九、鬼哭を黒く染めるモノ
今回の件に関して私は、伶奈に謝らなければならないだろう。そのモノの話を聞いていたにもかかわらず、一人で来るのが怖くなり伶奈を誘ってしまった。とにかく生き残らなければ意味がない。アリスの話によれば、あの赤ん坊は非常に危険な存在だからだ。
それは図書館で資料を読んでいた時の話。
『聞いてほしいの、緒方さん。多羅女がまた現れたのよね? もしかしたら彼女、危ないかもしれない。』
私はあの時、うたた寝している伶奈を見ながら呆然としていた。
『多羅女自体じゃなく、その背後にいるモノ。そいつは……』
ー 堕閫童磔 ー
だこんどうたく、と読むらしい。そしてそれがヤツの名なのだと。
『堕閫童磔は死んだ赤ん坊の霊の集合体よ。ただそれだけなら問題はないわ。貴女達にあげた指輪があれば近寄れない。』
でも、と彼女は意味深に繋げる。重い声色、そして不安そうな顔を私は忘れない。
『ヤツはそれだけではダメよ。アレは普通の霊じゃない。赤子に異質な存在が取り憑き、強い恨みを抱く怪物。アレは異形、ただひたすら同じ境遇の霊を取り込む。そしてその子達の母親を殺し、その母の魂を多羅女に取り込ませる。』
私は広くて術式が描きやすく、伶奈達にわかりやすい場所を探していた。ふと浮かんだのは、前に異形と対峙したときの空き地。しかし伶奈が向かった方角から考えると、少々遠いだろう。かと言って見晴らしの良い場所に作れば、隠れるところを見られてしまう。
なぜ伶奈が多羅女に追われるのか。ひとつだけ私には心当たりがあった。それは伶奈がまだ二歳か三歳だった頃。その時の話は、伶奈の母に聞いたもので、彼女自身にはまったく記憶が無いらしい。
伶奈は知り合いの赤ん坊と遊んでいたそうだ。赤ん坊の母親が子守をしており、何も心配ないかのように思われた。しかしその子の母親は、幼い伶奈に留守番を頼み買い物に行ったのだと。
帰宅した母親が見た光景は悲惨なものだった。頭から血を流し、動かない赤子。その子に異変に気付き、必死で声をかける伶奈。結局何が起きたか、伶奈が説明するも要領を得ず、その赤ん坊は亡くなったのだそう。その親には相当恨まれている、と伶奈のお母さんが言っていたのを私は忘れない。
そしてその子の母親が近頃自殺を遂げたこと。長いこと病んでおり、自殺未遂を繰り返していたらしいが、死ぬ間際、
『拓馬が来る! 拓馬に殺される!』
などと喚いていたのだという。拓馬とはその赤ん坊の名前。そしてその子の母親もまた、錐馬に住んでいる人間なのだ。
そんなことを思い出しているうちに錐馬を抜けて、別の住宅街に到着した。ここらは古い民家が沢山並んでいて趣があるが、悪く言うと、夜の景色は少々不気味な区画である。そういえば昔この辺りに遊びに来た時に、広い敷地を見た。たしか大きな一軒家で、庭もそこそこ大きかったはずだ。申し訳ないがその土地を使わせてもらおう。
突如、ポケットが騒がしくなる。携帯電話を取り出し見てみると、アリスからの着信であった。彼女は移動しているのか、息を切らしている。
「なんで、こんなことになってるの?」
私は謝ることしかできなかった。アリスは謝罪の言葉を遮りこう話す。
「今どこ? どうするつもりなの?」
現在地は名田町。錐馬と天須恵の間に位置し、古い民家が立ち並ぶ土地である。
「名田町にいる。ここのお屋敷にある庭に術式を描こうと思ってる。」
相槌を打ちながら聞いていたアリスは、唸りながら数秒何か考えてこう返す。
「入江さんとは合流できるかもしれない。貴女はその間に術式を描いていてほしいわ。あと屋敷ってあのデカい空き家のことよね?」
空き家? 記憶にある限りでは誰か住んでいたが、もう引っ越したのだろうか。だがこの辺で大きな屋敷はあそこしかない。
「多分そこ、空き家になったんだ。そこにいるから描けたら電話する!」
アリスは短く返事をし電話を切る。話をしているうちに敷地を覆う柵が見えてきた。柵には蔦が絡みつき、中の様子がよく見えない。立ち止まって息を整えながら、中に入る方法を探ってみるが、私のいる角からではそれらしい場所は見当たらない。とりあえず門を探さなくてはと歩き出した。
正面に回り門を開けようと試みたが、施錠されていて開けるのは難しいだろう。他に入れそうな場所を探し歩いていると、蔦が生い茂った一角に、柵がこじ開けられた跡があるではないか。誰の仕業かはわからないが、利用しない手はない。
「お邪魔しまーす。」
ライトに照らし出された屋敷の姿は、人が住んでいるとは思えない外観である。アリスの言った通り、既に空き家と化していたようだ。
早速術式を描こうと、バッグからノートを取り出す。目的のページを見つけて、いざ描いていこうと地面に向き合って気付いた。
「これ結構難しくない?」
術式を完成させるには、大きめの円をフリーハンドで描く必要がある。しかしどうだろう、出来上がるのはグニャグニャの形だ。絵心など持ち合わせてはいないが、それにしても酷い。このままでは二人が来るまでに間に合わないかもしれない……
何分経っただろうか。何度も描き直したが、なんとかベースとなるものはできた。まだまだ中盤にも差し掛かっていないと思うと、軽く溜息が出てくるものだ。アリスが前に描いていた術式は、もっと遥かに大きいサイズだった。それに比べればこの程度、どうってことない、はず……改めてアリスの凄さを実感させられる。
「文字書いて、あとはー、細かい円もか……」
急いで描いていくが、なかなか上手くいかない。原因は焦りだと気がついて、深呼吸を数回しもう一度作業に取り掛かる。今度は上手く描けたのではないだろうか。不備がないか確認しながらアリスに電話をかける。コールしてすぐに繋がった。
「終わった?! 向かっても大丈夫?!」
相当息を切らせており、緊迫した状況が伝わってくる。
「多分大丈夫、屋敷の柵に出入りできる穴があるからそこに目印立てておくね。」
アリスが電話を切ったあと、私は柵の間から顔を出して二人が来るのを待つ。
私の中の野生的な感性が一瞬騒めいた。身体中に鳥肌が立っているのがわかる。顔を引っ込め冷静になろうと胸を撫でるが、どうも体が落ち着いてくれない。伶奈達が近いのだろうと直感し、もう一度同じ体勢をとるが、一向に二人は現れない。思い切って電話をかけてみることにしたが、いくらコールしても応答がない。
「ふぅー、どうしよ。」
寒気がして気分も悪くなってきた。柵の隙間から体を出しているのもキツくなり、目印に木の枝をその穴において、私は座って待つことにした。胸元が熱い、いや、胸元にある指輪が熱いのだろう。私は伶奈と違い指輪をネックレスに掛けて過ごしているのだが、今それが焼けるように熱いのだ。何が起きているか、わけがわからなくなり、動揺と混乱は次第に得体の知れないモノに対する恐怖へと変わってゆく。
どうする? ここにいれば間違いなく危険だ。場所を変える? しかしアリスと連絡がつかない。
怖い。怖い。怖いこわいこわいコワイ。




