えば小隊ごとにバラバラに展開し、動きが全く読めない。狩りをするように魔物や魔族たちを葬っていく。その中でもウィクトリア中隊とノア直属の護衛官ラミナス、ユミル、ロイト、ルシアの戦いぶりはすさまじかった。襲い掛かってくる魔王兵を返り討ちにし、屍の山を築き上げる。

「殿下、これくらいでよろしいかと」

 フィンがノアに進言する。前線ではラントフォード兵に蹂躙されながらも魔王軍は陣形を展開しつつあった。調子に乗って戦い続ければいつしか包囲されて全滅する。

「よっし、退却―! 逃げるぞー!」

「「了解!」」

 ノアの号令でラントフォード軍は退却を始めた。まだ接敵していない南ス―ディル軍にも退却の指示を出す。ラントフォード軍の退却は規則正しいとは到底言えぬものであった。大隊や中隊は解体され、小隊ごとに北を目指す。そのおかげで追いかける魔王軍はラントフォード軍に狙いをつけることができず、彼らを追尾して北を目指すしかなかった。だが、ノアにとって信じられない出来事が起こった。共に退却する手はずだった南ス―ディル軍が退却せず、そのまま魔王軍にぶつかっていくからだ。

「あいつら…何してんだ…⁉」

 陣形こそ組んでいるがそもそも無謀な突撃だ。重装騎兵の突撃は戦いの勝敗を決める際に行われるものだ。この状況で突っ込めば無駄死にするだけだ。

 ノアは伝球でホステムス侯と連絡をとった。

「オイ、なんでお前んとこの兵は撤退しねえんだ! このまんまじゃ全滅するぞ!」

「貴殿らが敵の陣形を崩した。そこを突き、敵に大打撃を与えるのは定石よ。何がおかしなことがあろうか」

 ホステムスは喜悦の篭った声で答えた。

「崩れてんのは前の方だけだ! 後ろの方は固まってる! 早く撤退させろ!」

「臆病者には敵が大群に見えるもの。小心者には敵が堅固に見えるもの。勝機とは二度と巡ってくるものではない。一度きりの好機を逃して何が将だ。知恵なき魔王軍など蹴散らしてやろう!」

 高らかに宣言し、通話を切った。この手の輩は一度痛い目を見なければ理解しないだろう。理解するだけの脳があればの話だが。ノアは舌打ちし、ミハイルに南ス―ディル軍の愚考を報告する。ミハイルのため息が聞こえる。

「…救援は間に合いそうか?」

「多分無理だ。俺たちは全員軽装騎兵だから強引に割り込めねえ。できる限り助けるけど多分半分くらいだ!」

 最初は優勢だった南ス―ディル軍も魔王軍に勢いを止められて包囲されてしまっている。小回りが利かない重装騎兵は動きが止められれば簡単に敗走しかねない。敗走できればまだいい方で、動きが速い軽装騎兵などに背後や側面に回られて全滅というのも珍しい話ではない。

 ノアはまだ戦闘に加わっていない友軍を回収し、ゆっくりと北へ向かった。敗走する南ス―ディル軍が合流してくると思ったからだ。ようやく状況の不利を悟った南スーディル軍も退却を開始する。だがその逃げる方向が異常だった。彼らが向かっているのは北西にある丘陵地だった。

「あいつら何考えてやがる!」

「まずいぞ…! あそこには…!」

 丘陵地にはレイシア率いる一万五千騎の北スーディル騎兵と一万のモイラ兵がいた。誘導ポイントの後方左に位置し、包囲が始まったら背後から魔王軍に攻撃をする予定だった。しかし彼らの元に南スーディル軍が魔王軍を引き連れたまま助けを求めてきたのだ。それを迎え撃つだけの戦力は彼女の手元にはない。すぐに退却命令を出して友軍に救援要請を出す。兵士たちは迅速に動き、退却行動に移った。だがそこで予想外の出来事が起こった。逃げてきた南スーディル軍がモイラ歩兵の背中に突っ込んだのだ。重装騎兵とはいえ彼らは退却中に防具の類は脱ぎ捨ててきた。混乱に陥った彼らにとっては退却の邪魔をする足の遅い歩兵が邪魔なのだろう。目の前の歩兵を突き殺し、踏み潰して逃げ道を作り出す。その光景にレイシアら北スーディル軍の将校たちは絶句した。

「愚かな…!」

 しかし彼らを助けに向かうことはなかった。北スーディル軍まで退却の足を止めて混乱を収めれば魔王軍に追いつかれて壊滅する。ここで全滅するのは避けなければならなかった。将軍たちもレイシアの決断に同意した。しかしスーディル軍も徐々に魔王軍に蝕まれ、兵数を減らしていった。このままでは逃げきれないと判断したレイシアは全体の指揮を部下に任せ、精鋭を率いて兵士たちを救いに行った。しかしスーディル兵もモイラ兵と南スーディル兵の混乱に巻き込まれて撤退もままならない状態であった。そこに王が現れたことにより秩序を取り戻すものの、逃げきれないほど魔王軍に接近されていた。

「交戦しつつ退却だ! 他の軍が助けに来てくれる!」

 レイシアは兵士たちを鼓舞しながら軍を指揮した。だが血を啜った魔王軍の勢いは激しく、兵たちは次々と倒れていった。さらに不幸なことに敵の指揮個体が出現したのだ。その魔族はレイシアを見つけると総攻撃を命じた。指揮個体も大斧を振るい、北スーディル兵を纏めて薙ぎ払う。

「い、行かせるな! ここで食い止めろ!」

「陛下、お下がりください!」

 護衛兵を殲滅し、指揮個体はレイシアに斬りかかった。彼女は巧みに馬を下がらせ、その一撃を避け、反撃を繰り出す。細い体からは信じられないほどの威力の槍が繰り出され、追撃を撥ね退け、相手の頰を抉る。スーディル最強の騎士の名は伊達ではない。指揮個体と互角以上の戦いを繰り広げる。それなりのリスクと時間を必要とするが仕留めることはできるであろう。しかし彼女の敵は魔物だけでなかった。側を通りかかった南スーディルの騎士が彼女に罵声を浴びせ、その脇腹を槍で突き刺した。前方に注意していた彼女は対応できずに血を吹き出した。それを敵は逃さず、斧で斬りつけた。鎧が砕け、肉が裂ける。咄嗟に身を反らしていなければ体は真っ二つに裂かれていただろう。馬上で倒れた彼女は他の魔物たちに引き摺り下ろされ、押さえつけられた。

「陛下!」

 助けに向かった兵士たちが次々と倒れていく。

「はな…せ…!」

 体に力が入らない。指揮個体が彼女にとどめを刺すために斧を振り上げる。彼女の命はあと数秒のものだった。

 瞬間、雷が空から落ちてきた。その雷は血のように赤かった。直撃した指揮個体は一瞬で焼け焦げ、地面に倒れた。息をしていない。完全に絶命したようだ。彼女を拘束する魔族たちの頭に矢が突き刺さり、大地に打ち倒す。

「掴まれ!」

 一人の青年が馬から落ちそうになるほど体を左に傾けて彼女に手を伸ばす。見覚えのあるその顔に彼女は安堵して手を伸ばす。手と手が繋がり、馬上に引き上げられる。少女は少年に抱き抱えられた。

「生きてんな。よし、逃げるぞ!」

「ど、どうしてここに…? ノア…」

 彼には数十騎の黒衣の騎兵が付き従っている。ノイアフォードが誇る最強の騎兵部隊ウィクトリア。ラントフォード軍と共に退却しているものと思っていた。

「お前の言った通り南スーディルの奴ら変な動きしたから念の為来た。間に合って良かった!」

「ありがとう…ございます…」

 ノアたちの乱入と指揮個体の戦死により、周囲の魔王軍に乱れが見えた。今こそ退却の好機だ。連合軍は退却を再開する。しかしそれを容易く逃す魔王軍ではない。狩りをするように追いかけてくる。

 その時、天空より赤い光が死を連れて降り注いだ。赤い光が駆け抜けるたびに数体の魔王兵が吹き飛ぶ。轟音を伴い、火をもたらすその災いを人は雷と呼んで畏れた。落雷は天の意思とされ、人の身にそれを防ぐ手立てはない。しかしそれを地上の人間が意のままに操っている。魔物たちもまた、雷を恐れた。死を運ぶその閃光は地震や洪水に匹敵する災害である。次々と倒れていく仲間たちを見てあの赤い雷が人を守り、自分たちを排除するものであると本能で理解した。

「邪魔だ!」

 雷を纏う青年は叫ぶ。雷は魔王軍だけを正確に撃ち抜いていった。空を駆ける稲妻を自在に操るその様はまさに天空の支配者。魔王軍は怯み、怯え、退却を始めた。

 友軍も退却を始め、王城に帰還した。ラントフォード軍は退却しながらも敵に攻撃し続け、多大な損害を与えることに成功したが、全体の敗北は変わらなかった。南スーディル軍は七割が戦死、北スーディル軍は三割の兵が戦死した。レイシアの指揮下にあったモイラ軍も七割が戦死した。敗戦の責を問われることを恐れたホステムスは兵を率いて自国に引き揚げてしまった。それだけならまだ良いのだが、道中のモイラ王国の村々で略奪を起こしてしまったのだ。加えて連合軍に補給を届ける補給部隊を襲撃し、食糧を奪ったのだ。おかげで連合軍は籠城して敵の力を削ぐことができなくなった。

「あのおっさんめちゃくちゃすんなー」

 ノアは溜め息を吐いた。あの男はまともなことをしない。どうせならあの戦場で戦死してしまえば良かった。誰も口には出さないがみんなそう思っていた。特にモイラ王と彼の将軍たちは怒り心頭だった。ラントフォード軍の奮戦により敵にも大打撃を与えたがこちらの被害はそれ以上である。野戦で敵を打ち破るのも不可能だ。東の国が侵攻を強め、帝国兵や東国連合軍の兵士たちはすでに戦意が低くなっている。もはやこの戦いに勝ち目はない。誰もがそれを悟っていた。

「ミハイル将軍、この戦い、俺たちの負けか?」

 ミハイルは重々しく頷いた。

「ああ。状況は絶望的だ」

「じゃあ逃げようぜ。勝てねえなら逃げるしかねーだろ」

 ノア言った。ラントフォードの人間は戦場から逃げることを恥とは思わない。今逃げたとしても最後に勝てば良いのだ。

「確かに…それ以外に道はない。国王陛下、決断の時です。お逃げくださいませ」

 ミハイルがモイラ王ジェイルに進言した。

「この国は終わった。勝ち目はない。ということか?」

 ジェイルはミハイルに返した。しかし彼は諸将の考えを汲んで答えを引き出すことはしなかった。

「貴殿らの奮戦を余は見ていた。その奮戦の結果、我らは敗北した。ならばそれは仕方のないこと。しかし余は敗けてはおらぬ。まだこの国に残る民と将兵をこの地から逃がすことができれば余の勝利である」

 王は玉座を立ち、冠を被り直した。もうすぐその冠は役割を終え、輝きを失うのだろう。しかし幾星霜を経てもその歴史まで消えることはないのである。

「歴史からこの国の名が消え、歴史に滅亡が刻まれ、大地を魔物どもの住処にされることになろうと余はまだこの国の王である。王には王たる責務がある。いや、責務などというものではない。余の意地だ」

 その瞳には先ほどの怒りはなかった。これからすべきことを見据え、冷静な判断を下そうとしている。おそらくは王として最後の決断である。

「これまで世話になっておいて悪いが…力を貸して欲しい。この国から全ての者が脱出するまで…!」


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