妄執の果て
ハルテミスの攻撃で気を失ったノアは霊廟の地下室に落下した。瓦礫の上で彼は動かなくなっていた。ハルテミスは地下室に安置してあるたった一つの棺を見て感嘆の声を上げた。
「ああ、やっと見つけたぞ。あれが…『終極の赤』…。この十二年、ずっと探し求めたものがそこにある!」
ハルテミスも地下室に飛び降りた。しかしすぐに棺を開けることはなく、邪魔者を排除すべくノアの方に向かって歩き出す。今のノアは意識を失っている。ハルテミス、いやアシュランの凶刃を避ける方法はない。
「ノアさん! はやく、はやく起きてください! このままでは殺されてしまいます!」
ワナンナの声も彼には届かない。アシュランは一歩ずつ歩みを進める。
彼はノアに聞いたことがある。どうして出会って間もない友達の為に命を懸けて戦うのかと。ノアは笑って答えた。もう何も失いたくないからだ、と。彼の過去を知ることはできない。だが事実、彼は友人の為に戦っている。傷だらけになっても立ち上がり続ける。ワナンナはその生き方に尊敬した。なんのメリットもないのに彼はたくさんの人に手を貸して、恩着せがましいことを言わず、笑っている。その生き方に憧れた。なんの役にも立たない自分を守ってくれた。そんな人が今、命の危機にある。臆病な自分でもできることがあるのだと勇気づけてくれる人を守らなくては。
「…ここで、僕は…強くなる!」
震える足を殴り、立ち上がる。腰に差してあるナイフを抜き、アシュランに斬りかかる。完全にワナンナの存在を失念していたアシュランは仮面を叩き割られ、よろめいた。だがそう簡単に倒れるような男ではなく、追撃しようとしたワナンナを蹴り飛ばし、彼を殺すべく近づいた。
「させるか!」
ワルターとセレカが飛び込み、アシュランと対峙した。
「我が王を殺した賊徒め! 俺がここで引導を渡してやる!」
怒りに満ちた表情でアシュランに斬りかかる。傷だらけの素顔のアシュランは笑い、応戦する。しかし、彼らはアシュランの力を見誤っていた。彼はもう人間ではない。人でありながら人を捨てた存在、変容魔人である。その手から繰り出される暴風に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「クソ…なんて力だ…!」
セレカは血を吐いた。邪魔する者がいなくなったアシュランは棺を開いた。その中にあったのは銀色の一振りの剣。黄金の光を放っている。装飾はなく、秘宝と称するにはあまりに質素な剣だった。しかしそれでも触れるのを躊躇うような神々しさを纏っている。
「これが…『終極の赤』か…! ようやく我が手に…!」
ゆっくりとその手を伸ばす。しかしそれを阻む者が一人。ノアだった。
「それは俺のダチの大切なものだ! 触らせねえ!」
血を振り撒きながら剣を構える。アシュランは苛立ちをノアに向ける。最後にその道を妨げる男を睨みつけた。ノアの体はもうボロボロで、視界も霞んでいる。倒れそうな体を動かす。
ノアはアシュランの攻撃を受けて倒れた。それでも立ち上がる。
「貴様、どうしてそこまで戦える。その剣は…お前になんの価値がある!」
アシュランが叫ぶ。
「いい剣だけどよ…俺のもんじゃねえし…なんの価値もねえよ。けど…友達がここで戦うんなら俺も…ここで命を懸ける。それだけだ!」
剣と剣が交わる。火花が散り、アシュランの胸に宿る記憶がよみがえる。苦しい日々から抜け出して誰にも奪われない理想の国を築こうとした彼は、仲間たちと共に蜂起した。自分たちを苦しめてきた者を処罰し、王都を占拠した。だが相手は世界。ただの反乱軍に世界を変えるだけの力はなく、瞬く間に殲滅された。共に戦場を駆け抜けた友が倒れていく。愛した女性が殺される。全てが終わった。僅かな仲間と共に逃げ延びた彼は力不足を実感した。そして全てを変えるに足る力があることを知った。
「譲れぬ。余は…俺は…! 勇者となって誰も虐げられぬ世界を築く! 世界の夜明けを、もう奪われないで生きられる世界を!」
その時、セレカが叫んだ。
「ノア! お前なら預けられる! お前を信じる! 『終極の赤』を使え!」
「はあ!?」
「俺は…俺たちは信じてる。お前が勇者かどうかは知らねえけど、なんかわかるんだ。お前こそが…俺たちが千年間待っていた男だ!」
ノアはセシリアからもらった剣をしまい、棺の中に眠っていた「終極の赤」の柄を握った。その瞬間、赤い雷が走り、彼に直撃した。凄まじい痛みが彼の体を駆け巡る。再び気を失ったノアは後ろに倒れかける。
「ははは! 資格なき者が聖剣に触れればそうなる! 死ね!」
勝敗を決定づけるべく剣を突き出した。
城壁の穴から侵入しようとしているバルトルサ兵をたった一人で食い止めていたラミナスは後方に落ちた赤い雷を見て何かを感じ取った。
「ノア様…」
長きにわたりノアを支え続けた彼女は彼の無事を信じ、戦い続けることにした。その体は返り血で真っ赤に染まっていた。バルトルサ兵の屍を積み上げた彼女の剣はまだ血を欲している。体はまだ動く。ここで敵を食い止めれば敵の王と戦っているノアがその分やりやすくなる。自分のやるべきことを再確認し、彼女は再び死体の山を築くべく、流血の狩場を走り回った。
「私は…貴方を信じます。どうかご武運を!」
刃が体を貫く寸前、ノアは目を醒ました。そして体勢を直し、右手に持った「終極の赤」を振るった。その一撃はアシュランを撥ね返した。
「何!?」
彼の体は赤い雷を纏っていた。「終極の剣」はまるで一個の生命のように脈打ち、電流を流している。
「ああ、そうか。貴様が…貴様が勇者であったか!」
半狂乱になりながらアシュランは呟いた。訪れを待っていた勇者。訪れぬと知り、自らがなろうとした勇者。その証を持つ者が目の前にいる。眩しいほどの光を放ってそこにいるのだ。
「はは、ははははははは! 俺は道化だったか! ははははは!」
アシュランは顔を歪めて走り出す。
「受け止めるがいい。これがこの世界の怨嗟だ。人の世の歪みだ」
剣を構える。
「お前が本当に勇者なら! 俺を倒し、世界を変えてみせろ!」
暴風がノアに向かって飛んでくる。それを食らったらただでは済まない。これが両者最後の一撃だ。
「…俺は俺の道を譲らねえ! 阻むなら誰であろうと叩き潰す!」
雷光が駆け抜けた。暴風が霧散し、消え去る。そして稲妻がアシュランに直撃した。彼の体は吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。妄執を抱えて呪われた男は最後に自らを討った男を目に映した。
ノアは彼に近づいた。アシュランはノアに手を伸ばした。
「世界を…。誰もが…笑って暮らせる…世界を…。お前が…」
「俺は勇者じゃない。俺はノア。ただのノアだ。悪いな、お前の目当ての勇者じゃなくて」
彼は腰を下ろした。彼もまた限界だった。立っている余裕はない。
「ラフマートの奴隷…お前は…どう遇している…?」
「あいつらは俺の仲間だ。うちにいたい奴らはそこに住ませてる」
「そうか…。ならよかった…」
アシュランは笑う。
「お前の家族がいるのか?」
「…いいや。だが…そいつらは俺たちと同じだ。世界が捨てた輝きを…お前が拾え。その輝きが集まって夜明けになる…。いつか…誰もが…笑っていられる…世界を…」
アシュランはノアの膝に手を置いた。
そして地面に倒れ伏し、永遠の眠りについた。
ワルターとセレカはバルトルサ王の戦死を大声で触れ回った。メレモロ兵は歓喜し、バルトルサ兵は戦意を失った。生き残った将軍は生き残ったバルトルサ兵を連れて引き揚げていった。
戦いは終わった。たくさんの兵士の命が失われた。それでも生き残った者は生を喜んだ。ウィクトリア兵は誰一人として戦死しなかったが、疲労困憊で倒れた。
「ふふふ、さすがノア様。やってくれましたね」
ユナはその場に倒れ、眠った。
力尽きたノアも救出され、治療を受けた。その後、眠った。
セレカは生き残ったメレモロ城の者たちに告げた。
「お前たち、よく生き残った。この戦いで俺たちは多くの同胞を失った。だが、俺たちの使命も終わった。『終極の赤』を持つ者が現れた。千年の約束は果たされた。俺たちは自由だ」
生存者たちは涙を流した。ようやくこれで自由になれた。もう縛られることはない。どこへだって行ける。
「俺は借りを返すためにノイアフォードに行く。お前らも好きに生きろ。あいつがくれた自由だ。好きに生きねえともったいねえだろ?」




