アイリスの哀情(アイリス視点)
『お母さん、外で遊んで来てもいい?』
『駄目よ、家の中にいなさい』
『外は気持ちの良い天気なのよ』
『ミアのような世間知らずは簡単に人さらいに捕まってしまうわ』
『でも最近ずっと外に出てないのよ?』
『いいから芋の皮剥きを手伝ってちょうだい』
☆ ☆ ☆
あの日の夜に聞こえた、両親の会話の意味は当時の私にはよくわかっていなかった。
途中でベッドに潜り込んで耳を塞いでしまったから。
ただとにかく聞きたくない、知りたくないという拒絶が先走ったから。
あんな話は嘘だ、デタラメだ、と。
ところが嘘ではないのだと私の心は言う。
私は捨てられた、いらない子供だった。
両親は私を給金目当てに拾った。
そして今でも貰っている。
考えてみれば、どこかおかしかった気がする。
ごく普通の家なのに、お金に困った雰囲気が全くなかったのだ。
贅沢をした事はなくても、食べ物は美味しい物を食べさせてもらえた。
他の同い年の子達の家は皆、毎日の食べ物にも困っていたのに。
それは私と引き換えに貰った給金のおかげ?
そう思ったら、この幸せが偽物のように感じられて来た。
嫌いだ、いらない私を捨てた親も拾った親も。
今から思えば、最後まで聞くべきだったのかもしれない。
どういう事なの?って……。
そうすれば、あんな思いはしなくてすんだかもしれない。
本当に?
何も知らされずにいたのに。
私を拾った親なのに。
給金を貰って、こっそり貯めていたのに。
それが私の幸せだと言うの?
そんな両親の何を信じろと言うの?
聞かなかった事にして、何も知らなかった振りして。
そうすればあのまま両親に愛される娘のままでいられたの?
いや、違う。
平凡な平民のままで幸せだと感じていられたわけがない。
そうしなかったのは、きっと私の中で目覚めつつあったからだ。
貴族様に憧れ、夢見る自分の姿。
少女なら誰もがなりたいと思える輝き。
綺麗なドレスを着て、好きな物を買って、使用人に傅かれる世界。
煌びやかな屋敷で、手の届かないはずの人達とにこやかに談笑する傍らで、自分を見つめる男達の視線。
そんな、見た事も経験した事もない毎日。
ただ、それはまだ心の奥に眠る思いであって、確かな感情だとは言えなかった。
それでいて、もしかしたら私は本来そんな世界で生きるべき人間だったのかもしれない。
そんな風に考える自分が怖くもあった。
だから耳を塞いで、私の中に眠る私という本来の声を聞きたくなかったのだ。
【ミア、私はこんなつまらない所で生きる人間なの? 私によく似たあの子は私の持っていない全てを持っているのよ。 あそこにいたのは私だったかもしれないのよ。 それを両親は隠しているの。 ここの人達はお金を貰って私を拾ったのよ。 私は知るべきではないの? そしてあの子の場所が私の物なら、あの子の場所はここではないの?】
【知らない、知らない、そんなの知らない。 私は両親の子供よ、お金なんて何も知らないし、見た事もないわ】
【そうかしら? だったら確かめてみたらいいのではなくて?】
【確かめる……?】
【そうよ、本来の私の姿を】
ところが、両親は私を外に出してくれない。
給金がどうとか、渡さないとか、まだ少女の私にはなかなか理解できない。
両親に聞いてみようか、とも思ったが、あれ以来二人とも機嫌が良くなかった。
だから何も聞けず、互いに上滑りする日常会話だけで過ごしていたのだ。
そしてまたある日の夜だった。
再び、両親の話し声が聞こえて来たのだ。
今度もひっそりと、私に聞かれないように声を抑えて。
『ミアは眠ったか?』
『えぇ、すっかり寝息を立てて夢の中よ』
『だったら大丈夫だな』
『これ、お屋敷の方から今月も届いたわ』
『ちゃんとこれまでの分も隠してあるだろうな?』
『もちろんよ。 あの子に見付からないようにベッドの下に隠してあるわ』
『そうか』
『お屋敷の方が文も持って来たの』
母は文らしき紙を父に手渡したらしく、パサパサという音が耳に聞こえる。
『何が書かれてあるの?』
『ミアを返して欲しいそうだ。 今まで育ててくれた恩と謝礼金も弾むと書いてある』
『勝手だわ! いらないと言うから私達が育てたのに』
『確かにミアが邪魔だから貰ってくれと言われたようなものだが……』
『貴方はあの子を手放すつもりなの?』
『これまでできなかった分の贅沢をさせてやりたいそうだ。 花嫁修業も婚約者も』
『ミアは平民でいいのよ、平凡な幸せが一番よ』
『それはそうだが……』
☆ ☆ ☆
『ミア、ちょっと洗濯に行って来るから留守番していてね』
『わかったわ』
『勝手に遊びに行ったりしたら駄目よ』
『大人しくしてるわ』
数日後の昼下がり。
仕事に出掛けた父、洗濯に出掛けた母。
家の中には私一人きり。
今しかない、と思った。
私の家は貴族様のように一つ一つの部屋が分かれているわけではない。
食事をするのも何をするのも、寝る時以外は全て一つの部屋。
応接間だとか居間や台所だとか寝室だとか、そんなものは何もない。
そして両親の部屋は二人で寝るには少し狭いベッドが一つのみ。
その両親のベッドの中を捲って、手を入れた。
すると、両親が毎日横になって寝ているはずのそこにはたくさんの布袋が隠されていたのだ。
おそらく、かなりの金額があるはずだと想像できる。
これは私が売られた金なのだ、この上でいつも寝ているのだ。
私は心の奥底から沸き上がる腹立ちと、本当の家族の冷たさを知った。
騙されていたのだ、そう思った。
そして、決めた。
滅茶苦茶にしてやる、と。
あの母親らしき女と、私を育てた両親、そして私と同じ顔をした無垢な振りをする、あの女も。
『みんな、みんな大嫌い! みんな嘘つき!』
わずか六歳の、ろくな知恵もない少女。
あの甘くて夢のような味わいの飴細工は、実は脆くて壊れやすいのだと知らなかった。
そして飴細工のような宝石は、舐めると苦くて冷たいのだと最近知った。
☆ ☆ ☆
「君は大きな、悲しい勘違いをしているね」
カークスが応接間の窓辺にもたれたまま、私と変わらずの距離を保っている。
決して私には近付きたくないらしい。
「御両親の話をちゃんと聞くべきだった。 そうすれば、こんな悲劇は起きなかったはずだ」
「どういう意味かしら」
「君を育てた御両親は君を金で育てたわけではないのだよ」
「そんなの、今さらどうでもいいわ」
「御両親は本当に子供を欲しがっていらっしゃったのだよ。 そして何かしらの縁もあって金持ちの家の双子のどちらかを引き取る事になった。 御両親は初めて君を見た時、天から遣わされたのだと思ったそうだよ。 その時にね、キャンベル家が金銭を渡したのは君を引き取った礼ではなく、将来の為なのだよ」
「私の将来?」
「もしも君が大人の女になった時に平民だからと蔑まれたりする事のないようにと何かしらの援助のつもりだったらしい。 そして君の御両親はそれを一切使う事はなかった。 いつか花嫁修業する日の為に、或いはどこかの学校で学ぶ日の為に君が平民だからと困る事が決してないように大切に隠していたのさ」
「まさか、それがあのベッドの下に隠していた理由だと?」
「狭い家なら隠す場所が限定されるのは仕方ない事だ」
「私は邪魔だから捨てられたのでしょ?」
「どこの世界に可愛い我が子を邪魔だと言う親がいるものか」
「そんな……」
「当時はそうするしかなかったらしい。 手放すのは苦しくても、我が子がそこで幸せに暮らしてくれたらと願っただろうね」
「だったらどうして私を返して欲しいだなんて言うの?」
「君の本当の母上がご病気になられたからだよ」
「あ……」
「今はキャンベル男爵は独り身だろ?」
「お母様以外の女は娶りたくない、と……」
「君の母上はすぐに療養施設に移ったから会ったのはほんの数回だったようだね。 君は知らないだろうが、死ぬ前にミアに謝りたいと言っていたそうだよ」
お母様は私がキャンベル家に来てしばらく後、息を引き取った。
私が本当はミアだった事、本当のアイリスを殺そうとした事、何も知らないままだったのだろうか。
「君の姉のミア……本当のアイリスは母上の死去を初めて知って泣き崩れていたよ。 当然だな、今まで知らずに過ごして来たのだから」
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